わたしたちの日韓

歴史認識をめぐる論争、ヘイトスピーチの蔓延…
近年で最悪ともいわれる状況を迎えている日韓関係。
けれど、こんなときだからこそ、
国境を越えた「わたしたちの日韓」という視点が必要だーー。
在日コリアン3世のルポライター、姜誠さんはそう語ります。
対立する二つの国の国民同士ではなく、
「日韓」という一つの地域に暮らす住民として、
この地域に、お互いの国に、どう平和を築いていくのか。
連載を通じて、じっくり考えていきたいと思います。

第6回

火ダネを残した世界遺産登録問題

「against their will and forced to work」をめぐる対立

 すったもんだの末に、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録が実現することになりました。
 1940年代の朝鮮人徴用の歴史が遺産登録に反映されることを条件に、韓国が日本の登録申請を支持するという先の日韓外相会談での合意事項が守られたことで、日韓首脳会談実現への環境作りが進むことになりました。その意味では日韓双方が満足できる外交になったと言えます。
 ただ、手放しでは喜べません。首脳会談に向けて、新たな火ダネが生じてしまったためです。
 このコラムの第5回目で、日韓外相会談での政治妥結を「満点の内容からはほど遠い。辛うじて及第点に届いたというだけで、この先には日韓首脳会談という追試が待っている」と指摘しました。
 今回の世界遺産登録問題で、日韓双方は一定の外交的成果をあげたものの、結果的にはその追試の科目メニューが増えてしまったと、わたしは感じています。
 それは1940年の朝鮮人徴用は韓国が主張するように「強制労働」なのか、それとも日本が主張するように「強いられた労役」なのかという論点です。
 英文では「against their will and forced to work」と表現されています。ドイツ・ボンでの世界遺産委員会で、日韓がこの一文の解釈をめぐって対立した背景には、朝鮮人徴用工の補償問題があります。
 当然、日韓首脳会談でもこの問題が浮上する可能性が出てくることでしょう。しかし、その解決は容易なことではないのです。

日韓条約における日本、韓国の立場

 1965年の日韓条約で、補償問題はすべて解決済みという立場をとる日本に対して、韓国の見解は異なります。日本でも韓国でも正確に認識されていないので、ちょっと整理してみましょう。
 韓国政府は日本と条約を結んだ手前、補償問題は解決済みという立場を崩すことは難しい。しかし、民主化が進み、2000年代に入ってそれまで非公開だった日韓条約交渉当時の記録文書が開示されるようになると、多様な考えが表明されるようになりました。日本から資金を導入し、経済発展の原資にしようと焦るあまり、植民地支配の責任問題にひと言も触れない日韓条約は不当ではないかという論議もそのひとつです。
 それを受け、ノ・ムヒョン政権が見解を打ち出します。たしかに日韓条約で補償問題は解決済みだが、交渉時に論議の対象にならなかったとして、①サハリン残留朝鮮人、②元慰安婦、③原爆被爆者の補償問題は未解決であると規定したのです。
 しかし、韓国の市民社会から異論が提起されます。韓国が日韓条約で放棄したのは個人の請求権を外交的に保護する政府の権利だけであり、補償を求める韓国民個人の請求権は放棄されていないという主張です。この場合、ノ・ムヒョン政権が整理した補償の対象となる3つのグループ以外の人々、たとえば徴用工への未払い賃金の問題なども、補償の対象となりえます。
 この主張に韓国の裁判所が同調し、ここ数年、日本企業に対して元徴用工らに補償を命じる判決が相次いでいるのです。
 これらの立場や見解をいま、ここで論じるつもりはありません。様々な意見、考えがあって当たり前だからです。
 それよりも大切なことは、日韓条約は完全ではなかったということ、そしてその条約が定めた補償問題についても、日韓で理解の仕方に差異があるということを認識することです。わたしたちはそこから今後の日韓関係を考えなくてはなりません。
 しかし、メディアもその整理が十分でなく、日本は過去の歴史を直視しない、韓国が無理難題をごり押しすると、ステレオタイプ的な報道に終始し、双方のナショナリズムをいたずらに煽っているのが現状です。

清算されない歴史、あいまいな決着

 今回の世界遺産登録で、「forced to work」という文言の解釈をめぐり、日韓が最後まで対立したことを見て、感じることがあります。
 同じような葛藤が日韓間にはいくつもあるのです。たとえば、文化財の引渡し問題もそうです。
 36年間の植民地統治のなかで、韓国から多くの文化財が日本に持ち込まれました。その文化財を戦後、日本から韓国に引き渡すにあたって、日本側は「寄贈」と主張し、韓国は「返還」ということばにこだわっています。「寄贈」ならば、日本が文化財を植民地支配を利用して奪ったというイメージはありません。しかし、「返還」ならば、日本が植民地支配に一定の責任を感じたという語感になります。
 日韓条約にある「もはや」という語句をめぐる対立は日韓間の相克の最たるものです。
 条約には「日韓併合に関わるすべての条約、協定はもはや無効と確認される」という一文があります。
 この一文をめぐって、やはり日韓は対立しています。日本側は韓国併合は国際法上有効、合法であり、「もはや」ということばは日本が敗戦し、朝鮮という植民地を失った1945年の時点を指すと解釈しています。
 しかし、韓国は併合は国際法上も無効であり、違法という立場です。当然、「もはや」が示す時期は日韓併合があった1910年と考えているのです。
 日韓条約の締結時、日韓では大規模な反対運動がありました。日本の市民も韓国の市民も、日韓条約は過去の歴史の清算につながらないと反対の声を上げたのです。
 そこで日韓の両政府は反対する国民に自らに都合のよい解釈を説明して批判を回避し、日韓条約の締結にこぎつけたという経緯があります。
 今回の世界遺産登録問題で、強制徴用の歴史をめぐって日韓が対立を深めた背景には、日韓条約の「あいまいな決着」により、過去の歴史がきちんと清算されなかったという欠陥が色濃く反映されているのです。
 その事実を率直に日韓双方の人々が率直に認め合うところからしか、21世紀の日韓関係は構築できません。

なぜ、安倍首相は登録を急いだのか?

 もう一点、世界遺産登録をめぐる日韓間の相克を見て感じることがあります。
 安倍首相はなぜ、「明治期の産業革命遺産」の登録にこだわったのでしょう?
 日本が世界遺産登録の暫定リストに載せ、登録を目指している遺構群は「明治期産業革命遺産」以外に11もあります。
 しかも、登録を推進する文科省の文化審議会は2013年8月に、その中から「長崎の協会群とキリスト教関連遺産」を最優先候補として正式に推薦していました。
 しかし、安倍首相が「明治日本の産業革命遺産」にこだわり、その決定が覆されます。文科省に代わり、官邸が仕切る形で菅官房長官が「明治期産業革命遺産」を政府推薦に押し込んだのです。
 しかも、その際には登録対象となる期間を1850年から1910年に区切り、後にイコモス(国際記念物遺跡会議)から「歴史の全容がわかるような形での登録が望ましい」という勧告まで受けています。
 その対象となった23施設のうち、7施設で朝鮮人などの強制徴用があり、もし日本が1910年以前という区切りで登録申請すれば、韓国から反発が起きることは日韓関係の専門家ならだれでも容易に想像がつくことでした。
 遺産登録の決定は当初、今年5月とされていました。その翌月には日韓正常化50周年が控えていることを考えれば、この登録の動きが新たな日韓の摩擦を引き起こし、50周年の記念式典などに悪影響を及ぼすことはある程度予見できていたのです。
 そうであるならば、今年は「長崎の教会群」の遺産登録を目指し、「明治期産業革命遺産」は日韓首脳会談を実現させ、日韓関係が好転した後――来年でも再来年でもよかったはずです。
 しかし、安倍首相はその選択をせずに、「明治期産業革命遺産」の登録にこだわってしまいました。結果的に登録は実現したものの、日韓関係に新たな火ダネが残りました。また、「forced to work」の文言は「強制労働を意味するものでない」(岸田文雄外相)と、岸田外相や菅官房長官が明言することで、安倍政権は歴史を直視しない歴史修正主義者であるとの国際認識がさらに広まってしまいました。
 安倍首相がここまでこだわったのは、明治期日本が勃興する姿を遺産登録することで、「美しい日本」をアピールし、同時に「戦後レジューム」からの脱却にチャレンジしようという強い思いがあったからではないかと、わたしは考えています。
 しかし、一国の宰相ならば、時には自己の理想や政見を封じてまでも周囲のことばに耳を傾け、最適な政治決定を下す自制心と怜悧さがなければいけません。
 今回の「明治期産業革命遺産」の登録も、日韓の将来を考えれば、この時期にあえて進めるべきではありませんでした。
 安倍首相の政治の進め方を見ていると、あまりにも私的な思いが強く出ているように見えます。首相は戦後70周年の談話を閣議決定をせずに発表する予定と聞きます。私的な思いならば、自室で一人、静かにつぶやいていればよいものを、ここでもやはり、どうしても談話を出したいという首相個人の強い思い入れを感じてなりません。
 世界遺産問題が決着した今、この70周年談話がふたたび、日韓の火ダネとならないよう祈るばかりです。

 

  

※コメントは承認制です。
第6回 火ダネを残した世界遺産登録問題」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    たしかに、この時期になぜ韓国を刺激するような遺産を選んだのか…理解しがたいところがあります。姜さんが書いているように、もし「美しい日本」をアピールしたいというだけで強行したのだとしたら、その外交センスのなさは致命的だといえるではないでしょうか。自分の思いを押し通すために、隣国と起こさなくてもいい摩擦を起こしてしまう――それは「積極的平和」からもっとも遠い姿勢のように映ります。

  2. 松山圭子 より:

     同世代の姜さんの記事をいつも楽しみにしております。

     さて、今回の世界遺産登録は、ひたすら安倍首相の趣味に沿ったもののように思われます。

     私は、長崎県の軍艦島以上に松下村村塾に大変な違和感を覚えます。韓国のメディアが報じているような「伊藤博文が学んだところを入れるとは・・・」という意味ではありません。明治日本の産業革命遺産というなら、幕末の私塾の中でも洋学(蘭学)を教えていたところ(たとえば、緒方洪庵の適塾)を入れたいところですが、松下村塾はこれにあてはまりません。安倍首相の出身県(実際にではなく、選挙区をかかえるという意味ですが)の誇り高き遺産をたくさん入れたかったのでしょうか。

     また、三池炭鉱の宮原(みやのはら)坑・万田(まんだ)坑は世界遺産の中に入っていますが、大事故を起こした三川坑や有明坑は含まれていません。大事故で原型をとどめていないと言われるかもしれません。しかし、事故の記憶こそ後世への教訓として忘れてはいけない遺産のはずです。

     世界遺産を日本人の美点顕彰のためにのみ使おうとする日本の政治家も、負の側面も含めた歴史の語り部の登録にいったん大反対した韓国の政治家も、外交センス以前に、政治そのもののセンスがないのではないでしょうか。 

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姜誠

かん・そん:1957年山口県生まれ(在日コリアン三世)。ルポライター、コリア国際学園監事。1980年早稲田大学教育学部卒業。2002年サッカーワールドカップ外国人ボランティア共同世話人、定住外国人ボランティア円卓会議共同世話人、2004~05年度文化庁文化芸術アドバイザー(日韓交流担当)などを歴任。2003年『越境人たち 六月の祭り』で開高健ノンフィクション賞優秀賞受賞。主な著書に『竹島とナショナリズム』『5グラムの攻防戦』『パチンコと兵器とチマチョゴリ』『またがりビトのすすめ―「外国人」をやっていると見えること』など。TBSラジオ「荒川強啓 デイ・キャッチ!」にて韓国ニュースを担当。

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