三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記

沖縄・普天間基地へのオスプレイ配備をめぐる抵抗運動の様子や、新たな米軍基地建設計画が進む沖縄本島北部・東村高江の住民たちの闘いを描いたドキュメンタリー映画『標的の村』を撮影した三上智恵さん。辺野古や高江の 現状を引き続き記録するべく、今も現場でカメラを回し続けています。その三上さんが、本土メディアが伝えない「今、何が沖縄で起こっているのか」をレポートしてくれる連載コラムです。毎週連載でお届けします。

第21回

素顔の辺野古~55年間基地と生きた集落~

 この連載も今年はこれで最後だ。
 今年は激動の年だった。春、長年勤めていた放送局を辞め、大手を振って辺野古や高江の現場に通えるようになった。7月からは連日、海もゲート前も、早朝も深夜も、大久保千津奈カメラマンと二人駆けずり回った。今年は大変な年になる。現場にいなくては。そういう強い予感が古巣を巣立つ決意を促した。そしてその予感は的中した。辺野古の基地建設は予想通り窮地に追い込まれた。ついにボーリング調査で海に穴をあけられてしまった。

 しかし私の悪い予感を上回る「地殻変動」もこの目で見ることができた。稲嶺名護市長の再選、沖縄地方選挙の異変、オール沖縄の知事誕生、そして衆院小選挙区で自民全員落選。まさに「平成島ぐるみ闘争」のうねりが沖縄全土を波打たせて拡がっていく、その余震が激震になっていく渦中に身をおいた。これ、本物なのかなあ、夢ではなく本当に沖縄列島のマグマが吹き上がり始めたのかなあと何度も自問しつつ、心臓がバクバクするような日々を今も疾走している感覚だ。

 沖縄では確かに、大きな何かが変化した。しかし日本の国としては、パワーアップした安倍内閣が暗黒の時代を引き寄せている。来年は沖縄の真価が問われる年になる。島の命の連なりを支えてきた紺碧の海を背に、譲れないものをどう守るのか。恵みの海を潰し、先祖の顔を潰して、子孫の宝まで差し出す愚に気づいてしまった沖縄県民が、どこまで鈍角の闘いを展開できるのか。それは困難この上ない長い道のりで、ゴールなど有るのかも知れぬが、少なくとも去年の暮れよりも今のほうが、私は来年に希望を持っている。

 さて新作映画については、現場に通う日々に終止符を打ち、1月は編集に入ることになるため、毎週水曜日に欠かさず更新してきたこの撮影日記は週に一度から月に一度に変更することになった。7月の公開に間に合わせるためにはギリギリのスケジュールになのでどうかご理解いただきたい。ただ、年明けも5日からまた海で桟橋の設置作業が始まると報道されたとおり、再び大規模な海上の衝突が起きるのは避けられない状況である。大きな動きがあったときにはこのページでお伝えしていきたい。

 毎週連載の最後に、「辺野古の素顔」を少しばかり紹介したい。

 わたしが「辺野古が追い込まれる」などと表現するときの辺野古は「17年間、辺野古の基地建設に反対してきた現場」を指しているのであって、行政区の「辺野古」という意味ではないことが多い。戦後70年、軍事的植民地にされてきた沖縄が、今また自らそれを選択するかどうかが問われる最前線としての「辺野古」を語ることは喫緊の課題である。だが同時に私は「集落としての辺野古」のことをとても大事に思ってきた。取材に通ったこの十数年で、正月からウマチー、ハーリー、角力大会に綱引き、エイサー、運動会など1年の行事はほとんど見せていただいた。民俗学を学んできた者として、こんなに多彩な行事を生き生きと守り伝え、勢いと団結力に富み、区民全体がそれを楽しみと受け止めている集落はとても貴重だ。見ていて気持ちが豊かになる。そして他の集落と大きく違うのは、折々の場面で55年間隣人であり続けているキャンプシュワブの兵士らと共に地域の行事を開催していることだ。

 例えばハーリー競漕や角力大会には必ず米兵が参加して場を盛り上げるし、今回動画で紹介する運動会も、辺野古区の10の班の対抗戦なのだが、毎年「11班」として米兵が参加する。その屈託のない笑顔は、戦争の訓練をして戦場に行く人たちであることを忘れさせる。仲良く、トラブルさえ起こさないようにすれば米軍と共存してもいいのでは、という気持ちにもなる。
 だからこそ私は安易にその様子を伝えたくなかった。これまでそういう交流の場を大げさに取り上げて「辺野古は基地あっての街。実は基地を望んでいる」と短絡的な解釈ばかり報道されてきた。「海兵隊と仲良くする辺野古」は、基地を押しつける側の罪悪感を慰撫してくれる格好の材料になるし、繰り返し求められてきた場面だった。

 実際、辺野古は、沖縄の他のどの地域よりも基地との交流が盛んで距離が近い。もちろんベトナム戦争の時代には、精神的にすさんだ兵士による区民の殺害事件が幾つもあった。軽犯罪などは数え切れない。それを少しでも減らすために辺野古区は苦心してきた。占領下の警察が、民政府が、一体何をしてくれたか。明日、ベトナムに飛んで命を落とすかも知れない米兵が歓楽街で酒を浴びて女性にすがりつく。朝方まで働く母や姉たちと入れ違いにその中で学校に通い、成長する青年たちは、どこの誰よりも地域の安全を確保する手段を真剣に考えただろう。その大きな柱が、キャンプシュワブと辺野古区でつくる親善組織だった。イベントの共催だけでなく、旧部落は日没後は歩かない、この通りから向こうには出入りしない、など県も政府も通さない両者の合意が数々あって、それは今もキャンプシュワブの中でちゃんと守られているという。これは、日米合同委員会で決めて下ろしても守られない規律などと違って、顔が見える関係性を築いて来たからこそ、「守らせている」「人間としての尊厳を認めさせている」のであって、辺野古の地域だけがもつ力だと私は思う。軍が悪い、政府が悪いと人のせいにして動かないのではなくて、面倒でも正面から向き合い、交流を重ねてきた結果、事件や事故を最小限に食い止めてきたという自負が辺野古区民にはあるのだ。だからこそ、誇らしく運動会や角力大会を取材させてくれるのであって、その結果「基地とその恩恵が大好きな辺野古」のような偏見で報道されたら、彼らがどんなに悲しい思いをするかわかって欲しい。

 基地の押しつけと、他国の戦争に翻弄され続けた沖縄の歴史。それは確かに負の歴史であるが、負の歴史を地域の力で、日米の組織など当てにしない、人間対人間の力で前向きに転換してきた辺野古区民のありようはもっと知られていいはずだ。でもそれを「今後もアメリカ軍と生きていくのも悪くないでしょう?」というロジックに絡め取られずに伝えることが本当に難しい。今回紹介する動画だって、この文章抜きに見たら「なんだ。辺野古って米軍と宜しくやってるじゃん」と都合良く消費されてしまう可能性が高い。

 創業49年。辺野古社交街でも屈指の老舗「ピンクダイヤモンド」のママは70才を超えた。ここは孫ほど年の離れた米兵らでいっぱいになる人気店だ。奄美出身の色白美人で、運動会が大好きで、歴代応援団長を務めてきたという。内地の新聞記者も、飲んだら自宅に泊めて翌日空港まで送らせるなど、人間好きな魅力的な女性である。そんなママも、辺野古の魅力はその結束力と人情だと語ってくれた。

 動画でもママが話しているが、私が最近になってようやくわかったこと。それは辺野古だけではなく名護市東海岸、旧久志村の女性たちの特徴なのだが、言い回しがキツイのだ。長い間、みんなが嫌がる基地の取材ばかりして歩いている人間だから嫌われているのだろうとばかり思っていたのだが、そうでもないらしい。汀間でも、嘉陽でも、仲よくなったと思い込んでいたおばあたちに「また来ようね~」と別れを告げる際に「ううん。もう来ないで」と言われることが多い。「そうか。じゃあ次はこんなカメラを持たないで来るから、それならいい?」とどぎまぎする私におばあたちは「来て何する。来るな」と言う。でも、顔は笑っているのだ。

 文子おばあにその話をしたところ「クククっ」と意地悪く笑ってこう言った。
 「あんたそう言われたら本物だねえ。また来て下さいねえ、なんて社交辞令を言われているうちは嘘なの。もう来るな。と追い払ったのに来てくれたら、余計に嬉しいでしょ?」

 骨太で根性が有って、口は悪くても情が厚い旧久志村の女性たち。基地反対運動の取材から入ったために拒絶から始まった辺野古区の人々とのつきあいなのだが、通うほどに引き寄せられる。辺野古区にのしかかる基地問題は沖縄の、日本の命運を左右する問題だ。しかし政治の思惑に翻弄され揺さぶられ続ける中でも、地域の和を自衛手段とし、誇りを持って生きようとする人たちの未来を、私は全力で守りたい。

 敗戦の惨めさを超え、押しつけられた基地と折り合いを付け、プライドを失わないように生きてきた沖縄。その縮図が辺野古だ。「彼らは容認派である」とレッテルを貼り、負の歴史と決別できない自分たちの不甲斐なさを基地に寄り添う人たちになすり付けてきた構図にわたしたちはそろそろ気付くべきだし、その先に進む展望を共に分かち合う時期に来ているのだと思う。

三上智恵監督新作製作のための
製作協力金カンパのお願い

沖縄の基地問題を描く、三上智恵監督新作の製作を来年の2015 年完成を目標に開始します。製作費確保のため、皆様のお力を貸してください。

◎製作協力金10,000円以上、ご協力いただいた方(もしくは団体)は、映画HPにお名前を掲載させていただきます。
◎製作協力金30,000円以上、ご協力いただいた方(もしくは団体)は、映画エンドロール及び、映画HPにお名前を掲載させていただきます。
※掲載を希望されない方はお申し込みの際にお知らせ下さい。

■振込先
郵便振替口座 00190-8-513577
名義:三上智恵監督・沖縄記録映画を応援する会

 

  

※コメントは承認制です。
第21回 素顔の辺野古~55年間基地と生きた集落~」 に6件のコメント

  1. magazine9 より:

    辺野古や高江の現場の最前線から、撮れたての動画とレポートを毎週、台風の時も休まず、欠かさず届けてくれた三上さん。お陰で中央のメディアではまず伝えない「沖縄で今、何が起こっているのか」を、私たちはリアルタイムに近い状態で、見て、知ることができました。三上さんに感謝すると同時に、沖縄の「地殻変動」を全国に波及させるべく伝えなくては、との思いも強くします。来年からは、新作映画の制作に専念するため、月1回の連載になりますが、引き続き、注目と応援をよろしくお願いします!

  2. 小池 喜代子 より:

    いつも、辺野古の最新情報活動に敬意を表しながら、読ませてもらっています。東京にいて、新聞赤旗以外に、テレビ新聞は沖縄、辺野古の現状をほとんど報道していません。三上さんの現地情報はとても貴重です。これからもよろしくお願い致します。所属する、つきしろ九条の会に、支援カンパのお願いを要請しているところです。

  3. 宮坂亨 より:

    長野県諏訪市の諏訪文化センターで毎年5月3日の憲法記念日に憲法フェスティバルを行っています。今年2015年の憲法フェスティバルのメインゲストに三上智恵さんを招くこととなりました。本土の方、三上さんに会いに5月3日は諏訪にご参集ください。

  4. 馬場秀幸 より:

     上越市の弁護士の馬場です。12月13日の集会はありがとうございました。三上さんならではの胸に迫る文章で泣けてきました。1月に入り辺野古でまた基地建設のための工事が再開されたと聞きました。映画上映くらいでしかお手伝いできませんが、少しでも沖縄の問題を知ってもらえるように頑張ります。

  5. 辺野古の住民の誇りを伝える。一番大事なことだと思う。
    辺野古の人びとの気持ちそっちのけで基地反対の闘いはあり得ない。

  6. 森口竜太郎 より:

    いつも本土の沖縄に退位する差別的な程度を見るにつけ必ず思い起こすのが、沖縄に経済振興策と引き換えに、過重な基地負担を求め続ける人々が、なぜか靖国神社参拝に参拝し英霊を崇め奉るという事に情熱を注ぐという事が全く整合性がないという事に本に達が無自覚なのは当然として、その首尾一貫性のなさに対して、自民党に問いただそうとしたメディアを私は寡聞にして知らない。自民党が靖国神社の英霊への経緯や彼らの名誉回復に躍起になるのは、彼らが現在の日本の繁栄の礎を築いたからだとする。併し、もし雨いrかと戦ったことが日本の現在の繁栄の基礎素なったというのなら、当然沖縄もその見地から評価されるべきであり、沖縄住民は米軍に対して住民も含めて抵抗し、沖縄の抵抗がもっとあっさりしたものであったなら、アメリカ軍は九州にも進軍した可能性は高い。即ち、沖縄は住民を含めてアメリカ軍の信仰を遅らし残酷な地上戦を本土の人々が経験しなくてよいようにしたのだ。とすれば沖縄の人達に対して、靖国の英霊同様日本人が感謝すべきである。ところが、自民党は沖縄に感謝と全く反対の態度をとった。サンフランシスコ講和条約では沖縄を見捨て、復帰後も、沖縄に不当な基地負担を押し続けた。こうした沖縄への自民党の態度を見ると、彼らの英霊への尊崇の念というのは、遺族会の支持を得るための方便にすぎない。

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三上智恵

三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。現在も全国での自主上映会が続く。15年には辺野古新基地建設に反対する人々の闘いを追った映画『戦場ぬ止み』を公開。ジャーナリスト、映画監督として活動するほか、沖縄国際大学で非常勤講師として沖縄民俗学を講じる。『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)を上梓。
(プロフィール写真/吉崎貴幸)

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