鈴木邦男の愛国問答

 実にタイムリーな企画だった。だって、テーマは「異質な隣人・中国といかに向き合うか」だ。藤野彰さんを迎えて3時間、話し合った。というよりも、藤野さんに話してもらい、僕は一方的に質問した。中国問題では藤野さんは最も詳しい。元読売新聞中国総局長で、今は北海道大学大学院教授だ。中国での記者生活は長い。大学時代から中国語を勉強していたというし、読むのも喋るのも堪能だ。中国問題については、当の中国人よりも詳しい。北大では「現代中国論」を教えているが、何と、そこには中国からの留学生も数十人いる。その留学生が「現代中国のことを初めて知りました」と驚く。当日、その留学生たちもこのシンポジウムを聞きに来てたから、本当だ。

 10月12日(土)、札幌で藤野彰さんとは話したのだ。「鈴木邦男シンポジウム in 札幌時計台」を2ヶ月に1度、やっている。今までのゲストは、鈴木宗男さん、中島岳志さん、山口二郎さんだ。そして今回は第4回で、藤野彰さんだ。テーマは「異質な隣人・中国人といかに向きあうか」。この集まりは、北海道新聞にも紹介されたし、皆、関心のあるテーマだし、会場は満員だった。

 このシンポジウムの主催は、地元の出版社・柏艪舎だ。ここから僕は2冊の本を出している。『日本の品格』と『秘めてこそ力』だ。「本を出すだけでなく、シンポジウムをやりませんか」と柏艪舎の山本社長に言われ、今年から始めた。主に、北海道にいる作家・大学教授・政治家・評論家の人たちと話し合う。今まで会うこともなかった人と会える。ゲストの人もそうだが、聞きに来る人もそうだ。これは嬉しい。昔の大学時代の仲間や、遠い親戚の人なども来てくれて、会った。さらに、会場の「札幌時計台」がいい。

 札幌で最も有名な観光スポットだから、札幌時計台は誰でも知っている。しかし、その2階がホールになっていて、音楽会や講演会に使われていることを知ってる人は少ない。僕も知らなかった。素晴らしいホールだ。だから予約も一杯で、僕のシンポジウムも、かなり早めに予約している。おかげでもう来年の5月まで予約が決まっている。

 さて、10月12日(土)のシンポジウムだ。このテーマがタイムリーだったと言ったが、もう一つ、タイムリーなことがある。つい2ヶ月ほど前、藤野彰さんの本が出版されたのだ。柏艪舎からだ。その題名が実にいい。『「嫌中」時代の中国論』だ。そうだ。今はまるで「嫌中」時代だ。テレビでも新聞でも連日、中国の批判・悪口ばっかりだ。「こんな国はロクな国ではない」「日本に文句ばかりつけてくる」「こんな国ともう付き合うな」「中国のものは食うな」…といった記事ばかりだ。本屋に行くと、「なぜ中国はダメか」「こんな国はもうすぐ亡びる」「“戦争も辞さず”の覚悟で領土問題に取り組め」「戦争になっても日本は勝てる」…といった本ばかりが並んでいる。又、これが売れている。「読んで気分がスッキリした」という人が多いのだ。ひどい話だと思う。

 アンケートや世論調査をすると「中国なんか嫌いだ」と答える人が多い。80%以上の人が「嫌いだ」と答えたアンケートもあった。じゃ、その人達は実際中国に行き、中国を見、中国の人々と話したことがあるのか。ないのだ。テレビや新聞の報道だけを見て「中国は横暴だ」「反日デモをやっている」…と知り、条件反射的に「じゃ、そんな中国なんか嫌いだ」と思ってしまう。知らないで、ムードだけで反発してしまうのだ。

 藤野さんは本の中で言う。「中国を好きでも嫌いでも構わない。だが、その前に、知ってほしい」と。

〈「中国嫌い」でも、「中国知らず」では済まされない!〉
〈隣国の「現実」を直視しない人のための中国論〉

 と、本の帯には書かれている。10月12日(土)のシンポジウムでは、この本から始めて、中国を語り始める。「中国は皆、反日デモをやっている」「中国人は皆、日本が嫌いだ」「中国には一切、言論の自由がない」「共産主義の国で、自由は何もない」。…と、皆さんは思ってませんか。と藤野さんは言う。一面だけを見て、全部分かった気になっている。「どうしようもない国だ」とレッテルを貼って、決めつけている。そうしたらもう対話も何も出来ません。と言う。

 「レッテル貼りは便利で、すぐに分かった気にさせる。でも、一番危険です」。そして、こう言う。

 「たとえば鈴木さんに“右翼”というレッテルを貼って、それで理解した気になっている。“右翼”というと暴力的で、すぐカッとなって、話し合いの出来ない人。というイメージを持ってしまう。しかし、会ってみると違うでしょう」と言う。だから、中国もレッテルを貼って、それだけで分かった気になってはダメだ、と言う。そうか、僕は「中国」なのか。中国と同じ「レッテル貼り」をされている。同じ被害者だ。

 藤野さんの話で初めて知ったことが多い。中国共産党は決して一枚岩ではなく、いろんな考えの人がいる。そして柔軟性がある。硬直していた旧ソ連とは根本的に違う。だから、旧ソ連のように簡単には崩壊しないという。「中国はいずれ崩壊する」という〈楽観論〉で見ていてはダメだ。又、政治的・歴史的認識の違いはありながら、中国の若者には日本が好きな人が多い。特に音楽、アニメなどは大人気だ。こんなに「日中対立」が言われながら、中国からの留学生は多い。このシンポジウムの後、打ち上げに行ったが、藤野さんの教え子(中国人留学生)が何人か来た。話を聞いたが、そのとおりだと思った。中国では「反日教育」をしてると言われる。自国の歴史を教える時、日本の侵略に触れざるを得ない。それをもって「反日教育」と即断するのは、ちょっと違うだろう。現に、毎年、何万人もの留学生が日本に来ている。それに、日本に来たら、中国では教えてないことも耳にする。たとえば、中国では天安門事件についてはネットでも出てこない。知らされない。又、中国共産党に対する批判などは一切出ない。ところが、日本では情報は何でも手に入る。むしろ、中国に否定的な情報が圧倒的だ。それを留学生は耳にする。目にする。そんな情報、多元的な価値観を持った留学生たちが中国に帰ってくる。それでも中国は「鎖国」しないし、世界にどんどん出て行っている。そこに中国のしたたかさがある、と言う。

 中国は「遅れてきた富国強兵国家」であり、その成長に幻惑されて、ただ罵倒してみてもダメだ。中国と日本という、東アジア大国間の摩擦増大は歴史の必然である。だから、領土問題、歴史問題は、その上で冷静に話し合うべきだ。そして、今の日本のような「対決ムード」をたしなめる。そして言う。

〈「非平和的手段」による「現状」打破は国際社会に受け入れられない〉

 そのとおりだ。まずこれを確認しなくてはならない。その上で、ではどうすればいいのか。

 「日中関係再構築への7つの提案」を藤野さんは言う。

 ①尖閣危機は対中戦略を再考するチャンスである。
 ②「協調」と「警戒」のはざまで「相利共生」を模索する。
 ③中国に対する「門戸開放」を堅持する。
 ④国民レベルで中国理解の裾野を広げる。
 ⑤長期戦略で中国の「知日派」を育てる。
 ⑥中国の水面下の理性に耳を傾ける。
 ⑦「第三の目」で日中関係を見詰める。

 僕ら国民一般レベルでは④以下が重要だ。藤野さんは、先頭に立ってそれをやっている。中国の「知日派」を育てている。「日本を知って、その上で、嫌いになってもいい。よく知ってくれる人を増やすことだ」と言う。なかなか言えないことだ。又、長い記者生活を振り返って、こんなことを言う。

〈在日留学生らの中には優秀な人材も少なくないですから、長期的には外国人を記者として採用することをもっと真剣に検討してもいいのではないでしょうか〉

〈今や民間企業、シンクタンク、大学など多くの組織は、国籍に関係なく、優秀な人材を求め、実際に活用しています。日本メディアは日本社会の国際化の重要性をいつも訴えているにもかかわらず、自らの組織の閉鎖性にはほとんど無頓着です〉

 これには驚いた。そのとおりだ。僕も昔、新聞社に勤めていたが、こんなことは考えてもみなかった。全く「無頓着」だった。ガーンと頭をなぐられた思いだった。多くのことを考えさせられた一日だった。

 

  

※コメントは承認制です。
第136回 「中国といかに向き合うか」を考えた」 に9件のコメント

  1. magazine9 より:

    〈こんなに「日中対立」が言われながら、中国からの留学生は多い〉。言われてみればほんとにそのとおり! いかに「知らないで、ムードだけで判断」していることが多いかを改めて考えさせられます。
    日本に「嫌中」の人がいるように、中国にももちろん「反日」を叫ぶ人もいるでしょう。けれど、そこだけに目を向けて、こちらも攻撃的になるのはなんとももったいない。〈長期戦略で中国の「知日派」を育てる〉べき、という藤野さんの指摘、うなずけます。

  2. 上野俊一 より:

    「第三の目」で日中関係を見詰める。それは日中に限らず、世界の姿をありのままに見るための基本姿勢ですね。今の日本政府を見て私たちを判断されても困るように、中国政府の有り様を見て中国が分かった気になっても、向こうの人たちも困惑するはず。もともとあちこちに人が暮らしているだけで、国なんぞ行政の便宜上の区分けに過ぎない、くらいに思った方がいいと思います。

  3. そういう表面的なことじゃなくて、鈴木さんは右翼なんだから、日本の右翼の歴史に面と向かって向き合ってそこから論を起こして欲しいな。北一輝とか宮崎滔天とか黒龍会の内田良平とか、中国に革命輸出してたでしょう。神保町へ行けば周恩来ここの学ぶの碑が今でもあるし。要するに天安門の残党の人たちとか弾圧されてる作家とか民族とかに資金と人材を提供していた。まあそれが日本の帝国主義にうまいぐあいに利用されてしまったというのはあるけれど、目先のヘイトスピーチや中国共産党の軍拡だけじゃなくて、右翼の末裔としてその辺の歴史まで考慮して語る必要が、鈴木さんにはあると思うんですよ。

  4. ピースメーカー より:

    >「レッテル貼りは便利で、すぐに分かった気にさせる。でも、一番危険です」 そして、
    >こう言う。  「たとえば鈴木さんに“右翼”というレッテルを貼って、それで理解した
    >気になっている。“右翼”というと暴力的で、すぐカッとなって、話し合いの出来ない
    >人。というイメージを持ってしまう。 しかし、会ってみると違うでしょう」と言う。
    >だから、中国もレッテルを貼って、それだけで分かった気になってはダメだ、と言う。
    >そうか、僕は「中国」なのか。中国と同じ「レッテル貼り」をされている。同じ被害者だ。

    でも、ネットウヨクとか右傾化とかヘイトとかいう「レッテル貼り」は、護憲派の人々や近隣諸国の民族主義者たちの中では今でも立派に有効で、便利に使いまわしているでしょ?  「富国強兵国家」なんて、かつては日本を非難する為の、これまた便利なレッテル貼りで、今までそういった「レッテル貼り」を使っていれば真の平和が到来するという感じで運動していた人々には、「冷静に話し合うべきだ」なんて言う資格は無いんじゃないでしょうか?
    必要なのは日中の双方が、「知日派」と「知中派」を併せ持つ人材を数多く確保し、彼らに権限を与える事。
    「レッテル貼り」に手を染めない、自国も他国も透徹した知性で相対的に見ることのできる人間が必要でしょう。

  5. 花田花美 より:

    日本にとっての外交の大部分はアメリカ・中国だと思います。
    今までは、アメリカに依存しすぎの状態でした。
    アメリカが経済的に調子がいいときはそれでもよかったのかもしれませんが、
    アメリカが数々の戦争で経済的に落ち込み、中国がアメリカに追いつこうとしている状態を考えると、
    いつまでもアメリカにべったりしているだけの外交ではだめでしょう。
    中国がせめてきても、アメリカは日本を守らないというのは、世界の常識、日本の非常識のようです。
    アメリカ議会が、日本を守るために中国と戦争する議決なんて、出すはずないでしょうが・・・
    また、沖縄米軍基地の米兵犯罪の多さを考えても、アメリカべったりはだめでしょう。
    「中国といかに向きあうか?」
    タイムリーで、いちばん大切なテーマだと思います。
    私は、尖閣問題棚上げが最善策と考えます。
    また、工場の連携、輸出入など経済的損失のことを考えたら、
    戦争なんてばかなことはできないと思います。

  6. ピースメーカー より:

    日中、日韓の相互不信は、その3国に「和解」という行為を客観的視点から熟慮できる人材が乏しい事に尽きる。
    例えば鈴木邦男氏は「右傾化」という単語を使い、「過去の過ちを見て見ぬふりをするのは単なる排外主義」と断じ、そして「右傾化」や「排外主義」と敵対し、屈服させなければ「和解」は不可能だと考えているとしよう。
    しかし、「富国強兵国家」という単語を使い、「軍拡を推し進め、他国の領土を強奪しようとするのは帝国主義」と断じ、中国と敵対し屈服させようと考えている人間に対し、同様に敵対と屈服が問題解決の唯一の道である鈴木氏には、「中国は『遅れてきた富国強兵国家』であり、ただ罵倒してもダメだ」と説教する資格が無い事になる。
    そして「説教する資格がない」人間同士が好き放題怒鳴りまくっていた結果が、今の事態を招いたと私は考える。
    そもそも、「歴史認識」や「領土」や「軍拡」といったファクターが「和解」の為にどの程度のウェイトを占め、どういう形で討議し、どの程度で妥協すべきなのかといった視点が欠落している限り、我々は「(米国にもたらされた)「幻想の平和」の中で、それを自分達が作り出した勘違いしながら生きていく(by伊勢崎賢治氏)」ことになるだろう。
    伊勢崎氏の仕事を見れば分かる事だが、「和解」という行為は即ち、双方をどのように「妥協」させるかに尽きる。
    「領土」という問題は「妥協」を求めるが、「従軍慰安婦」という問題で「妥協」を拒み続ける、そんな事を続ける限り、伊勢崎氏もシリア問題で「やっぱオバマ上手いよね(笑)」と褒めるような米国に従属し続ける事になるだろう。

  7. いぶし丼 より:

    「誰かと向き合う」って「俺はこの人に何をしてあげられるんだろう」ってことなのかな。
    自分で自分のことすら解らないんだから自分が相手を解ってあげられる事なんてほんのちょっぴりだけだろうし、それが分かっているのに相手に何かを期待するなんて図々しすぎるもの。

    「国同士のお付き合い」なんて話は難しくて、ご近所サンと挨拶程度の付き合いしかない俺には考えも及ばないけど、誰も住んでない場所の領土を取り合うのってやっぱおかしいよなあ。
    領土領海なんていう生活圏を守るために作ったルールが、いつの間にか地球の取り分の話になっちゃってんだから。
    「俺のもんだ」「いやいや俺のだ」なんて、さも国の代弁者みたいな顔した人達のやり取りがあるけど、「国」なんていうでっかい仮想機械に擬似人格を与えてしまえば人の制御など簡単に振りほどかれてあっという間に暴走しちゃうのに。

    そこに「暮らし」がないのなら土地は誰のもんでもないでしょ、って当たり前に思う。どうしてもその土地を「国」として使いたいんなら、世界中の「人」に対して還元すべきものがあって然るべきだろうとも思う。
    (歴史好きには異論もあるだろうが)既に人が暮らさなくなった尖閣諸島や竹島は勿論、沖ノ鳥島なんかも本来はどの国だろうが領有権を主張すべきじゃないんだと思う。住んでもいないのに人類が管理すること自体おこがましいよ。
    でもその一方で北方領土に関しては人に代わって国が賠償を求めるべき問題であるに違いない。
    人あってこその国、暮らしあってこその土地。そうじゃないのかね。

    もしその土地の暮らしがA国とB国で半々なら統治の仕方も半々でいいし、相容れないルール同士なら独立国になりゃいい。もっと言えば「俺、来月から中国人になるよ」って自分が決めたなら「日本に住む中国人」として暮らせるのでもいい。もし住民全員が日本人を辞めたなら日本の領土じゃなくても構わない。
    別に大して不都合はないでしょ。
    それをされて困るのは為政者であって我々じゃない。尤も「誰一人として見捨てない」って覚悟こそ「全体の奉仕者」の役目だから人の生き方に文句のありようもないだろう。

    まあ俺は生き方マイノリティだから同じ日本人にも賛同は得られないだろう。
    ただ、唯一日本国憲法だけは国籍と居住地の自由をちゃんと保証している。国という名の暴走機械が二度と人間を滅ぼすことのないように、との願いがここにも現れているように感じるんだが、これもマイノリティ故の願望かな。

    人類が永遠に奪い合うだけなら勝者の誕生はそのまま文明の終わり。例え文明が終わらなくとも人はずっと機械の奴隷だ。自由を守り、与え合うなら人は永遠に生きられる。「まだ与え合えない人達」の分まで与えてあげられるほど俺が強く生きられたなら、どれほど幸せな人生なんだろう。

    果たして日本という国は自ら奪い合いを止め、世界に統治の在り方を問い直す道を選べるのか、それとも架空の所有権を取り合うために人間同士の仲違いをこれからも求め続けるのか。
    日本に暮らす一人としてはそれを身近な課題に感じるよ。

  8. かくぞう より:

    国と国との関係と人間と人間との関係は同じです。
    「嫌い」と思ったとたんに上手く行かなくなるもの。
    ご近所同士のいざこざが原因で殺人なんて事件も稀に起こりますが、その時は殆どの人が「馬鹿なことを」、「そこまでしなくても」と考えると思います。
    相手が自分を嫌いだと解っても、根気強く挨拶し続ければ、殺人にまでエスカレートすることなどはおそらくは無いでしょう。
    戦争を再び起すことによる犠牲と、過去の過ちを認めて謝罪し続けることによる和解とを天秤に掛けた場合、どちらを取るのが自国の利益になるのかは言わずもがなだと思います。

  9. Isoda toshio より:

    私は中国人の懐の深さが好きだ。私は韓国人の律義が好きだ。がいずれも現政権は嫌いだ。権力を維持するために、反日・嫌日思想することで民衆に迎合しようとする、卑しい阿りが、、、
    技術進化が進み、経済格差も中間層へと収斂されれば100年後には日中韓国が連邦国家となっている可能性だってあるのに、、、それでも尖閣に防空識別圏を設定するということにはハラ立つなあー。まるで戦争誘発行為だ。戦争はいけないが、日本人も気概を持ってハラ括る時が来つつあるのかも知れない。ダラけた平和主義下で権力者も、民衆も地球環境資源をムダに費消しながら存命していることの反省する機会かもしれないが、、、

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

最新10title : 鈴木邦男の愛国問答

Featuring Top 10/89 of 鈴木邦男の愛国問答

マガ9のコンテンツ

カテゴリー