山本義隆さんの講演を聞きに行ってきた。10月21日(金)、京都精華大学で行われたのだ。山本さんは、元・東大全共闘議長。学生運動の〈伝説〉的な人だ。僕は右翼学生だったけど、左翼だから敵だ、なんて意識はない。時代を動かした人だ。日本を動かした人だ。そう思い、遠くから見ていた。学生運動の嵐が去った後は、予備校の講師をやっていた。しかし、マスコミの取材には一切応じない。対談や講演も一切しない。会うことはないのかと思っていた。
ところが最近、本を出した。自分の専門の物理学の本と、学生運動時代についてだ。又、学生運動の写真展の責任者になり、その場で挨拶をした。ほんの短い挨拶だが、それでも、「話をした」と話題になった。東京でやったこの写真展を見に行った。その時、ほんの短く挨拶した。「10・8山崎博昭追悼 ベトナム反戦闘争とその時代展」だ。その直前にも新宿で集会があった。どちらも、ちょっと挨拶しただけだ。
しかし、今回は講演会をやるという。初めてだろう。東大闘争でヘルメットをかぶり演説している写真はよく見たが、あの時以来ではないのか。大勢の前で演説するなんて。これはぜひ聞きに行かなくては、と思って行った。精華大学は漫画家の竹宮惠子さんが学長だ。いろんな学部・学科がある。面白そうな大学だ。
山本さんの講演のタイトルは「近代日本と自由-科学と戦争をめぐって-」だった。大きな講堂が満員だった。500名集まったという。驚きだ。それだけ、山本さんの講演を聞きたい人がいたんだ。全国から来ていた。京都駅からは、ちょっと遠い。それに結構不便だ。地下鉄で国際会館前駅に行き、そこからスクールバスに乗る。そして山の中の大学に入って行く。それしかない。午後6時半から8時半まで。後半30分は質問を受けていた。僕は8時半にすぐ帰った。本当は懇親会にも出たいし、京都に泊まりたかったのだが、翌日、仙台で父親の27回忌の法事がある。「最後だから、必ず来いよ」と言われていたので、最終の新幹線で東京に戻り、翌日の朝一番で仙台に行くためだ。でも、8時半にドッと人がスクールバスの乗り場に行く。2台ほど乗れなくて、やっと3台目に乗ってギリギリで京都駅に着いた。大変だった。
でも、それだけの苦労をし、交通費をかけても、行った甲斐はあった。それだけの価値はあった。最近聞いた講演会の中では、最も感動的な講演だった。出版社、新聞社の人もいたので、「これはぜひ本にすべきだ」とすすめた。「科学と戦争」をめぐって、こんなに本質的な話を聞いたのは初めてだ。
映画や小説の中では、科学者は大体いい人、犠牲者として描かれる。聖戦貫徹を叫ぶ無教養な文科系人間によって戦争は煽られ、人民はバタバタと死んでいく。頭のいい科学者たちは、とても勝ち目がないことを知っている。人を殺す国のためになんか協力するものか。そう思いながらも国家の暴力によって、強制的に協力させられる。そんな話が多い。「いい科学者」と「悪い文科系」という図式で理解してしまう。しかし、それは間違いだと山本さんは言う。日本の戦争中だって、日本の科学者たちはどれだけ喜んで協力したか分からない、と言う。これは日本だけじゃない。世界中で皆、これはやられてきた。この日の資料にも、こう書かれていた。
〈日本の近代化150年。その前半は軍事大国への道。後半は経済大国化への道であり、いずれの場合も総力戦として戦い、(中略)科学技術に対する信頼は揺らぐことがなかった〉
純粋に学問、研究をやっているだけだと思っても、「総力戦」に利用されやすいのだ。これは、東大闘争でも同じようなことを体験したのかもしれない。そう思った。こんな話は初めてだったので、ショックを受けた。
そのあと、山本さんへの質問だ。「科学者の責任」はどうするのか、文科系はもういらないので潰そうとしているのか…などなどだ。その中で、面白い質問をする人がいた。「山本さんはものすごく優秀で、ノーベル賞をとるのでは、と言われていた。それなのに学生運動に走ってしまった。もし、研究一筋にやっていたらノーベル賞をとれたし、今日のお話も、もっともっと多くの人に聞かせられたと思うのですが」。
ウーン、それは言える。そう言っている人は何人もいた。戦争に簡単に協力するような科学者、これを批判し命をかけて戦争協力を阻止する。そういう立場になっていただろうに、と言うのだ。これに対し、山本さんは珍しく怒った。声を荒らげて言った。「そんなことを書くマスコミは嘘ばっかりだ。だから、僕はマスコミには一切会わないんです」と言う。でも、これは山本さんを批判する質問じゃない。山本さんへの期待だ。そうした闘いの姿勢がない限り、再び科学者は戦争にやすやすと協力するだろう。
「僕はそんなに優秀ではない。ノーベル賞なんて全くあり得ない。マスコミの嘘、偽情報です」と声を荒らげて言っていた。謙虚な人なんだろう。でも、余り謙虚になりすぎることもない。あれだけの運動を作り上げた人なんだ。それは認めたうえで「科学の責任」を語ったらいいだろう、と思った。
昨年9月に、山本義隆さんが、長く重い沈黙を破り、初めて安保闘争について語った本『私の1960年代』(金曜日)が出版されました。この本の中で山本さんは、科学技術への考えや原発問題についても触れています。全共闘時代を知らない若い人にとっても参考になるのではないでしょうか。
立場上、あまりお考えを表さないようにしておられますが、経済同友会の小林会頭も化学の功罪について経営者としての立場をはなれると、深く考察されておられるようですよ。
>「科学者の責任」はどうするのか。
政治が憲法を乗りこえたとき法律家は何をなすべきか。立憲主義、民主主義を破壊する側に加担するのか否か。科学者を法律家に置き換えれば、通じるものがあるような気がします。
731部隊にも多くの研究費が投じられていたようです。金と安定した地位をチラつかされて心が動かない人間はそういないでしょう。しかし先般、軍事研究に大学を利用しようという安倍政権の思惑を法政大学が全否定し、応募を禁止しました。法政に続く気骨のある大学が増えることを祈ってやみません。