鈴木邦男の愛国問答

 石川啄木の歌は好きだった。中学や高校の教科書にも出ていた。国語の教科書に出てくるからといって、「偉人」でもないし、「立派な人」でもない。歌はうまいが、世をすね、うらみ…。そんな歌が多い。生活も乱れていた。そういう話を学校の先生はしていた。「歌は素晴らしいが、とても付き合いたくはない人です」と先生は言う。そんな人の歌を俺たちに教えるのかよ、と思った。
 「いや、啄木死後の今だからこそ、我々は啄木の天才を評価できるのです。だから我々は幸せです。啄木が生きていた時代だったら、生活の乱れなど現実の啄木の姿を見てるから、正しく評価はできなかったんです」と先生は言う。中学・高校の国語の先生は皆、そういう言い方をしていた。啄木の生き方は、ひどい。でも、歌は素晴らしい。汚れた沼の中にも美しい蓮は咲くのです。そんなことを言っていた先生もいた。

 だから、僕らは〈洗脳〉されてきたんだ。「啄木の歌は凄い。素晴らしい。でも、啄木そのものは、ひどい。あんな生き方を真似してはダメだ」と。人間そのものは破壊されていた。でも、のこした歌は素晴らしい。そう思ってきた。じゃ、ナマの啄木がいなくて、人工知能が歌をつくったらよかったのに、そうも思う。

 ただ僕は、そんな、ひねくれた啄木が好きで、随分と読んだ。そこにひかれて評伝を書いた人も多い。井上ひさしも書いてるし、関川夏央の原作で漫画にもなっている。泣き虫で、嘘つきで、金や女にだらしがなく…。という面がよく出ている。生活ができないからと友人に泣きついて金を借り、その金で女を買いに走っている。こんな人間は今だっている。啄木は死んでから歌集をのこし、天才歌人として人々の心にのこっている。だから、まだいい。今は、才能もないくせに、「僕は世の中に受け入れられない」「不幸だ」となげき、うらみ、すねて、酒を飲んであれている人がいる。一人や二人ではない。かなりいる。絶対に付き合いたくない人間だ。啄木もそうだったんだろう。同時代、生きてた人は大変だ。とくに、金田一京助だ。いっしょに住み、面倒をみている。大変だったと思う。偉い。この人がいなかったら、歌人・啄木は生まれなかった。

 歌は好きだが人間的には嫌いだ。興味はあるが評伝なんか書きたくない。日本の文芸評論家は皆、そう思っているだろう。ところが、ドナルド・キーンさんが書いた。『石川啄木』(新潮社)だ。厚い。400ページもある。〈現代歌人の先駆となった啄木。膨大な資料をもとにその壮烈な生涯をたどる渾身の本格的評伝〉と本の帯には書かれている。キーンさんも、ご苦労なことだ、と思ったが手に取る気はない。厚すぎるし、圧倒される。でも、読んだ。いや、読まされたのだ。週刊「アエラ」の書評でやれと言われて。そんな「強制」でもないと読まなかっただろう。

 時間はかかったが読み終えた。驚いたし、キーンさんに叱られてると思った。僕らは啄木のことをロクに知らない。知らないくせに、「歌はいいが、人間的にはダメだ」と批判している。なまけ者で、世の中をうらみ、文句ばかり言っていた。こんな人間とは酒を飲みたくない。と言っている。でも、君たち日本人は本当に啄木を読んだのか、啄木の全てを読んだのか! とキーンさんは言う。キーンさんは啄木の作品を全て読み、取材をして書いた。あの悪名高い『ローマ字日記』も全部読んだ。これは啄木が妻に読まれないようにローマ字で書いた。主に、女あそびの話が書かれていて、とても読めたものではない。文学的にも全く評価・研究されることのない『ローマ字日記』をはじめ、膨大な資料を読んで、キーンさんはこの本を書いた。

 日本人ではこれは書けなかった。と思った。キーンさんは日本が好きで、最近日本に帰化しているが、長い間「外国人」だった。その「距離感」が、かえって客観的な啄木評を書かせたのだと思う。「時に破廉恥ではあっても常に我々を夢中にさせ、ついには我々にとって忘れ難い人物となる」という。「時に破廉恥ではあっても」と、サラリと流している。我々、日本人ではこうはいかない。人々も、マスコミも、「破廉恥」だったら、それだけを大きく取り上げ、追及する。非難する。それ以外のことはどんなに立派であっても、私生活上の「破廉恥」があったら、絶対に許さない。それに、自分は正義感で批判しているのだ。真実を知りたいだけだ。と、きれいごとを言う。本当は、ねたみや嫉妬かもしれないのに。

 「啄木は、千年に及ぶ日本の日記文学の伝統を受け継いだ」とキーンさんは言う。エッ! そんなに凄いことをやった人なのかと驚いた。キーンさんには、啄木のことだけでなく、日本の文学史を教えられた。それだけではない。日本人とは何か、日本人はどう生きるべきか、ということも教えられた。日本人とは何か、を考えるのなら、まず啄木を読めと言う。だって「啄木は、『最初の現代日本人』と呼ばれるのにふさわしい」と言う。これも凄い断定だ。全く知らなかった。じゃ、啄木の全集を読もう、と決意した。

 

  

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第197回僕らの知らなかった「石川啄木」」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    ぼんやりと「一握の砂」を習った記憶がよみがえって来ましたが、あらためて本棚をひっくりかえしてみたくなりました。鈴木邦男さんによる『石川啄木』の書評は、現在発売中の週刊「アエラ」4月25日号に掲載されているそうです。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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