鈴木邦男の愛国問答

 4月2日(土)、急いで東京に帰ってきた。前日から北海道に行っていた。ニセコのスキー合宿に参加していた。スキーは30年ぶりだ。でも自転車と同じで、一度覚えたら、いくらブランクがあっても出来るものだ。と思っていたが、考えが甘かった。基本から習った。大変だったし、必死だった。でも大自然の中で、気持ちがいい。2日も夕方までいて、スキーをやるつもりだったが、夕方からの埼玉・浦和での集会に出てくれと頼まれ、昼の飛行機で急きょ、帰ってきたのだ。

 夕方から浦和でやるシンポジウムだが、初めは5、6人でやる予定だったが、出てくれる人が皆、都合が悪くなって、立教大学の門奈直樹先生しかいない。一人だけではシンポジウムにならないので、ぜひ出てくれと頼まれて、急いで帰ってきたのだ。場所は、浦和コミュニティセンターだ。浦和駅東口のパルコの9階にある。
 
 2年前もここに来たことがあるな、と思い出した。確か、浦和9条の会に呼ばれて講演したのだ。そのとき来ていた人もいた。しかし、主催も、会の名も違う。〈私たちの手で選挙共闘の実現を!〉というシンポジウムだ。夏の参院選を前にして、「自民党の暴走を許さない」「憲法改正に反対」「野党は頑張れ!」という集会だ。野党のどこかを支援するというのではない。野党であればどこでもいい。ともかく、野党は頑張ってほしい。野党共闘をやって、自民を打ち破ってほしい。そういう集会だ。積極的、攻撃的な集会ではない。「野党はとにかく頑張れ」「みんな、野党に投票しよう!」と呼びかける集会だ。これじゃパネラーも来づらい。

 この日のパネラーは、門奈直樹さん(立教大学名誉教授)と僕の二人。二人が討論し、その後、会場の皆も参加して話し合う。又、学生、サラリーマン、子育て中のママも話し、さらに、民進党、社民党などの野党の声明文朗読がある。共産党だけは埼玉の代表者が来て、挨拶をしていた。熱意、やる気が違うと思った。

 「あれっ、先週も同じような集会があったよな」と思った。3月24日(木)の集会だ。午後5時から永田町の憲政記念館のレストラン、霞ガーデンで開かれたのだ。〈戦後最悪の政治危機! 変革を目指す野党国会議員と語る会〉だ。つまり、二週続けて、「野党を支援する集会」に出たわけだ。こんな奇妙な集会に、それも二回も続けて出たなんて、初めてだ。今の政治は「一強他弱」といわれる。自民だけが強力で、何でもやってしまう。法案をつくり、次は憲法まで変えようとしている。自衛隊を強力な軍隊に変え、アメリカと一緒に戦争に行く。「戦争のできる軍隊」にしようとする。自衛隊は今まで、誰も殺さず、死なない。ところが、そのことにコンプレックスを感じる自民党の政治家がいる。外国の軍隊と同じように、「殺し、殺され」、それがあって初めて「普通の軍隊」になれるし、「普通の国」になれる、と思うのだ。自民党の「メンツ」のために、自衛隊員の命が軽く扱われている。たまらない。

 又、「普通の軍隊」を持って「普通の国」になったら、いつ外国に出て行くかわからない。いつ「戦争」になってもいいように、軍隊が自由に動ける条件をつくる。道路も空も海も、軍が優先だ。国民の「わがまま」は一切封じられる。「言論の自由」も大きく制限される。もちろんデモ、集会などは出来ない。「戦争のできる国」にしようとしている。参院選で自民・公明の与党が圧勝したら、すぐにでも憲法は改正される。これは危ない。何とか、野党に頑張ってもらいたい。そういう叫びにも似た集会だ。
 僕らが学生の時は、左翼が圧倒的に強かったから、こんな「後ろ向き」の「守り」の集会などはなかった。ズバリ、「自民打倒!」で集まり、国会を包囲しよう、と言った。でも、今、「野党を支持する集会」なんて、今の日本の人々の気持ち、国民の焦燥を一番表しているのかもしれない。

 第1回目の集会から報告しよう。3月24日の憲政記念館だ。野党各党も危機感を持っているし、場所も国会の近くなので、参加者は多かった。民主党、社民党…と20人以上の国会議員が出席した。鳩山由紀夫さん、松木けんこうさんなどが挨拶し、さらに「野党議員を応援する」人々が発言する。一水会代表の木村三浩氏、「スマイル党」のマック赤坂氏、僕も挨拶した。今、安倍政権に期待する右派、保守派の心情について話をした。

 次に4月2日の浦和だ。同じような主旨だが、国会議員はいない。そのかわり、保育園がなくて困っている主婦、奨学金の問題に苦しんでいる学生、その他、市民運動をしている人たちが、この国の「生きづらさ」を訴える。
 前半は門奈直樹さんと僕で話を進める。札幌から帰ってきて、すぐに浦和に駆けつけた。主催者から「今日のパネラーの門奈さんです」と紹介された。「はじめまして」と僕は名刺を出した。そしたら門奈さん、「鈴木さんとは以前、会ってます。大阪のテレビで」と言う。そうか、全く忘れていた。「10年前くらいですか」と聞いたら「いや、25年前です。大阪のテレビです。司会は猪瀬直樹さんでした」。あっ、そうか。で、段々と思い出した。
 
 25年前の1991年(平成3年)は、1月17日に米・英など多国籍軍がイラク空爆を開始し、湾岸戦争が勃発した年だ。2月24日、湾岸戦争が地上戦に突入する。その前日の2月23日、大阪よみうりテレビに出たのだ。猪瀬直樹氏が司会の「パラダイム’91」で、「緊急討論! 和平なるか湾岸戦争」。出演者は加瀬英明、色川大吉、辻元清美、門奈直樹…と豪華な顔ぶれだ。そこに、僕も出た。ギャラリーには、学生が大勢いた。その「激論」を猪瀬さんが強引に仕切り、ひっぱっていく。

 この4年ほど前に、「朝まで生テレビ」は始まった。「朝生」の後、大阪だけでなく、名古屋、福岡などでも政治討論番組は生まれた。しかし、今残っているのは「朝生」だけだ。4月2日、門奈さんとその頃の話をした。不思議なことに、当時、どこの討論番組も政治家は呼んでない。活動家、ライター、評論家、学者ばかりだ。「政治家には頼らない。俺たちだけで世の中を変えるのだ」という気概があった。これは、大学における学生運動もそうだった。外部の政治党派の力に頼るのは不純だ、という気持ちだ。「朝生」も、天皇制、差別、原発、憲法…といった「タブー」に挑戦しながらも、(初期のうちは)政治家を呼んでいない。「国会内の争い」にしてはダメだ。国民全体の問題だと思っていた。それが、いつの頃からか、政治家を呼ぶようになった。又「政権交代」が出来そうだという「希望」「夢」が見え出した、その頃からだろう。番組に政治家を大量に出し、「政権交代」を煽った。国民も「自分の力で政治を変える」ことを忘れ、政治家に期待した。期待された野党も思い上がった。又、政権交代が出来るようにと、小選挙区制にも賛成した。小選挙区、テレビの討論番組の後押しもあって、民主党は政権をとった。だが、その後の凋落は、皆が知る通りだ。沖縄の基地や原発について、「民主党は夢や理想だけを言う。だからつぶれたんだ」と言われる。政治は力だ。現実を見ろ。周りの国々は強力な軍隊を持ち、日本を狙っている。それらから日本を守らなくてはならない。そういって自民党は政権を奪い返し、さらに「右傾化路線」をまっしぐらだ。

 元はといえば、民主党をはじめとした野党のだらしなさから始まったことだ。自己責任だ。でも、今、そんなことを言っている余裕はない。こんな野党でも頑張ってもらわなくてはならない。スッキリする話ではないが、僕も同じようにそう思っている。夏の参院選前までには、集会がもっともっと開かれると思う。

 

  

※コメントは承認制です。
第196回とにかく、野党に頑張ってもらわなくては」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    安保法制反対と立憲主義を守るという目的で、各地での野党共闘が進められています。「どこかスッキリしない」と、鈴木さんと同じように感じている人もいるかもしれません。しかし、選挙で勝つことの大事さを、現政権になってから何度も身にしみて感じてきたのも事実です。選挙まであと少し。自分の地元はもちろん、各地での動きにも注目していきたいと思います。

  2. うまれつきおうな より:

    この期におよんでまだ右肩上がりの時代のぜいたく病である「共産アレルギー」をかかえてブツブツ口を出す政治家や老人には腹が立ってしょうがない。「ワシらはアメリカさんや、昭和の企業中心社会には恩義がある」なんて理由で若い人の命や我々の生活が質入れされるなど冗談ではないと思う。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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