8月15日(土)、靖国神社に行ってきた。早い時間ならば静かに参拝できると思って、午前10時前に行った。でも、もう凄い人だったし、騒然としている。地下鉄・九段下駅から靖国神社までの道は、人がギッチリで、全く進まない。道の両脇には「出店」が並んでいる。お祭りに出てくる、金魚すくいや綿アメなどの「出店」は神社の内も外も一切禁止だが、ここに並んでいるのは政治的プロパガンダの「出店」だ。そして、署名を求めている。勿論、右派的なプロパガンダばかりだ。「靖国神社に来る人は当然、これを買うべきだ。署名すべきだ」という威圧がある。たとえば、「日本を否定する朝日新聞を廃刊に追い込みましょう」「大嘘の“南京大虐殺”の書いてない、正しい教科書が生まれました。支援しましょう」。そして、「安保法制賛成!」と書かれている。でも、「東京裁判は認められない」「日本は正義の戦争をしたのだ」「悪いのはアメリカだ!」という垂れ幕もある。日本は平和的な国家で、戦争などする気がなかったのに、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に誘い込んだんだ。「ルーズベルトの謀略」にはまって日本は真珠湾を攻撃したんだ。…と信じている保守派の人間や右派の人は今もいる。「東京裁判」は「勝った国」が「負けた国」を裁いているもので、公平なものではない。認められない。日本を戦争にひきずり込み、原爆を落として民間人を大量虐殺したアメリカこそが「戦争犯罪人」だ、という。又、そんなアメリカが「日本弱体化」のために押しつけたのが日本国憲法だ。だから、こんなものはアメリカに叩き返し、自主憲法を作るべきだ、という。
謀略論にはついていけないが、アメリカからの自立には賛成だ。しかし、自立を主張しながらも、安倍政権の安保法制には諸手をあげて賛成する。これも奇妙な話だ。アメリカの言う通りに自衛隊を海外に出し、アメリカの侵略戦争の手助けをする。これでは「アメリカの傭兵」になってしまう。45年前、三島由紀夫は、このままでは自衛隊は「魂のない武器庫」になる、「アメリカの傭兵になる」と言った。そして憲法改正を訴えて自決した。三島ならば、今の事態を見て、「ほら見ろ、アメリカの傭兵になりつつあるじゃないか!」と言うだろう。でも今の保守派や右派は気がつかない。むしろ、こう言う。「45年前に三島が憲法改正を訴えたが、国民の耳には届かなかった。今はやっと届いている。安倍首相自らが憲法改正をやると言っている」。安倍首相信奉者は言う。三島由紀夫、その前の吉田松陰の憂国の叫びを今、実行しているのが安倍首相だと。三島や松陰はこれを聞いて、どう思うのか。
8月15日の靖国神社だが、そんな政治的「出店」の中を通って、やっと靖国神社に着いた。外は騒然としているが、内は静寂だと思ったが、内も騒然・雑然としている。テントをはって、集会が行われている。又、「軍人」が多い。戦争に行ってきたんだろう。「ご苦労さまでした。大変でしたね」と声をかけた。でも、年を聞くと80歳だ、81歳だと言う。70年前の終戦の時は10歳だ。じゃ、その時、軍人だったはずがない。又、立派なヒゲをたくわえた軍人もいる。「アッ、あの人だ!」と思った。映画『靖国 YASUKUNI』や『天皇と軍隊』などにも取り上げられた「軍人」だ。「靖国にはこんな軍人たちが集まり、突撃ラッパを吹き、“戦争をやれ”と絶叫している」。そんな文脈で靖国がとらえられるとき、必ず出てくる「軍人」たちだ。でも年を聞くと80歳位だ。本物の軍人ではない。そして、いわゆる「反日映画」「反靖国映画」には必ず出てくる。そうか、「役者」なのか。普段は全く目立たない、家でも邪魔にされてる老人なのに、8月15日だけは注目される。コスプレして「旧軍人」になりきっていれば、一躍「人気者」になれる。日本だけでなく、外国のカメラマンも写真を撮る。全世界の新聞にデカデカと載る。靖国神社や日本の軍国主義を批判する映画にも取り上げられる。そこでも「主役」だ。その映画を観て、僕らもコロリと騙される。戦争に参加した旧軍人も日本を憂えて靖国に来ているのかと思ってしまう。
又、「若い軍人」たちも沢山いた。これはすぐにコスプレだと分かる。軍服を着て、人を集めて演説している人もいる。軍歌を教えている人もいる。中には特攻隊の格好をしてる人もいて、これは心が痛んだ。特攻は尊い犠牲だ。この人たちの犠牲の上に、我々は今、安心して生きている。それなのに、その人たちの格好をしていいのか、と思う。ただただ「申し訳ない」と思い、慰霊をする。「二度と戦争はしません」と誓う。それこそが大事だと思う。それなのに特攻の物語は利用されている。「日本を取り戻す」ために利用されている。それでは、特攻の人に対しても申し訳ない。
この前日、8月14日には戦後70年に関する「安倍談話」が発表された。「侵略」「植民地」「おわび」…などのキーワードをはめ込んで、「安倍カラー」で文章を作った、という感じだ。村山談話、河野談話があるのに、さらに何を付け加えるのだろう、と思っていたら、過去の談話を継承すると言ってるが、ともかく、その内容を薄め、その上で安倍イデオロギーを出そうとした。そして、やたらと「説明」と「弁解」が多い。さらに、村山談話、河野談話などを引用し、継承するという。そして、言う。〈「謝罪」次世代に背負わせぬ〉と。「次世代」の若者からは好感をもって迎えられているのだろうか。今や、戦後生まれは80%以上になる。でも、これは世界に向かって言うべきことなのか。本人が心の中で思うのなら分かる。しかし、こうして堂々と言うと変に誤解される。村山談話、河野談話などで、さんざん謝ってきた。だから、もういいだろう。いつまで謝る必要があるんだ。と居直っているようだ。日本人のプライド、自分のプライドを示したつもりだろうが、これはどうなのか。弁解や説明をしないで、もっとはっきりと反省、謝罪をしてよかったのではないか。
この安倍談話が発表された夜(正確には8月15日の早朝)、「朝まで生テレビ!」で、この問題を取り上げていた。賛成、反対、相半ばしていた。司会の田原さんもかなり不満を述べていた。そして、「今日は戦没者追悼式があります。天皇陛下のお言葉がありますが、かなり踏み込んだものになると思います」と言っていた。安倍政権への不満と、天皇陛下への期待を語った田原さんの個人的な思いだと考えた。しかし、本当にそうなっていた。「ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」と言っている。天皇陛下がお言葉の中で、「さきの大戦に対する深い反省」との文言を盛り込んだのは初めてだという。田原さんの言う通りだった。深く踏み込んだものになっていた。「もう謝罪はいいだろう。打ち止めだ。そして憲法改正だ」と突き進む安倍政権。それに不安を持つ天皇陛下。そんな構図が、又も見えたような気がした。
結局何が言いたいのか、責任逃れをしようとしているのではないか――キーワードが盛り込まれた割には、そんな印象を与えた安倍談話だったのではないでしょうか。SEALDsメンバーでもある大学生の元山仁士郎さんは、8月15日の「沖縄タイムス」で、安倍談話の「先の世代に背負わせない」という文言について、「僕たち世代が引き継いでいかないと、また悲劇が繰り返されてしまう」と話していました。「私たちの子や孫」にあたる世代としては、勝手に言い訳に利用されたような気がするのです。
世界恐慌に突入した現在。
世界はWW3へ一直線。
これも運命か?
田舎町に住む私は、地元農家の親方連中と飲んだ席で政治的な話題をする際、「私は親米でもなければ、嫌米でもない、アフガニスタンやイラクで侵略軍と戦っている義勇軍に心を寄せたいとする気持ちがある。それは、右か左かと問われれば、右翼的だと思う。」と答えることにしてきました。2008年洞爺湖サミットの際、反G8グループをサポートしましたが、近隣の多くが私のことをヒダリと後ろ指をさすようになりました。開催の半年前から公安が我が家の川向かいに四六時中張り込むようになったのがきっかけだったと思います。今さらながらに流言を流布したのだと判った次第です。ミギやヒダリといったレッテル付けは為政者が分断統治する際の常套句なのです。