鈴木邦男の愛国問答

 「永遠の革命家」太田龍さんの追憶集が出来て、その出版記念会があった。5月19日(火)、明治大学の中のカフェであった。激しい革命家だった。この人を知り、過激な運動をやって人生を狂わされた人も多い。この人の理論を忠実に実行しようとして、殺人、傷害、爆弾事件を起こし、逮捕された人も少なくない。近づくのも、反対するのも命がけだ。この人を知った以上はただでは済まない。そんな怖い存在だ。ある意味、オウム真理教の麻原彰晃に似ている。

 「お前だけが無事だったんだ。太田龍のいいとこ取りをしやがって。ずるい奴だ。俺たちなんて、どれだけ苦労し、被害をこうむってきたことか」…と皆言う。元『話の特集』の矢崎泰久さんや映画監督の足立正生さんも、そう言う。その日、挨拶した人は皆、口を揃えて、そう言うのだ。太田龍さんの革命理論に魅了され、ドップリと浸り切り、それを実行しようとして逮捕されたり、あるいは他党派との闘いに巻き込まれたり…と。皆、青春の一時期に〈地獄〉を体験した。そんな被害体験を持った人ばかりが集まって、その革命家を偲んでいるのだ。嫌な、思い出したくもない体験だろう。でも、たとえ最悪でも、理想に燃えて全力で闘った自分の青春時代が懐かしいのかもしれない。

 その点、僕はずるいのかもしれない。太田さんを尊敬しながらも、ドップリ浸り切ることはなかったし、「同志」になることもなかった。だから、「この運動に命をかけよう」と具体的な闘いに誘われることもなかった。だって、初めから「敵」だったからだ。僕が右翼学生運動をやり、その後、産経新聞に勤め、辞めてから、再び運動を始めた。左翼に同情的な本を出したとマスコミに言われて「新右翼」と呼ばれだした。『腹腹時計と〈狼〉――〈狼〉恐怖を利用する権力』(三一新書)がその本だ。昔の右翼の仲間からは「左翼かぶれめ!」と叩かれた。その時、太田龍さんから電話がかかってきて、会った。本を評価してくれた。「敵ではあるが、共に話せる人間だ」と言ってくれた。それから交流が始まった。革命家というよりも、学者のような人だった。共産党ではない、反共産党の左翼運動・理論をつくった人だ。『世界革命』『辺境最深部に向かって退却せよ』といった本を書き、左翼だけでなく、右翼の若者をも魅了していた。アイヌ問題や日本の戦争責任、企業の経済侵略…などの問題について激しく批判していた。その理論を信じ、過激な行動に駆り立てられた若者も多くいた。1974年の連続企業爆破事件も彼の影響を受けた人がやった。という人もいる。だが、僕は、そうした問題には全く心を動かされなかった。誘われもしなかった。初めから「敵」だと思われていたし、内部の秘密など明かすはずがない。僕にとっては、それがよかった。いい「距離感」があったのだと思う。

 話は変わって、今年の6月3日(水)だ。連合会館で「福島みずほ全国応援団の集い」が行われ、参加した。佐高信、宇都宮健児、保坂展人…などの「応援団」と共に、僕も登壇した。満員の会場がドヨめいた。「えっ?」「なんで?」という顔をした人も多い。でも、僕は福島さんを熱烈に応援している。最近はよく会っているし、5月の連休の時は、1週間のうちに5日も会った。雑誌の対談やテレビ討論会などでだ。「鈴木さんはもう言っていることが完全に社民党よね」と言われている。考え方が進歩しているのだろう。それに「いい距離感」があるからだと思う。お互いに、かなり遠い存在として意識していた。昔のように、社会党、社民党は「敵」だ。とは思わないが、「同じ」だとは思わない。そこがいいのではないか。だからお互いが自由に話せるし、少しでも一致した点があると嬉しい。

 僕は今は、社民党、日教組、9条の会、脱原発…といった左の人々から呼ばれることが多い。「敵だと思っていたが、一致する点もあるんだ」と喜ぶことが多い。初めから〈期待〉しないからだ。これはいいと思う。別々のスタート地点から話し合って、少しでも触れ合ったら、そこをさらに進めていく。それが本当の討論のはずだ。「距離感」があるからこそ、出来るのかもしれない。
 それに比べ、右翼・民族派の場合「初めから同じ考えだ」という思い込みがある。だから、少しでも違うと「許せない!」「反日だ!」「非国民だ!」となる。100%同じはずだ。同じ日本人だから分かるはずだ。と思い込んでいる。だからこそ「裏切られた」と思うのかもしれない。そんな場面が多い。僕の話を聞く前に、いきなり胸ぐらをつかんで「売国奴め!」と詰めよる人までいる。いろんな人がいて、いろんな考えをもっている。ということを理解しようとしない。日本人ならば、こう考えるはずだ。日本人ならば、皆、愛国心を持つはずだ…と思って、そこで固まってしまうのだ。
 今の安倍政権も同じだ。「この道しかない」と思っているし、この日本を取り戻すのだ、と言っている。「この日本に生まれたのだから、この国を愛するのは当然だろう。これは常識だ」となる。保守派だという人でもそう思う。そう考えない人は「おかしな人」だから、皆で、注意し、直してやりましょう。となるのだ。「あたりまえ」「常識」がこわい。それが〈強制〉になって、他のことを考えられない。他のことを考えてる人は、もう「日本人じゃない!」と拒絶してしまう。風通しが悪い。いい「距離感」が必要なのだ。

 

  

※コメントは承認制です。
第177回必要なのは、いい「距離感」だ」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    「これが常識に決まっている」という雰囲気が出来上がってしまうと「違う気がする…」と思っても、口には出しにくいものです。そうすると、ますます「やっぱり私だけなのかな」と言いづらくなる。それは、政治だけじゃなくて、生活のさまざまな場面で経験すること。自分が反対の立場になることもあるかもしれません。まず自分の「常識」を疑うことから始めないといけないとも思いました。

  2. 多賀恭一 より:

    敵か?味方か?、だけで右翼・左翼と決めつける人間のなんと多いことか。
    この、多数派を形成している部分こそ、自らの考え・価値観を持ち合わせていない存在なのだろう。
    80年前の独裁者は、これを大衆と呼んだ。

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

最新10title : 鈴木邦男の愛国問答

Featuring Top 10/89 of 鈴木邦男の愛国問答

マガ9のコンテンツ

カテゴリー