鈴木邦男の愛国問答

 「和歌山カレー事件」を考える集会に行ってきた。7月19日(土)、午後2時から、エル・おおさか7階大会議室だ。200人以上が集まり、熱い集会になった。毎年、この集会は行われているが、今年は、こう書かれていた。
 〈和歌山カレー事件から16年。林眞須美さんは、獄中から無実を訴え続けています! 『創』編集長が話す、和歌山カレー事件〉
 この集会に合わせて、創出版から本が出た。林眞須美・他著『和歌山カレー事件――獄中からの手紙』だ。林眞須美さんの獄中からの手紙が主で、他に、夫の健治さん、『創』編集長の篠田博之さんが書いている。篠田さんは事件発生からずっとこの問題を報道し、考えている。そしてこの裁判の不当性を訴えている。この本の帯にはこう書かれている。
 〈状況証拠だけで死刑にしていいのか!〉
 そうなのだ。「はじめに」で篠田さんは書いている。
 〈眞須美さんの死刑判決は、実は決して磐石なものではなく、物証なしの状況証拠のみ、それも極めて危うい証拠構造によって成り立っている。判決で犯行動機は不明とされ、事件の基本構造自体が解明されていない。有罪判決を導き出した証拠も、曖昧な目撃証言や、事件当日カレー鍋に近づいて毒物のヒ素を混入できる可能性のあった人物を消去法で絞っていって彼女にたどり着いたなど、こんな証拠で死刑という取り返しのつかない刑罰を科してよいのかと思われるものばかりだった〉
 死刑判決が確定した後、弁護団が再審請求をしている。今は家族と弁護士以外は接見禁止だ。篠田さんが最後に接見したのは2009年5月1日。最高裁で上告が棄却された直後だった。眞須美さんは篠田さんに言った。「助けてください」「私は殺人なんかしてないんだから、死刑判決なんて納得できないですよ。国に殺されたくない」。そして、死刑の恐怖を口にした。
 「朝、連れ出されることがわかって、えっ、こんなに早いの? と口にしたところでうなされて目をさまします。そんな夢をしょっちゅう見るんです」
 残酷だ。動機もない。物証もない。それなのに死刑だ。おかしいと思ってる人が多い。だが、警察は「彼女しかいない。他にいるか」と逮捕し、マスコミも「稀代の悪女だ。彼女こそ犯人だ」と書き立てた。それを見た一般国民も「そうだ、そうだ!」「こんなことをやるのは彼女しかいない」と思い、言い立てた。その「外部の声」に押されて裁判所も大いに影響される。
 7月19日の集会では、初めに趙博さんの歌があった。「浪速の歌う巨人・パギやん」だ。そのあと『創』の篠田編集長が話す和歌山カレー事件。さらに挨拶。鈴木邦男(林眞須美さんを支援する会代表)と弁護団からの報告。前は三浦和義さんが「林眞須美さんを支援する会代表」だったが、亡くなった後は、僕がやらされている。
 篠田さんは、事件発生直後のマスコミの狂乱ぶりをスライドを使いながら報告した。当初から「犯人」と決めつけ、メチャクチャな事を書いている。又、マスコミに対する眞須美さんの対応も、いいものじゃなかった。何もしてないのに、突然犯人にされ、全マスコミからバッシングされる。連日、家はマスコミに取り囲まれる。頭に来る気持ちは分かる。しかし、マスコミに向けて水をかけるのは行き過ぎている。「ほら見ろ、こんな女だ」とテレビは毎日、毎日、その「水かけ」を報道しまくった。
 それに、眞須美さんは、決して「いい人」ではない。ヒ素を使い保険金詐欺を繰り返した。金にも徹底的にこだわる。仲間うちでヒ素を使って「病気」になり、保険金を騙し取っていた。「そんなことまでしていた悪党だ。人だって殺したに違いない」「他にそんなことをする人はいない」。そう書かれたら、読む方は皆、信じる。警察も、そういう「怪しい人間」を常にリストアップしている。事件があると、「こいつに違いない」と、犯人に「最適の人間」を捕まえる。
 マスコミはそれを受けて、「こんな悪い奴はいない」「他にもこんなことをしている」「あんなこともしている」と書き立てる。そして奇妙なことに、そのマスコミに煽られて警察や検察も、背中を押される。「こんな悪い奴なら罰しなくては」…と。これは鈴木宗男さんや、「ロス事件」の三浦和義さんにも聞いたことだが、検察での取り調べのとき、後ろに週刊誌が山と積まれていたという。そして、「この週刊誌にはこう書かれてたけど、本当か」と聞く。警察が火をつけて煽ったのに、その週刊誌によって逆に自分達が煽られる。又、裁判官だって、「国民がそう思っているのか。そんなに悪い奴か」と「国民感情」を気にする。だから、マスコミも、国民も「共犯」なのだ。
 又、マスコミにしろ一般国民にしろ、素顔の林眞須美さんを知らない。新聞やテレビで見る「水をかけている林眞須美」しか知らない。マスコミ人だって、初めから敵意を持って取材している。それが紙面にも出る。テレビに出る。僕だって、それを見た時は「何ていやな女なんだろう」と思った。ところが三浦さんに言われて接見に行ったら、「普通の」「明るい」「おばさん」だった。それに夫の健治さんの話が衝撃的だった。「確かに私らは保険金詐欺をやって大金を手に入れた。億という金を持った。だからこそ、一銭にもならない殺人なんかやりません。やる意味も必要もありません」と。これには驚いた。殺しで捕まったら、今の贅沢な生活を捨てなくてはならない。そんな馬鹿なことをしませんよ、と。こっちの方が説得力がある。でも、一般の人は「保険金詐欺をやってる奴だ。殺人だってやってるだろう」と思ってしまう。
 再審請求をしている弁護団の話を聞いても、「証拠」とされるものは、皆、あやしい。普通の裁判だったら起訴も出来ない。でも、「人も亡くなっているし、早く犯人を捕まえろ」という国民の声に押されて、「怪しい人」を捕まえた。限りなくブラックだ。いい人間でもない。「犯人はこいつしかいない」と皆、決めつけた。動機もない。自供もない。物的証拠もない。それなのに「死刑」だ。とんでもない話だ。「怪しいのだから、ともかく中に入れておけ」ということか。でも、それで死刑確定だ。
 最近、布川事件の冤罪被害者、桜井昌司さん、杉山卓男さんの2人に会った時、こんな話を聞いた。強盗・殺人の罪で2人は捕まり、刑務所に入っていた。ところがDNA鑑定で無罪が証明され、外に出ている。何度か会って、話を聞いている。この2人も「いい人」ではない。若いとき、悪さの限りをしていた。だから、事件があった時、「こんなことをやるのはあの2人しかいない」と警察に逮捕された。「目撃」した人も(警察の誘導で)「そういえば、似ている」と証言した。金に困っているし、いつも悪さをしているし、「目撃」証人もいる。それで「犯人」にされた。冤罪はこうして作られる。「不良」や「嫌われてる人」を見つけるのが警察はうまい。マスコミも人々も、「あいつならやりかねない」と納得する。この2人は、幸いにも無罪が証明されて出てきた。ところがだ。まわりの人達は、こう言ってるという。「たとえ無罪でも中(刑務所)に入れておいてほしかった」と。こんな人間は、隔離しておいてほしい、というのだ。それほど、「ワル」だと思われていたのだ。と、杉山さんは言っていた。
 だから林眞須美さんの再審は難しいのだろう。でも、たとえどんな人であっても、冤罪を作ってはならない。ましてや冤罪で死刑にしてはならない、と痛感した。

 

  

※コメントは承認制です。
第155回 「和歌山カレー事件」の再審を阻んでいるもの」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    1992年に発生した「飯塚事件」では、「犯人」として逮捕・死刑判決を受けた男性が、一貫して無実を訴え続ける中、2008年に死刑が執行されました。しかし、その後も遺族による再審請求がなされ、当初の有罪判決を覆す「新証拠」の存在も指摘されています(詳しくはこちらのコラムなどを)。どれだけ「やりかねない」印象があったとしても(それもまた「作られた」ものかもしれませんが)、明確な証拠がない限り「有罪」とされるべきではない。本来は「当たり前のこと」であるはずなのですが…。

  2. Usuda Nobuhiro より:

    事実関係だけ一点。桜井さんと杉山さんは冤罪が証明されたから出てきたのではありません。仮釈放後に冤罪が証明されたのです。

  3. 多賀恭一 より:

    科学捜査の発明者、シャーロック=ホームズが登場したのは、たった127年前。
    それ以前の警察に証拠主義など無く、拷問による自白の強要が主流であった。
    現在の犯罪捜査はまだまだ未熟なのだ。警察を筆頭に人類全員が自らの後進性を理解する必要がある。

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

最新10title : 鈴木邦男の愛国問答

Featuring Top 10/89 of 鈴木邦男の愛国問答

マガ9のコンテンツ

カテゴリー