鈴木邦男の愛国問答

 「出身はどこですか?」と聞かれると困る。一瞬考えてから、「福島県です」とか「宮城県です」とか答える。でも、少年時代の大部分をすごした「秋田県」が出身地としては一番ふさわしいようにも思える。それに最近は、幼いときにいた「青森県」も自分のルーツかもしれない、と思う。さらに、「山形県」も弟がいるし、親類もいる。そうすると、(岩手県を除いた)東北5県が僕の「出身地」であり、「故郷」になる。じゃ、「出身はどこですか?」と聞かれたら、「東北5県です」と答えようか。どっちにしろ、僕は「東北製」であることに変わりはない。
 父親が税務署に勤めていたので、東北地方を転勤した。2、3年毎に変わった。地元と癒着しないように、という配慮なのか。よく分からない。僕が生まれたのは福島県郡山市だ。生まれてすぐに、会津若松市に移ったようだ。さらに福島市、そして青森県黒石市に行った。でも自分では全く覚えてない。黒石のあと、秋田県横手市に移る。その頃から、覚えている。幼稚園に入ったし、小学校1年を過ごした。小学校2、3年は秋田市だ。小学校4年から中学2年までの5年間は湯沢市だ。中学3年からは宮城県仙台市だ。中学3年、高校1年から3年までを仙台で過ごす。その後、早大に入り、上京する。あとはずっと東京だ。
 こう見てくると、秋田県が長い。特に、湯沢市だ。子供時代の思い出といえば、全て湯沢のことになる。でも、ここが「出身」と書かれることはない。「出身地・生まれた所」は福島県郡山市だし、「本籍」は宮城県塩竈市だ。父親は塩竈の出身で、そこに親類も多い。父母の墓も塩竈にあり、たまに法事で兄弟が集まる。福島県は、郡山市、福島市、会津若松市に住んでいた。それに会津坂下町は母の出身地だ。母の実家は肥料店をやっていたようだ。その店の名前が変わっている。「新潟屋」という。福島県会津坂下なのに、どうして? と長い間思っていた。最近分かったが、母の父の2代前に、新潟県五泉市から移ってきて、商売を始めたという。
 とすると、僕の中には新潟県人の血も流れているのか。「東北5県+新潟」製の僕だ。今度、新潟県五泉市にも行ってみよう。自分のルーツが発見できるかもしれない。生まれる前のことを血が、細胞が覚えているかもしれない。
 秋田、宮城は、かなりはっきりと覚えているし、行くことも多い。福島も最近はよく行く。ただ、青森県はずっと行くことがなかった。去年の夏、思い切って青森に行った。ねぶたを見た。子供の頃、住んでいた黒石市にも行った。税務署があった所にも行ってみたが、全く記憶はなかった。黒石にいたのは多分、3才か4才の頃だろう。全く覚えてない。ねぶたを見た記憶だけはある。ただ、ねぶたは青森市、弘前市、五所川原市…と、いろんな所でやられている。黒石もあるのかな。どれを見たのか分からない。ただ「怖かった」思い出だけはある。今見ると、勇壮で、見ごたえがあるが、小さな子供にとっては、夜、連れ出されて、巨大な武者の人形に威圧され、ただ怖かったのだろう。きっと臆病な子供だったんだ。そうだ、秋田で見た「なまはげ」も怖い記憶しかない。今でもトラウマになっている。
 「悪いワラシ(子供)はいねが?」と言って、家の中に突然入ってくる。鬼のような仮面をかぶった男たちが何人もドドドーッと入ってきて、震えている子供を脅す。泣き叫んで、母親にしがみついたが、母親は笑っているばかりだ。「事情」を知ってるから母親は、「大丈夫だよ」と言ってたようだ。でも子供にしたら必死だ。怖い。「殺される!」と思う。母もマトモに取り合ってくれない。ダメだ。母親も力にはならない。助けてくれない! と絶望的に思った。
 この「なまはげ」は今も続いている。伝統・伝承は必要だが、「でも、自分の家には来ないでくれ」と言う家が急増してるという。子供を脅しつけるだけの「風習」なんて、いらないと思う。それに比べると、横手の「かまくら」は幻想的だし、懐かしい。今度、行ってみよう。「なまはげ」は出会いたくないが。去年、新橋の秋田料理の店で、「なまはげ」が出てきた。しかし、大人になった今でも、怖かった。
 でも、「なまはげ」って何だろう。鬼なのか、あるいは、日本海を渡ってきた「外国人」のイメージなのか。中国、朝鮮、そしてロシアから来た人もいたというし。そうした「外国人」が子供を脅したわけではない。子供は、初めて見る「外国人」に驚き、怖がったのだろう。だったら、その伝承・民話を聞かせてやったらいい。それだけでいい。
 東北には、いろんな珍しい風習、祭、伝承・民話がある。その不可思議な伝承、民話の豊かさが、詩人や作家を生んだ。宮沢賢治、石川啄木、太宰治、寺山修司などだ。東北に残る奇妙な伝承・伝説の中でも最大のものは、「キリストの墓」だろう。そして、ピラミッドだ。両方とも青森県にある。でも、青森県人は皆、口を閉ざして、語りたがらない。タブーなのか。そんな奇妙なうわさや風習にとらわれた県だと思われるのが嫌なのか。
 ところが、最近急に事情が変わった。むしろ、青森県のミステリー・スポットとして、注目されてるし、「キリストの墓」がある青森県新郷村も、積極的にPRしている。村役場のHPにも載ってるし、JR東日本の宣伝パンフにも載っていた。新郷村役場が中心になって、いわば「村おこし」でやっているようだ。これはいいことだ。村役場が「問い合わせ先」になってるし、だったら「安全」だと思う。そうしないと、カルトなのか、秘密結社なのかと、疑われてしまう。「ミステリー・スポット」として公開し、堂々とやってるのはいい。HPを見たら、6月1日(日)には、「第51回キリスト祭」が行われるという。凄い。村役場や観光協会が中心になって、毎年、キリストの慰霊祭をやっているのだ。それも神主さんがきて、ちゃんと神道式でやるという。キリストの慰霊祭を神道でやるという、そのアバウトさがいい。
 それで思い切って行ってきた。慰霊祭は午前10時開始だ。八戸駅から車で1時間だという。バスなどはない、タクシーで行くしかない。だから前日、5月31日(日)に行って八戸駅前のビジネスホテルに泊まった。ついでだから、この日は、寺山修司記念館やウミネコの群生する蕪島に行った。そして、6月1日(日)、朝8時、八戸駅からタクシーに乗った。1万円近くかかったが、歴史的な行事だ。惜しくはない。行って驚いた。大々的な慰霊祭だった。参列者も凄い。主催する村長、観光協会長だけでなく、青森県知事、そして国会議員、青森県会議員が大勢来ている。キリストがゴルゴタで磔にされず、青森に渡ってきて、ここで106才の天寿を全うした、という「伝説・伝承」については、皆「真偽はともかくとして」と言う。でも、こんな異国の地で、キリストを慕い、慰霊をする。その優しい心、和の心は貴い。といった挨拶をする。村長さんや、神主さんには、終わってから話を聞いた。去年は「第50回」ということで、とても盛大だったという。又、10年前にはイスラエルの大使も来たという。「本当ですか!」と思わず聞いたが、「本当です」と、マスコミの人たちも言っていた。神主さんは、イスラエルに招待されて数年前に行ってきたという。宗教者の集まる平和会議にも出席したという。「キリストの墓が青森にある」という話は、いろんな国の人が知っていたという。日本よりも、世界の方が知っているのか。
 イスラエル大使も、又、各国の宗教者も、「キリストが日本に来た」ことを、そのまま信じているわけではないだろう。「真偽は別にして」こんなに遠い日本で、こんなにも多くの人たちがキリストを慕い、慰霊をしている。さらに、「キリスト祭」では、短歌を詠んで発表していた。獅子舞や、ナニャドヤラ踊りも奉納されていた。日本語では何のことか分からないが、ヘブライ語では「神の御心のままに」という意味らしい。又、新郷村では、子供が生まれたら額に墨で十字を書く風習があるという。これだけ似た風習があり、キリストのことを思い、慕っている。そのことに対し、伝説の「真偽は別として」イスラエル大使も、又、世界中のキリスト教徒、宗教者も感動しているのだろう。僕は、そう思った。又、不思議な祭だが、これを通し、キリストの生き方や教えに触れることはいいことだ。そして、世界の平和を考える、そうしたキッカケになればいいだろう。村長さんや神主さんと話をしながら、そう思った。

 

  

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第152回 青森県の「キリスト祭」に行った」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    青森の「キリスト祭」、名前は聞いたことがありましたが、神道式の慰霊祭だとは初めて知りました。でも、宗教って、そのくらいのおおらかさ(少なくとも、他者に対しては)でちょうどいいような気がします。鈴木さんのおおらかさとも、どこかでちょっと共通する??

  2. 戸来村、あそこ90年代からすでに観光客誘致に力入れてましたよ。地元出身の自称ユダヤ人wが言ってたもん。でもイスラエルの大使が来て、イスラエルに村民が招待されてたのまでは知らなかったな。三陸の大津波でイスラエルがやたら頑張って支援してくれたのは、その辺の親近感もあるのかな?

  3. 多賀恭一 より:

    おそらく当時の日本と全く関係の無い人であるイエスの墓を勝手に認定する日本という国。
    国際的に不快感を与えるのではないだろうか?
    第二次世界大戦の死者を勝手に英霊に祭り上げる靖国神社もあるが、
    国内的に不快感を与えるのでは。
    まあ、これが日本的なのかも。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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