鈴木邦男の愛国問答

 東日本大震災の発生から3年となり、3月11日は午後2時半から国立劇場で政府主催の「東日本大震災三周年追悼式」が開催された。一般献花は4時半から行われた。又、民間主催の追悼式〈日本人の原点「祈りの日」式典〉が憲政記念館で行われた。震災で亡くなった方々のご冥福を祈り、日本再生への祈りを捧げる式典だ。僕は毎年、この式典に参列している。
 「避難呼びかけアナウンス(震災時テープ再放送)」が流され、今さらながら震災の大きさ、悲惨さを痛感した。発生時刻の午後2時46分に黙祷が行われ、そして全員の献花が行われた。今年は、その後に、佐藤栄佐久氏(元福島県知事)の講演、千代川茂氏(三陸花ホテルはまぎく代表取締役)の講演が行われた。大船渡市(岩手県)を拠点に活動する音楽ユニット「LAWBLOW(ローブロー)」による、「復興者」への応援歌が披露された。
 佐藤栄佐久氏は、震災と原発事故の二重の苦難に見舞われた福島について詳細に報告された。復興は進まないし、原発事故についてもそうだ。これだけ危険性を体験したはずなのに、政府は再稼働を進めようとしている。これこそ「風化」させてはならないはずなのに。岩手県大槌町にある三陸花ホテルはまぎくは、社長、従業員を津波にさらわれた中で昨年、復活を遂げた。絶望と苦難の中から立ち上がった体験談には心を打たれた。
 3月11日は、新聞もテレビも「東日本大震災3年」の特集だった。絶対に忘れてはならないし、「風化」させてはならない。3月11日の2日前の3月9日(日)には、脱原発を訴える二つの集会が行われ、その一つに僕も参加した。日比谷野音(大音楽堂)で行われた「NO NUKES DAY=原発ゼロ大統一行動」が一つ目で、全国から多くの人々が集まり、集会後、「巨大請願デモ」と「国会大包囲」が行われた。もう一つは、この近くの日比谷公園内の噴水広場前で行われた〈Peace On Earth〉だ。8日(土)、9日(日)、11日(火)の3日間、行われた。僕は、9日(日)に参加した。
 同じ脱原発の集会なのに、何故、別々にやっているのだろう。それも、すぐ近くで。と思ったが、いろいろ事情があるのだろう。都知事選の時だって、「脱原発」を訴える候補者を一本化できなかった。
 人数的には野音の方が圧倒的に多かったようだ。社民、民主、共産などの政党。そして、労働組合の人たちも多い。菅直人、志位和夫、吉良よし子、福島みずほさん達が挨拶。又、「原発現地から」のスピーチもあった。ゲストスピーチは坂本龍一さん(音楽家)。
 これに比べれば「噴水前集会」は、アーチストを中心にして、若い人が多い。坂本さんは、こちらにも出ていた。両方に出ていたのは坂本さんくらいだろう。実は、僕は坂本さんに会いに行ったのだ。坂本さんとは、対談して『愛国者の憂鬱』(金曜日)を出版したし、この日は噴水前のブースで本も売っている。事前に二人がサインした本はアッという間に売り切れた。「じゃ」と、本を持って来てもらう。坂本さんはステージがあるから、とりあえず僕だけがサインする。それも完売した。凄い。ただ、「坂本さんのサインはないのか。じゃ、いいや」と買うのをやめた人もいた。でも完売したんだから、いいや。
 坂本さんは2時50分からは、後藤正文さん(アジアン・カンフー・ジェネレーション)、三宅洋平さんとトーク。5時20分からは飯田哲也さん(ISEP)、吉原毅さん(城南信用金庫)、舩橋淳さん(映画監督)、島キクジロウさん(弁護士)とトーク。そのトークの合間には、テレビの収録などがあり、忙しそうだ。短い時間だが、坂本さんとは話をした。「おかげ様で本は売れてるし、発売1週間で増刷しました」と、お礼を言った。この対談本では、編集者だったお父さんの話はかなり聞いた。お父さんは、三島由紀夫、高橋和巳、小田実を育てた人だ。「そうだ、お母さんのことは聞かなかったですね」と言ったら、「母の影響の方が大きいですよ。一緒にいた時間も多いし」と言う。そうか、じゃ、今度はお母さんの話をして下さいよ、とお願いした。
 昔のお父さんは威厳があったし、子どもとは距離感があった。今のように「友達親子」なんて、いなかった。坂本さんの家には三島由紀夫、高橋和巳、小田実も遊びに来た。それで父親とは余り話はしないが、でも父親の仕事は理解したようだ。その点、お母さんは一緒にいることが多いし、よく話をし、影響を受けたという。僕の場合も似ている。父親は税務署に勤めていて、家でも常に正座していた。謹厳な人だった。親しく口をきくなんて出来ない雰囲気だった。だから母親とばかり話をしていた。母親は「生長の家」という宗教団体に入り、その縁で僕も宗教から入って、天皇、愛国心を学んだ。後に右翼運動に入る土壌になった。そのことは近著『反逆の作法』(河出書房新社)に書いた。母親の影響を受けた、というよりは、母親によって作られたのだろう、僕は。
 次の本では、ぜひ坂本さんと母親について話をしたいと思った。母、そして家庭。故郷、学校などについて話してみたい。僕は、父の勤務の関係で東北地方を転々とした。福島県、青森県、秋田県、宮城県と移り住んだ。一番長いのは秋田県で、小・中学校の5年間を過ごした。東北の自然の中で暮らし、遊び、学び、考えたことが大きいと思う。僕は、東北によって作られた。「東北製」の人間だ。いわば、僕という人間を通じて、「東北」が喋り、活動してきたのだ。そうとも思う。だから、東北の故郷を汚し、破壊した原発は許せないと思う。津波と違い、原発事故は「人災」の面も大きいし。
 今、大震災を風化させるな、とは皆がいう。しかし、原発事故は、段々と「風化」しようとしている。「いつまでもそんなこと言うな」「エネルギーがなくなったら経済成長はないぞ」と脅している。永遠に「経済成長」を望み、追求してゆくのか。〈安全〉よりも、〈成長〉なのか。大震災から3年。今、それが問われている。二冊目の本を作るとしたら、坂本さんとはそんな話をしてみたい。「成長願望の憂鬱」だ。それと、母親の話をしたい。さらに、「愛と正義についても話し合いましょう」と坂本さんは言う。最も大切なものであり、時として誤解されると、最も怖いものに転化する危険性もある。「ぜひ、ぜひ、お願いします」と言いました。

 

  

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第146回 坂本龍一さんと今度お話ししたいこと」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    〈永遠に「経済成長」を望み、追求してゆくのか〉。3・11を経た私たちが、絶対に向き合わなくてはならない問いだと思います。少なくとも、これまでと同じ形の「経済成長」を、私たちはいつまでも追い続けるのか? ということは、誰もが考えてみる必要がありそうです。鈴木さんと坂本さんとの対談本第2弾、ぜひ読みたい。

  2. 多賀恭一 より:

    鈴木邦男らしくないテーマだ。
    意見が敵対するものと対話する所が、
    鈴木邦男の鈴木邦男たる所以ではないか。
    まずは、原発推進派の安倍内閣総理大臣と対話をすべきだ。
    未来を変える力はそこに有るはずだし、
    未来を買えることができるのは当然だ。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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