じゃ、亡くなった人たちを訪ねて、取材するのか、と思った。大変な仕事だ。企画書を見ると10人ほどの名前があがっている。青山霊園や多磨霊園などの有名な墓地に行き、そこに眠っている有名な人々を取材する。それも、政治家、軍人、実業家、作家、革命家…といろんなジャンルに分かれて取材する。
これも、「墓マイラー」というのだろうか。有名人のお墓にお参りし、写真を撮る。感想を書く。そんな記事はよくあるし、単行本もある。でも、この企画は、訪ねるのが一人ではなく複数だ。グループだ。点から線に。そして面へ。そのつながりを書く。それを通して日本の近代を語ってもらおう。そんな壮大な企画だ。
面白いとは思うが、大変な仕事だ。果たして自分なんかに出来るのだろうか。それに12月中旬に企画をもらった。年内に取材し、年明けに原稿をもらいたい、と言う。ハードだ。企画書に名前があがってるライターは10人ほどだ。このテーマで、この人に書いてもらいたい、という企画書だ。思わず編集者に聞いた。「他の人たちも怖じ気づいてるでしょう。ビビってるでしょう」と。少なくとも戸惑っているはずだ。こんなこと出来るかな。どう書いたらいいのだろう…と。
ところが編集者は言う。「いえ、皆、面白いといって、喜んで引き受けてくれました」。ウエッ。怖じ気づいてるのは僕だけか。皆、凄いよな。力量が違う。技量が違う。「お前だけが出来ないのか。無能だな」と皆に嘲笑われているような気がした。追いつめられた。「じゃ、じゃ、やりますよ」と返事をした。そして、やりましたよ。12月24日(火)のクリスマスの日、小平霊園に行って一日かけて、お墓にお参りし、話しかけ、取材し、メモをとり、仕事をしました。それから、参考資料を集め、読み、原稿を書き、1月6日(月)にメールで送った。まるで「地獄」のような年末・年始だった。
それから何度か校正・打ち合わせがあり、2月3日(月)に発売になった。『東京人』3月号だ。特集「墓地で紡ぐ14の物語」だ。書いた人は皆、大変だったろうな、と同情した。いやいや、大変だったのは僕だけか。他の人は、楽しんで書いたんだろう。悔しいけれど、力が違う。
12月にもらった企画書では、「特集・掃苔録――お墓でたどる歴史のドラマ」だった。「掃苔録」って言葉がちょっと難しいな、と思っていた。そうしたら、「墓地で紡ぐ14の物語」になっていた。こっちの方が分かりやすいし、スッキリする。
その目次の一部を紹介すると…
・風刺とユーモアでシャレのめす(文・池内紀)
谷中霊園(獅子文六、色川武大、川上音二郎ほか)
・明治ジャーナリズムの興亡(文・小宮一夫)
染井霊園(宮武外骨、高田早苗、陸羯南ほか)
・軍人たちは安らかに眠っているか(文・戸高一成)
多磨霊園(山本五十六、児玉源太郎、平賀譲ほか)
・維新の原動力となった刑死者たち(文・中村彰彦)
小塚原回向院(吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎ほか)
ジャンルのくくり方がうまいですね。ほとんどが企画書どおりだ。それだけ『東京人』の編集者が優秀だということだ。「何でもいいから、書いて下さい」というアバウトな注文ではない。ここの墓地に行って、この人たちに会い、そして、このテーマで書いて下さい、という。つまり、調理場を用意され、肉や魚などの材料を用意してもらい、さあ、腕をふるえ、それもこのテーマで料理を作ってみろ、と言われてるんだ。
他に「日本人の宗教観」「幕末の外国体験」「浅草に息づく江戸のクリエイターの魂」…など、読んでみたいテーマが沢山ある。森まゆみ、苅部直の対談「青山霊園で、日本の近代史をたどる」などもある。じゃ、お前は何を書いたんだ、と聞かれるだろうが、これだ。
「時代への抵抗者たち」
小平霊園(宮本百合子、宮本顕治、青野季吉、村上一郎、佐野学)
こんなに「抵抗者」たちがここに集まっているとは思わなかった。その中でも、共産主義運動にかかわった人たちを中心に書いてみた。宮本顕治は日本共産党の「顔」ともいうべき人物だ。弾圧にも負けず非転向で頑張った。夫人で作家の宮本百合子もそうだ。青野季吉はプロレタリア作家だ。しかし、村上一郎は日本共産党に入りながら、後に離れた評論家だ。佐野学は、何と、戦前、日本共産党の中央委員長をやりながら「転向」した人間だ。1933年、獄中で鍋山貞親と共に、転向声明「共同被告同志に告ぐる書」を出した。佐野・鍋山という党のトップ2人が転向したのだ。この影響は大きく、雪崩を打った転向現象が起こった。
党のため、革命のため命をかけて闘い、非転向を貫いた人たち。一方、転向し、「裏切り者」となった人たち。その人々が今、小平霊園という同じ「町」に住んでいる。シカトしてるのか、激論してるのか。査問してるのか。「裏切り者」と同じ町内にいて、不愉快ではないのか。そんな疑問を持って、一人ひとり、お参りし、インタビューしたのだ。
20年ほど前だが、佐野・鍋山の「転向」について、かなり勉強して、書いたことがあった。「転向声明文」も読んだ。又、佐野や鍋山の本もかなり読んだ。『共同研究・転向』というぶ厚い研究書も読んだ。佐野学著作集は、かなり高かったが全巻読んだ。そのときのことを思い出しながら、小平霊園を歩き、考えた。共産主義運動、革命運動について、そして「転向」について考え、書いた。関心があったら、『東京人』を読んでほしい。
小平霊園では、他にも多くの人たちに会った。入り口には、「地図」があるし、「著名人墓地」の「住所」が書かれている。何区、何側、何番と書かれていて、それを見ると、すぐに分かる。僕は日本共産党に関係した人を中心に訪ねたが、他にはこんな人たちがいる。
山本七平、松島詩子、佐分利信、伊藤整、壺井栄、大山郁夫、荒正人、久保栄、徳田秋声、小川未明、有吉佐和子、柳宗悦、野口雨情、有澤廣巳…。日本共産党や抵抗者だけで小平霊園をくくられ、代表されては困ると思ってる人も多いだろう。次は挑戦してみたい。文学家、俳優、歌手…と、別のジャンルでも書けそうだ。鹿内信隆さんもいた。僕が昔、産経新聞社に勤めてた時の社長だった。よく話を聞いた。又、歌手の古賀さと子さんもいた。その碑文を、田原総一朗さんが書いていた。
そうだ。初めは宮本百合子だけで、顕治は予定に入ってなかった。「地図」を見たら、宮本顕治と出ている。あれっと思った。夫婦なのに、どうして別々なんだろう。そうしたら一緒に行った編集者が即座に教えてくれた。「百合子の亡くなった後、顕治は再婚したからです」。そうか。でも、その再婚した人とも一緒ではない。そんな基礎的な疑問から始まって、「思想を持つこと」「捨てること」「闘うこと」…などについて必死に考えた。
村上一郎は、僕はとても好きな評論家だった。これを書くことによって、注目してもらえたら嬉しい。『北一輝論』『草莽論』といった力作もあり、三島由紀夫も評価していた。晩年は深い内容の対談をしている。
そうだ。お墓にはQRコードをつけたらいいのに、と僕は提案した。この人はどんなことをしたのか。どんな本を書いたのか。それが一瞬で分かる。アマゾンにつないで、すぐ本が送られてくる。そうしたらいい。意外に思われるかもしれないが、学生時代、宮本百合子や青野季吉の本などもかなり読んだ。感動した。荒っぽい右翼学生ではあったが、いろんな本を(たとえ敵でも)読んでいた。又、読まなかったら、学生同士の話が出来なかった。今よりもずっとずっと、知的刺激があったと思う。だから皆も、墓マイラーになって、亡くなった人たちの本を沢山読みましょう。
3月号の『東京人』、こちらに詳しい目次がありますが、たしかに面白そう! 一時期、ちょっとした流行語にもなった「墓マイラー」ですが、これまで読んだことのない本を手にとる手がかりにもなってくれそうです。
間違いを正すことが、結果的に裏切りになることがある。
しかしそれを批難するのは、子供の発想であろう。
生まれたばかりの赤ん坊は間違ってばかりなのだから。
それは、成長と言うべきである。
誰かを信じる時も、相手が「成長する」可能性を考慮する者こそ、大人である。