明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
年末年始も結構忙しかった。6冊ほど本を作る仕事があって、同時並行で進んでいた。1月10日には僕の対談集が出る。『錯乱の時代を生き抜く思想、未来を切り拓く言葉』(鹿砦社)だ。西宮でやっている「鈴木ゼミ」の報告集(vol.3)だ。対談した人は次の6人だ。上祐史浩さん、神田香織さん、湯浅誠さん、前田日明さん、青木理さん、内田樹さん。どれも刺激的な対談だ。いや、対談というよりも僕は聞き役で、一方的に質問している。その道のプロに対し、好奇心旺盛な子供が「なぜ?」「なぜ?」と質問している。そんな感じの本になった。そこがよかったと思う。ちょっと変わった本になった。
1月末には坂本龍一さんとの対談集『愛国者の憂鬱』(金曜日)が出る。「世界のサカモト」相手に、無謀にも音楽の話を聞いた。民族音楽と世界音楽の違い、なぜ音楽は生まれたのか、そして日本と世界、愛国心、憲法改正、国防…と話は進んだ。シロウトだからこそ思い切って聞けた。坂本さんも、こんな話をするのは初めてだったろう。
2月には、『反逆の作法』が出る。これは年末に書き下ろしたものだ。僕が影響を受けてきた人々について書いた。そう言うと、「あっ、三島由紀夫、野村秋介だろう」と皆、思うかもしれない。確かに、この2人の影響は大きい。しかし、この2人に出会い、感動し、影響を受けたということは、それ以前に、それを受け入れる素地・土壌があったということだ。その素地・土壌について書いた。小学生の時に読んだ漫画・読み物。中学生の時に出会った人。高校生の時に刺激を受けた人。などなどだ。ちょっと変わった本になったと思う。今回は「人間」ばかりだったが、次は「動物篇」「風土篇」も書いてみたい。小学校4年生の時に鳩を飼っていた。すぐになついて、学校にも一緒についてくる。僕が授業を受けている間、窓の外の木にとまって、じっと待っている。時々窓の外を見て、鳩と見つめ合い、「会話」を交わした。夕方まで辛抱強く待っていた。授業が終わって、校舎を出ると、すぐに木から下りてきて、僕の肩にとまる。今日習ったことなどを鳩に話しかけながら、家まで歩いて帰った。
それから亀も飼っていた。いろんな話をした。小学校は、秋田県の横手市、秋田市、湯沢市にいた。大自然の中で育った。山に登っては寝転んで空を見上げ、雲と会話した。流れ、動く雲は、姿を変えて、人や建物になり、僕に話しかけた。山や川や、雨や雪とも話をし、教えられた。まるで宮沢賢治だ。詩心があり文才があったら、沢山の童話を書けただろうに、残念だ。そんなことを思い出しながら、「動物篇」「風土篇」を書いてみよう。今年1年がんばって、来年出すかな。
今、思ったが、この『反逆の作法』は、変なタイトルだ。だって、子供の頃、影響を受けた人たちについて書いた本だ。その人たちは、「反逆」の人達ではない。世に認められた漫画家、作家、宗教家、武道家…の人々だ。「反逆者」ではない。しかし、世の中の常識や、生き方に疑問を呈し、「反逆」した人たちだろう。ただ、大声を上げて叫んだり、暴れたりといった「小さな反逆」ではない。「大きな反逆」をし、それを文学、漫画、宗教、武道といった「作法」にしたのだろう。出版社が考えてくれたのだが、これはいいタイトルだと思う。僕も、小さな反逆や、怒り、嫉妬などを昇華し、「作法」に高めたい。「そうなれよ」と編集者は、このタイトルを付けてくれたのかもしれない。
そして3月には孫崎享さんとの対談本が出る。去年の後半は何度か対談した。年末の12月28日にも5時間対談した。これが5回目かな。ペリーの黒船から始まって、長い日米関係について話し合ったのだ。なぜ、アメリカ相手に戦争をするはめになったのか。外交の力とは、軍隊とは、国を守るとは何か、といった話をした。孫崎さんは元外交官で、外国での生活が長い。日本という国を背負って、外国と交渉する。自分が「日本」になるんだ。その体験から、外交史について講義してもらった。又、明治維新以降の日本の歩みについて、一つ一つの「節目」について話し合った。日清、日露の戦争で日本が「大勝利」をした。日露戦争は、かろうじて講和に持ち込めたのであって、本当は「大勝利」ではなかった。でも、日本中が沸き立った。強国ロシアを破った。日本は神国だ。イザとなったら神風が吹くんだ。…と、大喜びし、そして思い上がった。「負け戦」からは人は学ぶが、「勝ち戦」からは何も学ばない。傲慢になる。そこから日本の間違いが始まった。
日露戦争は「大勝利」ではなかった。アメリカの尽力で、かろうじて講和に持ち込めたのだ。そのことを国民がキチンと知っていたら…。「そうしたらアメリカとの戦争はなかったでしょう」と孫崎さんは言う。じゃ、国民が愚かだったのか。いや、政府や軍が、「勝った!」「勝った!」と言った。新聞がそれを誇大に書きたてた。それが悪いのか。新聞の宅配制度は日露戦争の時に始まったという。肉親が、郷里の人々がどう戦っているか。日本はいかに戦っているか。それを伝えるのは新聞だけだった。全国民の眼となり、耳となっていた。新聞の方だって、読んでもらうために、(失敗や悪いことは載せないで)華々しい戦果ばかりを載せる。そして、「間違った大勝利」を作り上げた。
そういった、日本の過ちと反省について話し合った。こんな話をしてると、「反日的だ」と批判されるかもしれない。しかし、日本の失敗した点、悪い点を見ないのは、「見る勇気」がないからだ。それでは本当の愛国心ではない。長所も短所も見て、その上で、いとおしいと、抱きしめるのが愛国心だろう。
12月28日の最終対談の時は、孫崎さんに「今日は、最後なので少し未来志向の話をしましょう」と言った。『通販生活』(2014年春号)に孫崎さんが載っていたし。
〈緊急特集。「憲法九条」を解釈で破壊してしまう安倍内閣の「集団的自衛権の行使容認」って、あまりにも横紙やぶりじゃないですか〉
ここに孫崎さん以外に枝野幸男さん(衆議院議員)、半田滋さん(東京新聞)が出ている。なかなかいい。明日に向かっての前向きな提案だ。孫崎さんは言う。
〈アメリカ一辺倒の安全保障政策から、アジア各国と連携した「戦争をしないための仕組み」づくりへの転換を。〉
さらにこう言う。
〈日本の貿易相手地域は、圧倒的にアジアが中心〉
〈「東アジア共同体」が自主外交復活のカギとなる〉
そこに至るためのプロセスを孫崎さんは話す。
そして、〈ゴールは「戦争がバカバカしくなるほどに相互依存関係を深めること」です〉と言う。いまどき、こうした建設的な特集を載せる雑誌も少ない。本屋に行くと、「韓国とは国交断絶しろ!」「中国とは話し合いが出来ない」「すぐに崩壊する国だ」…と、月刊誌、週刊誌は悪口ばかりだ。そして、「戦争も辞さずの覚悟を持て!」だ。たまらない。こうした「勇ましい」発言が一般の人には受けるのだ。それを読んで、「スッキリした」と溜飲を下げる人が多いのだ。なさけない話だ。そんな本ばかりが本屋には並んでいるので、『通販生活』はとても新鮮に思えた。建設的な提案をすると「夢みたいなことを言うな!」「相手が攻めてきたらどうする!」と言って脅す。くだらない討論ばかりがテレビではやられている。年末には、孫崎さんとその話をした。
『通販生活』は、さらに「山椒言」という巻頭言がよかった。菅原文太さんが書いている。
〈日本人はアジア人。アジアの隣国同士が融和して、EU(欧州連合)ならぬAU(アジア連合)をつくる方向へ進むべきだよ〉
これも驚いた。文太さんも、よく言ってくれた。たぶん、テレビ討論じゃ、こんなことはいえないな。「バカ、何言ってんだ!」「現実を見ろ!」と、罵倒されてつぶされるだろう。これは雑誌だから出来ることだ。文太さんはさらに勇気をもって、こう言う。
〈中国も韓国も反日ばかり言っている状況でAUをつくるなんて夢物語だ、みたいに思う人もいるだろうけど、反日の遠因は、日本人が過去の侵略戦争についてきちんと歴史を検証していないからじゃないのか。満州事変から日中戦争が終わるまでの中国人の犠牲者は、大変な数だったらしい。韓国だって、日本が一方的に併合してしまったわけだろ。もう謝ったんだからいいじゃないかと開き直るんじゃなくて、かつての非は非として認めて、これからは同じアジアの隣人同士、融和の道を進むべきだよ〉
これは凄い。よく言ったと思う。でも、冷静に考えてみたら、このとおりだし、当たり前のことだ。でも、その「当たり前」のことを言うのが一番勇気がいる。そんな日本の危うさを思った。
たまに電車の中吊り広告などで見かける週刊誌の見出しに、ぞっと背筋が冷たくなることのあるこのごろ。それが「売れる」という事実もさることながら、「売れるから」そうした内容をつくり続ける出版社がたくさんある、ことにもクラクラします。「当たり前」のことが、これ以上口に出せなくならないように、ちゃんと声を出していかなくては。と、改めて思う年の初めです。
通販生活のその号では、鈴木さんご自身も「入院生活」という特集にご登場されていますね。鈴木さんの小学生のころの「明るい入院話」は心が温まりました。
>中国も韓国も反日ばかり言っている状況でAUをつくるなんて夢物語だ、
>みたいに思う人もいるだろうけど、反日の遠因は、日本人が過去の侵略戦争
>についてきちんと歴史を検証していないからじゃないのか。
:
日本の侵略戦争についての歴史的検証を徹底するだけで、アジアの隣国同士が融和するというのは神話です。
罵倒するつもりはありませんが、菅原文太さんも鈴木邦男さんも「歴史認識神話」に捉われていると思います。
現に経済偏差の拡大を機に極右勢力が跋扈し、排他主義が増大しつつある今の欧州をみれば分かるでしょう。
また、孫崎享さんの「戦争がバカバカしくなるほどに相互依存関係を深めること」も神話に過ぎないと思います。
それは木村正人氏の「第一次大戦から100年、尖閣・慰安婦・靖国を考える」という記事が明らかにしています。
http://blogos.com/article/77456/
木村氏の紹介する英誌エコノミストや英紙デーリー・テレグラフの歴史認識の方が、菅原さんや鈴木さんの歴史認識と比べて遥かに透徹し、かつ説得力があると思いますが、木村氏の「サラエボの悲劇を繰り返すのか、それともサラエボの教訓を生かすのか」との言葉の通り、神話に依存しない歴史観で悲劇を回避させるべきでしょう。
日本やアセアン等アジアの最大の安全保障リスクは中国です。その現実がわかっているのでしょうか。
今の国際状況でのAUなど中華帝国と下僕の国々しかあり得ません。それがどれほどの地獄絵図であるかは現在のチベット、東トルキスタンを見れば明らかでしょう。
また鈴木氏もこちらが謝りさえすれば許してもらえるという「日本人の悪癖」に囚われてしまっていますね。
漢民族も朝鮮民族も謝ったら余計に付け込んでくる連中です。
日本が謝れば謝るほど余計に文句を言ってきますよ。
そもそも特定アジア(中国、韓国、北朝鮮)は反日を国是とし国家の根本としています。そのような国と仲良くできるなど幻想でしかありません。
宮城谷昌光「重耳」は中国の春秋時代の話で、小国同士で戦争をくり返しています。「復讐」が戦争の動機になる、何十年経っても忘れず、受けた恥辱を返す、ただし、復讐が保留され、消えるときもある、それは「信・礼」がつくされたとき、と作者が言っています。 「三舎を避ける」の故事があります。
「謝る」が「信」に裏付けられていなければ、恨みは忘却されることはない。今の事柄にもあてはまらないでしょうか?
「◯◯民族は××する連中です」と言いきれる、くろとりさんの感受性がわかりません。悪い事された人ばかりと会ってきたんですか?
確かに国家という存在は、自己肥大化しやっかいなものですが、それを民族にまで押し広げるのはどうでしょうか?言論抑圧の下でも冷静に状況を見ている多くの中国人がいるし、民間レベルでは何の問題もない日韓交流の存在をご存じのはず。人間はもっと柔らかなもの、変わるもの。ネット上の雑言の応酬はほんの一面にしか過ぎないと思うのですが。
鈴木邦男は本当に右翼なのか
鈴木氏については昔から興味があり、その言動にはずっと注目してきた。新右翼「一水会」のリーダーだった時からだ。右翼とは到底思えない穏やかな顔つき、その口から語られる理にかなった言葉。いずれをとっても、およそ右翼からは程遠いと感じられていた。本も何冊か読んだ。(申し訳ないことに、まだ一冊も私の蔵書にはなっていないが)おもしろかった。(もちろんいい意味で)本当に鈴木氏は右翼なのか、実は左翼ではないのか。だいたい、この「マガジン9」に連載していること自体、(これもいい意味で)右翼としてはおかしい、きっと左翼だ。それに、このたび出版社の金曜日から本を出版するらしいではないか。金曜日と言えば、「週刊金曜日」を発行している出版社で、今では数少なくなった左翼系のそれだ。
鈴木氏よ、古くなった(新)右翼の鎧を脱ぎ捨て、名実ともに、左翼の側においでなさいまし。
鈴木さんの本文とは、かけ離れてしまいますが、私も、「国家権力」=「民族」という発想には反対です。
以前より、北朝鮮政府が何か問題を起こすと、チマチョゴリを着た在日朝鮮女生徒が右翼に襲われるという事件が続発しますが、だったら自分達が海外滞在中に日本政府が何か問題を起こすと、滞在中の国の人達から暴行を受けてもかまわないとでも思っているのでしょうか。
感受性も何も過去さまざまな事例があります。恩を仇で返された例などいくらでもありますが?
残念ながら「こちらが謝れば相手はわかってくれる」というのは日本人の間でしか通じないのです。
その「冷静に状況を見ている多くの中国人」とやらが何かしてきたのですか?
北京オリンピックの聖火リレーの際、長野にて中国政府に動員された中国人がフリーチベットを唱える人々に暴力を振うといった出来事がありました。まともに取り締まらない日本の警察には情けないの一言しかないのですが、言論の自由がある日本に住んでいながら本国政府の指示があればその通りに動くのです。
そんな人々をどうやって信じろと?
たとえ日韓で民間交流が行われていても政治的な問題が発生すればすぐに韓国側からSTOPが掛ります。
日本側が再開しようとしても政治的問題を理由に民間交流を停止するのはいつも韓国側です。
中国人にしても韓国人にしても個人としては確かにいい人もいるのでしょう。
しかし、個人的にかかわりがあるのはほんの一部に過ぎません。大多数の言動こそがその国を見る基準となるのは当然ではないですか?
そして中韓ともに大多数は極めて反日的でて日本に敵対的です。そんな人々相手にこちらから頭を下げてまで付き合う必要は無いのではないですか。
>本格的な戦争に突入するリスクが小さいうちに、領土問題、歴史問題という火種をナショナリズムの火鉢から>取り除き、偶発的な軍事衝突に対応できるメカニズムを構築する努力が必要だろう。尖閣はもはや日中間の>問題では済まなくなっている。
まさに、その通りだと思いましたが、
>島しょ防衛力の強化、国家安全保障会議(日本版NSC)の設立、集団的自衛権行使の限定的容認、憲法改正>という安倍首相の路線は、過去十数年にわたって軍事費を拡大している中国に領土的野心を抱かせない抑>止力の意味合いがある。
とは、思いませんでした。この問題は、個別的自衛権に関する問題だと思います。
また、記事を読む限り、英誌エコノミストや英紙デーリー・テレグラフの歴史認識と菅原さんや鈴木さんの歴史認識にそれ程違いを感じませんでした。
歴史認識と言うことであれば、第2次世界大戦後の国際秩序は、日独伊による侵略戦争を不正不義のものと断罪することを共通の土台としているのではないかと思います。
<日本の侵略戦争についての歴史的検証を徹底するだけで、アジアの隣国同士が融和するというのは神話です。神話に依存しない歴史観で悲劇を回避させるべきでしょう>とは、どのような歴史館なのでしょうか?
>「赤紙一枚で戦場に散った兵士を追悼したい」という安倍首相の気持ちはわかる。しかし、東アジアの安全保障について重要な役割を持つ日本の最高指導者は国際社会に対しても責任を負っている。
その通りだと思います。
田岡俊次 氏の指摘のようにならないことを願うばかりです。
http://diamond.jp/articles/-/46910
>(サラエボの教訓を生かし)日本も米国も欧州も、中国が拡張主義に走ることは第二次大戦の日本やドイツが犯した同じ過ちを繰り返すことになり、法の支配による現在の国際秩序の中で伸長していくことこそが中国の利益になることを根気よく説得していく努力を欠かしてはならない。
その通りだと思います。
サラエボの教訓を生かす。と言うことであれば「(対話により)紛争を戦争に悪化させない」という、ASEANの取り組みが参考になるのではないかと思います。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-04-30/2013043001_02_0.html
紛争を戦争に悪化させないメカニズムを構築しさらに発展させれば、あながちAUも夢物語ではないような気がしてきます。
Record China 1月13日(月)0時10分配信 の、「日本人小学生の放った言葉に中国人家族が絶句、『われわれの愛国教育は間違っていた!』―中国メディア」という記事より。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140113-00000000-rcdc-cn
”(抜粋)最後の晩、従姉とその夫は買い物に出かけていて、私たちはみんなでテレビを見ていた。そこへ鵬鵬が得意げな顔で俊夫を連れてきて「俊夫がみんなに言いたいことがあるって」と言った。俊夫は顔を赤くしながら恥ずかしそうにほほ笑んで、たどたどしい中国語でこう言った。
「僕は死んで当然の日本人です。僕は中国人に謝ります」
俊夫のこの言葉にその場の大人たちは全員凍りついた。鵬鵬の父親はすぐさま彼をトイレに引きずって行き、中から「パン!」と引っぱたく大きな音が聞こえた。真相はこうだ。鵬鵬は俊夫に「みんなが喜ぶ言葉がある」とだまして、あの言葉を覚えさせたのだ。
こんな小さな子供がここまで日本を憎むとは、あまりにもおかしい。鵬鵬の愛国観はすでにゆがんでしまっている。善良で純粋で友好的な日本の子供を前にして、中国の子供がどれほど恐ろしい敵意と憎しみを日本に抱いているかを私たちは思い知らされた。中国の愛国教育はもっと客観的で冷静であるべきではないのか。(終了)”
何ともはや…。 とはいえこの責任は子供ではなく、中国人、日本人を問わない我々大人が負うべき責任です。
鈴木邦夫氏はこの話を聞かれたら、どの様な勇気を持って「当たり前のこと」をおっしゃられるのでしょうか?
「日本の戦争責任の断罪」という歴史認識の持ち主は、ユリウス・カエサルの「多くの人は見たいと欲するものしか見ない」という2000年前の名言に該当してしまうことを、事実、菅原文太さん自身がそれを示しています。
http://www.cataloghouse.co.jp/tsuhanseikatsu/sanshougen/?sid=top_left_sanshougen
菅原さんは「国境問題で隣国同士が血を流し合ってどうするんだ」などと言いつつ、「フィリピンでは議会がアメリカとの条約の批准を拒否して、スービック海軍基地とクラーク空軍基地をアメリカ軍から返還してもらった。当時のエストラーダ副大統領は『アメリカ軍がいなくなって経済は苦しくなったけど、主権国家としての誇りは取り戻した』と言ったらしい。エライもんだなあと思った」などと呑気なことをおっしゃってます。
しかし現実はアメリカ軍撤退という「力の空白」の後に中国が南シナ海に侵出し、米比関係は再強化されました。
ところが菅原さんは見たいと欲さない現実を直視せず、見たいと欲するものだけで自己完結されているのです。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2031?page=1
「(対話により)紛争を戦争に悪化させない」「紛争を戦争に悪化させないメカニズムの構築」を考察することは大変意義深いことですが、見たいと欲するものだけで論理を固め、見たいと欲さないものを徹底排除するのでは、その考察は放射能の危険性を直視しなかった日本の原発政策と同様、現実と乖離した神話に過ぎません。
「日本の戦争責任の断罪」という歴史認識は、断罪する側の不都合な事実を排除する傾向が顕著となります。
アジアの隣人同士が融和の道を進むという理想は、「見たくない現実も見ること」と両輪で成されるべきです。
なぜ「日本の戦争責任の断罪」という歴史認識が、見たいと欲するものだけで論理を固め、見たいと欲さないものを徹底排除している事になるのか?よく判りません。
沖縄に米軍基地があるにもかかわらず、防空識別圏の問題などが起こっているのをみていると、アメリカ軍撤退という「力の空白」が、中国の南シナ海への侵出を招いているとみるのは少々疑問です。
現在もASEANと中国は対話を継続中です。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-05-04/2013050407_02_1.html
海洋進出を強める中国に対しては、やはり(対話により)紛争を戦争に悪化させないASEAN方式(9条の理念にも通じる)で、解決するのが良いのではないでしょうか?
<(サラエボの教訓を生かし)日本も米国も欧州も、中国が拡張主義に走ることは第二次大戦の日本やドイツが犯した同じ過ちを繰り返すことになり、法の支配による現在の国際秩序の中で伸長していくことこそが中国の利益になることを根気よく説得していく努力を欠かしてはならない。>
各国と協力して説得するには、対話の前提となる歴史認識が、重要だと考えます。
>日本の侵略戦争についての歴史的検証を徹底するだけで、アジアの隣国同士が融和するというのは神話です。神話に依存しない歴史観で悲劇を回避させるべきでしょう。
>「日本の戦争責任の断罪」という歴史認識は、断罪する側の不都合な事実を排除する傾向が顕著となります。アジアの隣人同士が融和の道を進むという理想は、「見たくない現実も見ること」と両輪で成されるべきです。
んー、何度読んでも、具体的にどうすべきなのか?何を主張されたいのか?よく判りません。
中国の海洋進出などに対して、武力による威嚇をすべきと言う事なのか?具体的には、憲法の解釈を見直し、集団的自衛権を認め、自国が攻撃された時のみ軍事力を行使するのでは無く、同盟国などが攻撃された場合でも行使すべきと言う事なのか?歴史認識を見直すべきと言う事なのか?具体的?には、日本の侵略戦争には良い面もあった、中国や韓国にも悪い所が有ったと言う事なのか?
私は、軍事の専門家ではありませんが、よく、公海上でアメリカ軍と自衛隊が、一緒に行動している際、攻撃を受けたら?という例えが使われますが、この場合は、集団的自衛権では無く、個別的自衛権の問題になると思います。国連決議の無いまま、自衛隊がアメリカ軍と一緒に、世界中で行動するのには反対です。国連決議がある場合でも、日本の世界から見られているイメージを考えた場合、慎重にすべき(しなくても良い)だと思います。
又、私は、歴史家ではありませんが、やはり日本の侵略戦争は断罪されるべきものだと考えます。その上で、中国などの軍拡や人権侵害などに対しては、対話と交渉で、軍縮(最終的には核廃絶)や法の支配による現在の国際秩序を守り人権が擁護されるよう、根気よく説得していく努力をするしかないと思います。(当然日本も、ジェンダーの問題など、国連機関の勧告を真摯に受け止める必要がある)
(しんどいし何年かかるかわかりませんが)こういった地道な努力を続け、アジアやロシアにまで非核地帯を拡げる事が出来れば、AUも実現出来るのではないかと思います。
こういった考えは、見たいと欲するものだけで論理を固め、見たいと欲さないものを徹底排除している事になるのでしょうか?