「自立した大衆」の生まれてこなかった日本
編集部
では、そうした状況がどのように生まれてきたのかを考えてみたいと思うのですが…辻井さんご自身も1950年代、いわゆる55年体制が成立する前に、政治家秘書を体験されたことがおありだそうですね。
辻井
父が保守派の政治家だったので、その秘書を1年ほどやりました。そのときに「ああ、これは私の入る業界じゃないな」という気がしまして、「もう絶対政治の世界には入らない」と決めたんですが(笑)。その後父親が他界したときにも、後援会の人などに「ぜひ出てくれ」と追っかけられましたが、断りました。
でも、あのころは政界全体を通じてまだ活気のあった時代でしたね。社会党もなかなか元気がよくて、共産党は議席がゼロになったり30人になったり、変動が激しかったんですけど。
そこから民主党と自由党が合併して自由民主党になり、左右社会党が合併して統一社会党になって、いわゆる55年体制が生まれたわけです。それから50年以上経ってますが、ほぼずっと同じ政党が政権をとっている。これ自体変な話で、そんなのは日本だけですよ。よく「政権を担当できる野党が育たなかった」という言い方をしますけど、それには我々国民の責任もあると思います。
編集部
野党を育てられなかった、という意味で…。
辻井
私は大学を卒業してからしばらくの間、丸山眞男にとても影響を受けたんですが、彼は晩年、非常に絶望していたと思うんです。丸山さんは敗戦のとき「これで日本は民主主義になる、何年かしたら自分で判断できる大衆が生まれ、日本の社会も政治も合理的に動いていくはずだ」と考えていた。ところが、実際には何年経っても、自分の考えで世の中や政治に対する態度を判断して、投票先を決めることのできる大衆は生まれてこなかった。これは私の解釈ですが、「どうして日本では自立した大衆が生まれてこなかったのか」というのが、彼にとっては大きな悩みだったと思います。
編集部
しかし、エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』を書いたように、革命時期には自由を志向していた大衆も、ある種の平穏な民主的なシステムが出来上がってきたときには逆に自由から逃げてしまうというのは、日本だけではなくほぼ世界的な傾向なのでは、とも思うのですが…。
辻井
しかし、そのフロムが参考にしたアメリカでさえ、ブッシュに替わってオバマを選んだわけですよね。私はブッシュ政権の晩年、さすがに「もうアメリカはダメかな」と思っていたんです。それでこの間の選挙を固唾をのむような気持ちで見ていたら、オバマが勝ったでしょう。「ああ、アメリカにはまだ再生する力が残っていたんだ」と思いました。
言うまでもないことですが、オバマが成功するとは限りません。むしろ失敗する可能性のほうが高いかもしれない・・・。何を成功と言い、どうした状態を失敗と言うかにもよりますが、それくらいアメリカが迎えている困難は大きい。アメリカ一国の困難ではなくて資本主義社会全体の困難にぶつかっているわけですから、いかにオバマ1人が有能であっても、それで解決できるとは思いません。しかし、「もう変えなきゃだめだ」と民衆が意思表示したのは確かですよね。
「大衆の自立」というテーマは、「自立して買い物をする大衆」を促し、
またライフスタイルにまで影響を与えた、
西武百貨店やパルコの一連の広告を思い出します。
次回は、マスコミ9条の会の呼びかけ人を務める辻井さんに、
9条への思いなどをお聞きしていきます。