15年近くにわたって、野宿者支援などの活動に携わってきた湯浅さん。その経験から考える、「市民社会のあるべき姿」とは? 今春に始まった「活動家一丁あがり!」講座についても伺いました。
1969年、東京都生まれ。1995年より野宿者(ホームレス)支援活動に関わり、「反貧困ネットワーク」事務局長、NPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」事務局長などを務める。主な著書に『反貧困』(岩波新書)、『貧困襲来』(山吹書店)、『正社員が没落する——「貧困スパイラル」を止めろ!』(角川oneテーマ21/堤未果さんとの共著)、最新刊に『どんとこい、貧困!』(よりみちパン!セ)などがある。
「魔法のボタン」は存在しない
編集部
前回、現在の平和運動について、戦争体験者など「過去の運動の遺産」に乗っかっている部分があるのでは? という指摘がありました。そのほかに、いわゆる「護憲運動」を見ていて、感じることはありますか?
湯浅
貧困問題もそうなんですけど、ずっとこうした活動というのは「辺境」に追いやられてきてしまっていたんですよね。「そんなことを言うやつは左翼だ」みたいな。重要なのは、いかにそうしたレッテルをはがして、問題を普遍化していけるかということなのかな、と思います。
編集部
「レッテルをはがす」ですか?
湯浅
たとえば、僕はずっと野宿者の支援などの活動をやっていて、2007年に生活保護基準額の引き下げがあったときにも、その反対運動をやりました。そうすると、そもそも政治家が会ってもくれないんですよ。与党の自民・公明だけじゃなくて、民主党も。要は、「共産党がやってること」みたいなレッテルを貼られてしまっていたわけです。あの手この手を使って、「共産党員だけがやっている運動じゃないんですよ」ということを分かってもらうところから始めるしかなかった。
もちろん、別に共産党が悪いというんじゃないですよ。ただ、そうしてレッテルを貼られちゃうと、何も話を聞いてもらえない。「何を言ってるか」よりも、「誰が言ってるか」のほうが重みを持っちゃうんです。本当はおかしいけれど、実際にはそういうことは常にあるんですよね。
だから、そうして貼られた「レッテル」をはがして、いかに国会の平場で普通に議論できるテーマにするかが重要なんだと思います。そのための接点はこちらから見つけていかないと、向こうは絶対に見つけてくれない、見つける気なんかないんですから。
編集部
接点というのは、たとえば自民党の中でも、9条改憲はよくないとか、武器輸出三原則の緩和はよくないと思っている議員を探してみるとか、そういうことですか?
湯浅
それもそうだし、あとは話の切り口ですよね。たとえば、ただ「自衛隊はよくない」というんじゃなくて、自衛隊があることによる経済効果はどうなのか、という話し方をするとか。
貧困の問題も、いろんな切り口で話しますよ。もちろん人権の問題、25条の生存権が脅かされているんだという言い方もできるけど、コスト論で話すときもあります。以前NIRA(総合研究開発機構)がやった調査結果ですけど、このまま行ったら就職氷河期世代の77万人が生活保護を受けることになって、18兆円かかる。それでいいの?ということですよね。その場その場でいろんな切り口を使いながら、議論の土俵にいかに乗せられるか、乗せてもらえるかということだと思います。
これは僕の好きな言葉ですけど、ノーム・チョムスキーが「魔法のボタンは存在しない」と言ってますよね。何の活動もそうなんですけど、「これをやればいい」という王道なんてどこにも存在しない。一歩一歩、常に広げ続けていくしかないんだと思うんです。
一昔前の左翼運動なんかだと、たとえば「民主党なんて元自民党なんだから」みたいな言い方をして、見下してつきあわないみたいな感じがあるでしょう。だけど、その人たちが賛成してくれなければ、どんな法案も通らないわけです。そういうところも、もっと泥臭くやっていくべきなんじゃないかと。世論を味方につけて、あの手この手で協力してもらえる人を増やしていく、それしかないんじゃないかと思います。
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「フツー」の人たちが、「声をあげる」のが当たり前の社会。
今よりずっと風通しのよさそうな、そんな社会を想像すると、
なんだかワクワクした気持ちになります。
湯浅さん、ありがとうございました。
「一丁あがり」の今後も楽しみです!