「谷根千」の愛称で親しまれ、「下町」ブームのきっかけともなった地域雑誌『谷中・根津・千駄木』。昨年の最終号まで編集人を務めた作家・森まゆみさんに、「町」について、そして広がる地元での活動について伺いました。
作家・編集者。1954年生まれ。早稲田大学政経学部卒業、東大新聞研究所修了。出版社勤務の後の1984年、友人らと東京で地域雑誌『谷中・根津・千駄木』(谷根千工房)を創刊、2009年の最終号まで編集人を務める。主な著書に『円朝ざんまい』(平凡社)、『東京遺産』(岩波新書)、『起業は山間から』(バジリコ)、『女三人のシベリア鉄道』 (集英社)、『海に沿うて歩く』(朝日新聞出版)など。歴史的建造物の保存活動や戦争証言の映像化にも取り組む。
「みんなで町をつくる」意識が高まった
編集部
森さんは1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木(谷根千)』を創刊されました。以来、昨年の最終号発行に至るまで四半世紀にわたって町をずっと見てこられたわけですが、最近特に感じられている変化のようなものはありますか?
森
『谷根千』を創刊してしばらく経ったバブルの時期に、たくさんの住民が地上げなどで町を追い出されるようにして出て行ったんですが、ここ数年は逆に「都心回帰」と言われるように、急速に人口が戻ってきていますね。
ただ、それとともに新しいマンションが次から次へと建てられていて。それを売るために「谷根千」の名前が商業利用されることがすごく多いのが気になっています。
編集部
商業利用ですか?
森
「憧れの谷根千に住もう」とか、「路地がある下町、人情の町谷根千」みたいなマンション広告のキャッチコピーをよく見かけるんです。最近「谷根千」の名前がついた歯科とか接骨院もできてきて、そういうものはしょうがないと思うんですけど、地域の生活を破壊する、もとからの住民の生活の質を下げるようなマンションに「谷根千」の名前が使われるのは嫌ですよね。
「路地の生活を楽しむ」とかいっても、それは後から建ったきれいな新しいマンションに住んで、その裏にある路地の雰囲気だけを楽しもう、というものでしょう。一方でそのマンションができることで、冬じゅう日が当たらなくなるとか、駐車場へ入れる車が路地を通るとか、いろんな問題が起きてくる。まあ、そこを買って住む人たちまで敵視する気はないけれど、お金儲けのために「建てる」側の企業に対してはいやだなあと思いますね。
編集部
「谷根千」がそれだけの人気エリアになったということの裏返しという面もあるのでしょうが…。
森
たしかに、地域によっては自治体などがものすごいお金を使って町おこしをして人を呼んでいるところもあるのに、この辺りは、行政は一銭も使わないで、『谷根千』やその周りの人たちが作ったムーブメントによって町が元気になった、たくさんの人たちが住みたいと思うような町になった。そのことはよかったなあ、とは思うんですけど・・・。
ただ、これだけ人が来るようになると、私は逆にちょっと飽きちゃったというか(笑)。もともと場末とかいわれ、知られざる街だったから「いいよ」という意味があったわけで。今は、私はもう別に言わなくてもいいかな、と。
編集部
それはでも、森さんが言わなくてもちゃんと「いいよ」と言う人が出てきているということでもあるのでは?
森
そうですね。次の世代というか若い人たちは、かなりちゃんと育ってきていますから。「育って」というと偉そうな言い方になりますけど、町全体を使ったアートイベントの秋の「芸工展」とか、不忍ブックストリートの「一箱古本市」とか、千駄木大観音のほおずき市とか、うちの子どもたちも含めた若い世代が、ずいぶんいろんなことをやってます。おしゃれな喫茶店や工房やお店を自分でやる人も増えたんだけど、一方でチェーン店は意外に増えていないんですよね。
編集部
町に対して、「みんなでつくっていこう」という意識が高まったという感じでしょうか。
森
そうした意識は、すごく強くなっているように思います。研究会というほど堅苦しくなく、いろんなことを話し合おう、飲み仲間も作ろうというネットワークが、私の知らないのも含めていっぱい地域にできていて。今日もこの後、その一つの会合に行くところなんですよ。
「必要なときには助けてくれる人が現れる」のは、
なんとも明るくて気さくな森さんの人柄ゆえ?
次回は、「ここ数年、畑仕事をしに通っている」という、
宮城県・丸森町でのお話を中心に伺います。