住んでみて初めて「大変な問題や」と思った
編集部
それが、どうして基地問題を意識するように?
伊丹
引っ越してきてすぐ、ちょうど普天間基地の発着経路が変わって、飛行機が私のアパートの真上を飛ぶようになって。パイロットの顔とかも見えるくらい。そのときまだ2歳やった娘は騒音で泣くし、これは大変なことやなって思った。そういう、実際にその現状を体験したところからかな。
でも、周りのウチナーンチュの人らと飲みに行っても、もあい(寄り合い)に行っても、絶対みんな基地の話はしない。どうしてもお父さんやお母さんが基地で働いてる、親戚の誰かがアーミーと結婚してる、とかいう人がたくさんいるから。波風立てないために、基地の話はしないのが当たり前。飛行機の騒音も「すぐ慣れるよ」ってみんな言うしね。「飛ばんかったら、今日なんかあったかねーって不安になるよ」とか、冗談やけど。
編集部
辺野古へは?
伊丹
「辺野古でソウル・フラワーの〈満月の夕〉とか歌ってる子らがいるよ」って聞いて、「じゃあちょっと行ってみよう」って、娘を連れて行ったのが最初。それで話をするうちに、みんな頑張ってて疲れるやろうし、ソウル・フラワー呼んで、なんか余興やろうか、みたいな話になって。神戸のときに「おばあちゃんらが退屈してるやろうから、歌いに行こう」ってなったのと同じようなノリやったんやけど。
それで、こっちで知り合ったミュージシャンの知花竜海に相談したら、「去年、那覇の子たちが『こんなきれいな辺野古に基地なんか建ててほしくない』って、辺野古の浜でレゲエフェスみたいなことやってたよ」って教えてくれて。その子らは、激しく赤字をかぶってしまって(笑)、2回目はやらないつもりだったらしいけど、せっかくノウハウがあるし、別々にやるよりそこに私らが合流して2回目をやろうや、ということになって。
編集部
それが2007年に辺野古でやった“ピース・ミュージック・フェスタ!”なんですね。周りの反応はどうでした?
伊丹
もう、村全部が移設賛成ムードやからね。もちろん、みんな心から賛成してるわけじゃないけど・・・。200軒ある家を全部回って「こういうことをやらせてもらいたいんですが」って言いに行ったけど、やっぱりドア半開き、みたいな感じやった。まあ、20人くらいでぞろぞろ、しかもラスタマンとか変なんばっかりで行ったから、そらみんな半開きにするよな、みたいな感じでもあったけど(笑)、難しかったのは確か。すごい緊張感はあったよね。
でも、渋さ知らズとかも来てくれて、お客さんの入りはまあまあやったし、ずっと座り込みをやってる人たちにはすごくいいモチベーションになったと思う。お客さんの6割くらいはナイチャー(内地の人)だったけど、「内地の人の中にもこんなに応援してくれてる人がいてくれるんや」って。それだけでも伝わればいいかなって思ったし、とにかく一生懸命で、あっという間に2日間が過ぎたっていう感じやったね。終わった後に、座り込みをずっとやってる男の人から、「アメリカ、日本両政府が一番やってほしくないこと、それは辺野古の浜に人を集めることなんだよ。ピース・ミュージックは、すごい意味があることをやってくれた」って言ってもらえて嬉しかった。
宜野湾で開催した「’09ピース・ミュージック・フェスタ!」のステージにて (写真提供:「ピース・ミュージック・フェスタ!実行委員会」)
2007年の辺野古のフェスタでのソウル・フラワーの演奏は、
DVD「ライヴ辺野古」に収録されています。
次回、その後のピース・ミュージック・フェスタ!、
そして沖縄から見た基地問題の今後について、さらにお話をお聞きします。