日本の社会構造は、戦前戦中から変わっていない
編集部
林さんが研究を続けておられる、慰安婦の問題や華僑虐殺のような、自分たちの国の「加害」の事実を知ることは、誰にとっても辛い作業ではあると思います。それをあえてすることの意味とは、どこにあると思われますか。
林
いろいろありますが、少なくとも事実を知って、被害者に対するきちんとした償いをするというのは、加害国としての責任です。それも、いまだに死ぬほど苦しんでいる人たちがいるのに、それを日本は放置しているわけですから。
加害国などとおおげさなことを言わなくても、深刻な被害を受けて、そのことについていまだに謝罪もされず、心身ともに苦しんでいる人たちを前にして、そういうことに無関心でいられる人たちって、いったいどういう神経なのかと疑いますね。平気でいられない、知らん振りできないというのが、人間として当たり前のことだと思うんですが。でもそう考える人は圧倒的に少数派みたいですが。
編集部
一方で「中国も韓国もいつも謝れと言うけれど、すでに何度も謝っているじゃないか。いったいいつまで謝ればいいのか」という声は、いわゆる「嫌韓」「嫌中」の極端な層だけではなく、ある程度一般的な意見としても存在しているような気がします。これについては、どう答えられますか?
林
「謝った」というけれど、たとえば首相が謝罪しても、すぐにそれを取り消すような発言を、しかも大臣クラスが平気でする。しかもやっていることはといえば、教科書から慰安婦についての記述を削除したり、さらには「つくる会」の教科書を支援したり。日本軍の強制を削除させた、いま問題になっている沖縄戦の教科書検定だって、そうですよね。口先だけで謝っても、それを否定するような行為を繰り返しやっているわけで、それではとても謝ったとは言えない。
あと、研究の中でわかってきたことは、日本社会というのは全然変わっていないんだな、ということです。
編集部
それは、戦前や戦中と、ということですか?
林
たとえば、日中戦争が始まった後の1938年、日本軍と内務省は、全国の府県知事に通達を出して、各府県から女性を何名かずつ「割り当て」して出させて、それを中国へ慰安婦として送り込むという計画を立てます。直接の人集めは業者にやらせて、台湾の高雄まで連れて行って軍に引き渡させる、そうした女性集めを警察と行政が行っていたんです。しかもそれを「業者が全部自発的にやったように取運べ」と書いてある資料が残っているんです。
実際には軍と警察と内務省が全部取り仕切っていたわけですが、その内務省での担当課長が町村金五。現在の官房長官の町村信孝の父親です。そして、息子の町村官房長官は文部大臣だったとき、「つくる会」の教科書を検定合格させた人物。つまり、父親がやった犯罪を息子がもみ消していると(笑)。
編集部
A級戦犯容疑者だった岸首相の孫で、しかもその祖父を「尊敬している」と公言する安倍晋三が首相になったというのも象徴的ですよね。薬害エイズ事件を引き起こしたミドリ十字も、731部隊出身の元軍人たちによって設立された会社でしたし、戦時中の明らかな犯罪が、そのまま許されてしまっている。
林
さらに日本だけではなくて、韓国軍というのも、もとは旧日本軍出身者によってつくられた軍隊です。そして、そこから韓国の軍事独裁政権が生まれ、日本は戦後、その政権と癒着して、戦争被害者の声を押さえてもらってきました。90年代になって韓国で元慰安婦などの被害者が声をあげるようになってきたのは、ようやく民主化が進んだからですよ。
編集部
それまでは、被害者として名乗り出ることさえ許されなかった。
林
その意味でも、被害者に対するきちんとした謝罪や補償という対応はなされていない。むしろ日本は、その声を軍事政権と一緒になって、何十年にわたって押さえつけてきたわけです。
韓国の人々は、民主化闘争を必死にやって、それでこの10年くらいになって、やっと語ることができるようになってきた。そうしたら日本人は、「戦後50年、60年も経っているのに、なんで今さら」と言う。金目当てだとまで言う声もありました。今さらというけれど、何十年も声を出せないようにしてきたのは、まさに日本ではなかったのか。そういう戦後史の認識が、日本人には本当に欠けていると思います。
過去の過ちを検証するのは、決して糾弾のためではなく、
同じ過ちをふたたび現代に生み出さないため。
ここに、私たちが学ぶべき、重要なメッセージがあるのではないでしょうか。
皆さんのご意見もお待ちしています。