沖縄戦、従軍慰安婦など、歴史の表舞台からは長く「隠されてきた」さまざまなテーマに、真摯に向き合い続けてきた林さん。ご自身をそうさせてきたものは何だったのか。まずはその「思い」から伺いました。
1955年生まれ。関東学院大学経済学部教授。平和研究・戦争研究・現代史を専門とする。『沖縄戦と民衆』(大月書店)で第30回伊波普猷賞受賞。その他の著書に『裁かれた戦争犯罪-イギリスの対日戦犯裁判』(岩波書店)、『BC級戦犯裁判』(岩波新書)、『シンガポール華僑粛清』(高文研)などがある
出発点は差別への怒り。
「誰もやらない」問題に取り組んできた
編集部
さて、林さんはこれまで沖縄戦のほか、従軍慰安婦、BC級戦犯裁判、またシンガポールでの日本軍による華僑虐殺などについても研究を続けてこられ、それらについての著書がおありです。こうした、少なくとも日本においては最近まであまりきちんと知られてこなかった、あるいは「隠されてきた」とも思えるような問題に興味を持たれるようになったのは、どういった思いからだったのでしょうか? そのきっかけや経緯をお聞かせいただけますか。
林
うーん。一言で説明するのはなかなか難しいんですが(笑)、最初に衝撃を受けたのは、中学生のときに部落差別の問題を知ったことですね。「こんなひどいことが現実にあるのか」と思ったし、差別される人の立場に立って物事を考えないといけない、と意識するようになったのはそれがきっかけです。
沖縄にも、中学生のときに家族旅行で行って、すごい衝撃を受けました。当時、摩文仁の丘の下にある健児の塔の裏側にあるガマでは、入り口にまだ火炎放射器の黒い跡がくっきりと残っていたりもしたんです。それから、当時はまだ日本への復帰前で、基地を囲むフェンスの内と外の光景が、明らかに違っていた。基地の中は芝生が敷き詰められてとてもきれいで、それなのに外側は道路の舗装さえされていなくて、すごく貧しい。そのコントラストが非常に印象に残りました。僕自身の考え方をつくる上では、そのあたりが大きな影響を与えていると思います。
それから、高校から大学にかけて強く意識するようになったのが、女性差別の問題。なぜそう思うようになったのかは今となってはよくわからないのですが、やっぱり部落差別の問題などから、いろんな「差別」について考えるようになったということなのかもしれません。
世間では非常に「民主的」だと言われていたり、平和運動をやっていたりする男性が、実はみんな家では妻に家事を押しつけていたり、女性を犠牲にしながらやっているということに、非常な矛盾を感じたんです。奥さんを犠牲にして、自分だけが外でいい格好しているんじゃないかって。それで、自分で本を買ってきて料理を勉強したりもして(笑)。結婚するときも、専業主婦ではなくて自分の生きがいを持ち、自分の仕事を持っている女性を、と思っていました。
編集部
そこから、具体的に沖縄戦や従軍慰安婦など、戦争に関係するテーマに取り組まれるようになったのはどうしてですか?
林
一つは、「誰もやらないから」です。沖縄戦のことも沖縄の人たちは研究していましたが、本土でやっている人は、まったくいなかった。慰安婦の問題も、研究者でやろうとしている人は少なかったし、当初名乗り出たのはほとんど朝鮮半島の女性だったでしょう。
私はその前に東南アジアへ行って、その地元の女性の中にも慰安婦にされた人がいるということを耳にしていたんですが、東南アジアの研究者は誰もそういうことを発言しない。このままだと朝鮮半島出身の慰安婦ばかりに関心が行って、その他の占領地域の女性の被害が反映されないのでは、というので、東南アジアのほうから慰安婦の問題をやり始めたんです。
マレー半島のことも、研究者が誰もやらないので、「どうしてやらないんだ」と思って…。
編集部
やる人がいない、というのはどうしてなんですか?
林
はっきり言えば、あまり学問業績にならないからでしょう。少なくとも、研究者としての就職には有利にならないどころか、敬遠されます。思想的に偏ってると評価されることもあるし、慰安婦問題にしても戦争犯罪にしても、学界は「そんなのは学問じゃない」と言って逃げる。そうして、自分は安全なところで高尚な議論をして、それが認められるという構図。そういうアカデミズムに対する反発もあったのかもしれないですね(笑)。
過去の過ちを検証するのは、決して糾弾のためではなく、
同じ過ちをふたたび現代に生み出さないため。
ここに、私たちが学ぶべき、重要なメッセージがあるのではないでしょうか。
皆さんのご意見もお待ちしています。