生き抜いてきた沖縄の「強さ」に勇気づけられた
編集部
さて、武藤さんは告訴団の活動で全国各地を飛び回られていますが、今年の春には初めて沖縄にも行かれたそうですね。沖縄も昨年来、オスプレイ配備などをめぐって激しく状況が揺れ動いていますが、訪れてみての感想を最後にお聞かせください。
武藤
これまで、観光などでしか行ったことがなかったのですが、今回は地元の方に案内していただいて、普天間基地やその移設先とされている辺野古、米軍ヘリパッド建設が進む北部の高江、米海兵隊の飛行場がある伊江島なども訪れることができました。とても濃い旅で、自分の中でもうまく消化し切れていないのですが、考えることがたくさんありました。
沖縄の中で米軍基地の占める割合の大きさも改めて実感しましたし、高江ではちょうど、オスプレイが低空飛行しているところに遭遇して…。これまで基地問題などに関心がなかったわけではないけれど、現地に行って、その土地の人たちと話をしないとわからないことがたくさんある、と実感しました。
編集部
行って、話をしてみないとわからないことがたくさんある。それは、福島にも共通することかもしれません。
武藤
そうなんだと思います。ともすれば「沖縄の問題」「福島の問題」として封じ込められてしまいがちな点も同じだと思いますし、どちらも「国策」としてやられている、国を相手に闘わなくてはならない、という点も共通項だと感じました。
それだけに、ずっと闘い続けてきた人たちの話を聞いて、たくさんの苦しみを経ながらも、それでも生き続けてきた沖縄の「強さ」に触れたことで、力づけられる思いがしました。私たちも生き延びていかなきゃ、と強く思いましたね。
沖縄の闘いの歴史を見ていても、私たちが生きている間に世界中の原発がなくなることは、もしかしたらないのかもしれない、と思うことがあります。チェルノブイリの事故のときだって、世界的に反原発の運動は盛り上がったけれど、時間とともにそれは低迷していった。でも、そこでふるいにかかったように、原発反対の運動を続けている人たちがいるわけです。今回の事故についてもそうでしょう。
ほんの少しずつでも、やっぱり人は進化していくと思うのです。だから、一挙に何かが変わって、すぐに原発がなくなるなんてことはないとしても、せめて私たちがこれからどちらの方向を向いて生きていくのかという道筋はつけたいと願います。そのために、私たちは今、声をあげ続けなくてはならないのだと考えています。
福島第一原発作業員へのインタビューを紹介してくれている、
今週の雨宮処凛さんコラムを読んでも、
原発事故は、まだ何も終わっていないことを痛感させられます。
「終わったことにしよう」という動きに抗い、
「これから」の道筋を見出す。
それが、原発のある社会をつくってきてしまった私たちの、
最低限の果たすべき役割なのではないでしょうか。
武藤さん、ありがとうございました。