2年前に書いたことが、どんどん現実化している
編集部
一昨年の「さようなら原発5万人集会」でのスピーチには、「真実は隠されるのだ/国は国民を守らないのだ/事故はいまだに終わらないのだ…」といった、情報を国民に公開せず、被曝や健康被害を防ぐための十分な措置さえ取らない政府への、強い怒りの言葉もありました。それについては今、どのようにお考えですか?
武藤
先日、改めて読み返してみて、書いたことがどんどん現実化している、と愕然としました。
マスメディアでの報道は減ってきてしまったけれど、福島の原発事故は、まだ何も終わっていません。核燃料を冷却するために、水をジャージャーかけ続けているだけ。それによって発生する汚染水を保管するスペースが足りなくなって、海に流そうという話にもなっている。そして、その中でおびただしい被曝をしながら働いている作業員がいて、その6割は福島県民だとも言われています。
編集部
政府は「復興を加速するため」として、除染にも力を注いでいますが…。
武藤
莫大なお金が投入されて、県外から大手ゼネコンが入ってきて、あちこちで進められていますね。でも、その除染で剥ぎ取った土をどこに持って行くかはまだ決まっていない。とりあえずはフレコンバッグ(フレキシブルコンテナバッグ)と呼ばれる袋に詰めるんですけど、それを持って行く場所がないんですね。しかたなく住民はの家の敷地に置くのですが、家からはなるべく遠くに置きたい。だから家の敷地ギリギリ、道路沿いにずらっとバッグが並べられています。でも、そこが子どもたちの通学路になっていたりもして…フレコンバッグのすぐそばに線量計を置いてみたら、毎時2マイクロシーベルトくらいある場合もあるんですよ。
編集部
そもそも除染に効果があるのか、という疑問の声もありますが、それ以前の問題ですね。
武藤
そのほかにも、私たちからすると納得できないさまざまな計画が「復興」の名の下で進められています。例えば、県の南部にある東白川郡鮫川村というところに建設されている、焼却実証実験炉。稲藁などを焼却して体積を減らす実験をするというのですが、1キロあたり8000ベクレル以上のものが焼却されます。そもそも、鮫川村は県内では放射線量の低いところですし、湧き水が豊富でいわき市などの水源地にもなっているところ。そこにそんな焼却炉を建設するというのはどうなのか…。
それも、住民には何の説明もないまま、水面下で計画が進められていて。住民が計画を知ったときには、もう建物の基礎も打たれているような状態だったといいます。しかも、1時間に200キロ以上の焼却処理をする焼却炉を建設する場合には環境アセスメントが必要になるのですが、環境省は「1時間あたり199キロ」という形で申請をして、アセスも行わなかった。通常、悪徳業者が「アセス逃れ」のためにやるような手口です。
編集部
それを国がやってしまう…。
武藤
すでに住民の反対を押し切って焼却炉が設置され、焼却が始まろうとしています。そのほかにも、私が暮らす三春町でもIAEAが常駐する研究・広報機関の「環境創造センター」の建設が予定されていたりと、除染や廃棄物処理に関する研究施設などの建設計画がいくつか進んでいます。巨額の復興予算がついたために、そうしたハコモノ計画が次々に持ち上がってきたようなんですね。それによって儲かるのは、地元企業ではなくて県外から来る大手ゼネコンなのですが…。
一方で、福島県は2020年までに原発事故による避難者をゼロにするという方針を打ち出していて、それに伴って避難している人への支援策が次々に打ち切られている。家族が県外と県内に分かれて住んでいたけれど、経済面で立ちゆかなくなって戻ってこられた方もたくさんいます。
編集部
警戒区域の再編も進んでいますね。もちろん、県内で暮らしたい、帰れるのは嬉しいという方もたくさんいらっしゃるでしょうが…。
武藤
もちろん年配の方など、違う土地で暮らしたくないという人もいるでしょうし、いろんな考え方の人がいます。だからこそ、どちらを選んでも――避難しても、とどまっても救われる、きちんと暮らしていけるような施策を望みたいです。
今、「復興」という言葉があちこちで叫ばれて、「復興ムード」が漂っているという現実も福島にはあります。観光協会が「風評被害を吹っ飛ばして、観光客を呼び込もう」と呼びかけたり、林業の復興のために森林の除染をやろうとしている方たちがいたり…。それは難しいのでは、と思う一方、もちろん住んでいる人たちの暮らしを成り立たせることも大事ですし、状況はとても複雑です。何より、周りの人と立場や意見が違うだけでなかなかものが言えない雰囲気があること、事故から2年が経ってそれがますます強くなっていることが、非常に問題だと思っています。
福島第一原発作業員へのインタビューを紹介してくれている、
今週の雨宮処凛さんコラムを読んでも、
原発事故は、まだ何も終わっていないことを痛感させられます。
「終わったことにしよう」という動きに抗い、
「これから」の道筋を見出す。
それが、原発のある社会をつくってきてしまった私たちの、
最低限の果たすべき役割なのではないでしょうか。
武藤さん、ありがとうございました。