この人に聞きたい

作家の村上春樹さんの「東電の社長などは(原発事故の責任を取って)刑務所に行くべき」という発言が話題を呼んでいます。実は昨年、すでに原発事故における法的責任の追及を求め、立ち上がった人たちがいました。それが、東電幹部や政府関係者への告訴・告発に踏み切った「福島原発告訴団」。団長を務めるのは、一昨年の「さようなら原発5万人集会」でのスピーチでも知られる武藤類子さん。告訴に至った経緯や今の思いを伺いました。

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武藤類子(むとう・るいこ)
1953年福島県生まれ。福島県三春町在住。和光大学卒業、版下職人、養護学校教員を経て、2003年に里山喫茶「燦(きらら)」を開店。チェルノブイリ原発事故を機に反原発運動にかかわる。現在、「ハイロアクション福島」事務局、福島原発告訴団団長。著書に『福島からあなたへ』(大月書店)がある。
この国では、責任が問われないまま
放置し続けられてきた

編集部
 武藤さんのお名前を初めて知ったのは、福島第一原発事故から半年が経った2011年9月、東京・明治公園で開催された「さようなら原発5万人集会」のときです。そこでの武藤さんの、「私たちはいま、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」と、被災者を置き去りにしたままなお原発を推進しようとする動きへの怒りを訴えたスピーチは多くの人の共感を呼び、インターネットを中心に急速に広がりました。あのスピーチからまもなく2年が経とうとしていますが、その「怒り」はどう変化しましたか。

武藤
 基本的には変わっていない、と思います。ちょうど先日、原発事故以前に撮った写真を見ながら友人と話していたのですが、「このころとは(自分たちは)明らかに変わったんだよね」と。本質は変わらないのかもしれないけれど、「鬼になって」しまった、そうならざるを得ない状況があるんだよね、と言っていたところです。

 ただ、2年という時間が経って、怒りだけではなく冷静さが大事だともより強く思うようになりました。怒りは原動力にもなるけれど、それに身を任せるだけではなくて、ここからどう進んでいけばいいのかを冷静に見つめる時期でもあるのだと思います。

編集部
 そうした思いから立ち上がった活動の一つが、武藤さんが現在団長を務めている「福島原発告訴団」だと思います。昨年3月に、福島第一原発事故における法的責任の追及を求めて結成され、東京電力幹部や原子力安全委員会関係者などを業務上過失致死傷罪容疑で起訴するよう求める告訴状を福島地検に提出されましたね。そこに至る経緯を教えていただけますか。

武藤
 福島の原発事故は、これまで私たちが今まで経験したことがないような大きな事故でした。しかし、それに対する国や東京電力の対処の仕方を1年間見続けたときに、あまりにも納得のいかない、不思議なことが多すぎると感じたんですね。1年経っても、どこに、誰に事故の責任があるのか、まるで明確にされることがなかった。2011年8月に福島県二本松市にあるゴルフ場が、「福島第一原発の事故後、ゴルフコースから放射線が検出されて営業に支障が出ている」と、東京電力に対して汚染の除去などを求めたときも、東電は「原発事故で飛び散った放射性物質は、所有者のない“無主物”だから、自分たちに除染の責任はない」として拒否しました。

編集部
 ゴルフ場側が仮処分を申し立てた東京地裁も、「除染は国や自治体が行うもの」として、訴えを退けましたね。

武藤
 東電が起こした事故なのに、なぜ東電の責任において除染をしないのかと、とても不思議でしたね。その後、今度は避難しなくてはならなくなった人たちへの賠償の問題が持ち上がってきたときも、なぜか賠償する側の東電が審査をして賠償の範囲を決めるという。これも、どうしても納得がいきませんでした。
 それに、そもそも一般的に事故や事件が起こったときには、関係企業や機関に対して、捜査機関がすぐに証拠押収のための強制捜査に入りますよね。それが東電に対しては行われないことも、とても不思議だったんです。
 一方で、人々が原発事故という「人災」によって、生活を根こそぎ変えられてしまったこと、そして無用な被曝をずっとさせられてきているという現実は、たしかに存在しているわけです。

編集部
 現実に苦しんでいる人がいるのに、その責任を誰も問われていない。

武藤
 実は、福島では1989年にも、第二原発の3号機で原子炉に冷却水を送り込む再循環ポンプが破損し、2年近く運転が停止されるという大事故が起こっていました。1988年に地元の仲間と結成したグループ「脱原発福島ネットワーク」では、原因究明や再発防止を求めて東電に申し入れを20年間行ってきたのですが、そうした市民からの提言は一切受け入れられませんでした。2010年の6月にも、第一原発の2号機で冷却系電源が全喪失するという事故が起こっています。

編集部
 「意見は聞きましたよ」というポーズだけだった、ということでしょうか。

武藤
 そうですね。そして、何の対策も取られないままに東日本大震災が起こり、あれだけの事故が起こってしまった。その責任は、やはり大きいのではないかと思うのです。
 そして、こんなふうに「責任が問われない」という場面が、日本の歴史の中にはたくさんあったと思うんですね。

編集部
 というと?

武藤
 戦争責任の問題もそうだし、これまで多々起こってきた公害の問題もそう。一番責任があるはずの人たちの責任は問われないまま、いくつも放置されてきたと思います。そして国も大企業も、被害者を、弱い立場にある人たちのことを大事にしてこなかった。
 実は、東日本大震災と原発事故が起こったとき、これで少しは日本という国も変わるんじゃないか、という思いがあったんです。これだけの大事故が起こったんだから、いくらなんでも国も企業も変わるだろう、ちゃんと被害者を守るために動くだろう、と。でも、1年経ってみて、実際には何も変わらなかったことが分かって、とてもがっかりしました。
 さらにこのまま、今回の事故の責任も問われないとしたら、この先もこの国は変わらない。十分な救済もされないまま、国民は黙らされていくだろう。そう思いました。それで、一緒に反原発の活動に取り組んできた仲間たちとともに、告訴に踏み切ることを決めたのです。

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武藤類子さんに聞いた(その1) なぜ「福島原発告訴団」は
立ち上がったのか
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    「被害者自身が声をあげなければ、忘れ去られてしまう」。
    それは、先日インタビューに登場いただいた、
    福島県二本松市在住の佐々木るりさんもおっしゃっていたことでした。
    痛みや悩みを抱えながら、声をあげてくれる人がいるのなら、
    それをきちんと受け止めたい、と思います。
    次回、武藤さんから見た今の福島の状況についても伺います。

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