白洲次郎は「かっこ悪いオッサン」だった!?
編集部
「日本維新の会」が、党綱領で現行憲法を「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め」た占領憲法、として「改憲」を明確に謳うなど、「占領軍による押し付け憲法だから変えるべき」という声も相変わらず目立ちます。
谷口
よく学生にも言うんですが、そう主張している人はそもそも、押し付けやとか押し付けじゃないとかを判断できるくらい憲法の成立史について勉強したんか? と聞きたいですね(笑)。もちろん、私もその制定の場にいたわけじゃないから知らないことはいっぱいありますけど、関係者の書いた本を読むだけでも、単純に「押し付け」なんて言えるものではないことがわかるはずです。
維新の会の石原(慎太郎)さんも、「占領下でつくられた憲法なんて無効、そんなの誰が承認したんだ」とかよく言いますけど、承認したのは最後の帝国議会ですよ。現行憲法は、別に大日本帝国憲法を破棄して新しくつくられたわけじゃなくて、改正によってできたものなんですから。
編集部
ちゃんと法的な手続きを経て、当時の国会で承認されているんですよね。その内容の多くが、GHQによって作成されたものであるのは事実でしょうが…。
谷口
でも、それは日本側の出した案――当時の閣僚である松本烝治や幣原喜重郎がつくった案が、「天皇ありき」で国民の人権はないがしろ、立憲主義の考え方もないし君主統治の維持が前提という内容だったから、GHQが「それはあかんやろ」と言った、というだけのことですよね。本当に「押し付ける」つもりやったら、最初からGHQだけで作ったでしょう。
例えば、憲法起草にかかわった1人、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが書いた『1945年のクリスマス』という本がありますけど、そこに出てくる関係者の不眠不休のやりとりを読んで、それでも「押し付けや」というんやったら、それはそのときその場にいた人たちに失礼ですよ。そのとき憲法担当国務大臣やった松本は、首相やった幣原は何をしてたのか、白洲次郎は何のためにそこにいてたのかということになってしまう。
編集部
「押し付けられる」のを止められなかった役立たずと言われてるようなものですね…。
谷口
そう。みんな白洲次郎がかっこいいとか言うのやめたほうがいいですよ。その場にいてたのに何もできなかったかっこ悪いオッサンやということになるじゃないですか(笑)。
さらに言うなら、戦後にも日本は一度、GHQ――というか極東委員会から、「憲法を変えてもいいよ」と言われてるんですよね。それでも変えなかったのは日本の選択でしょう。
編集部
1947年の時点で、極東委員会は「施行後1年を経て2年以内に新憲法を再検討する」という決定をしていた。けれど日本は動かず、49年4月には当時の総理大臣である吉田茂が「憲法改正の意思は目下のところもっておりません」と国会答弁。これを受けて、極東委員会も憲法改正要求を断念するんですよね。
谷口
だから、麻生太郎さんに至っては、自分のおじいさんも全否定してることになるわけですよ。押し付けや押し付けやというけど、もしそうならそれはあんたのじいちゃんがちゃんと「変える」って言えへんかったからやんか、と言いたい(笑)。
せめて、「いやー、すいません。うちのじいさんがミスったためにこんなことになってしまって。ついては修正しようと思うんでちょっと話を聞いてもらえませんか」とか言うならまだ話の筋は通ってるんですけどね。そういう歴史的な経緯とか前提条件を隠したままで議論が進められてるでしょう。そこはもっと批判されるべきですよ。
「時代に合わないから」「押し付けだから」変えるべき、といわれると、
「そうなのかも」とも思ってしまいがち。
でもその前に、「ほんとにそうなの?」と疑って、考えてみる習慣をつけたい。
これ以上、「オッサン政治」に好き放題されないために、
「おばちゃん党」仕込みの「ツッコミ力」、重要です。
谷口さん、ありがとうございました!