テレビや新聞で福島が取り上げられることは、めっきり少なくなりました。ときおり登場するのは、復興に向けて懸命に努力する人たちの笑顔です。そうした報道に接していると、まるで福島は平時に戻りつつあるかような気がしてきます。でも、なかなか表に出てこない住民の素顔もあります。とりわけ、子どもを育てるお母さんたちは、どう考え、どんな気持ちで暮らしているのでしょうか。福島県二本松市に住む佐々木るりさんは、5人の子どもを持つお母さんです。真宗大谷派寺院「真行寺」の副住職を務める夫・道範さんと共に、隣接する幼稚園を運営しています。地元のお母さんから、たくさんの相談を受け、自身も悩み続けてきたるりさんに、福島の今を語っていただきました。
1973年生まれ。福島県二本松市在住。真宗大谷派寺院「真行寺」で副住職の夫と共に寺務職の傍ら、寺に隣接する同朋幼稚園の教諭。五児の母。福島第一原発事故以降、こどもたちを被曝の影響から守るために、園児の母たちと「ハハレンジャー」を結成し、全国から送られてくるお野菜支援の青空市場開催、セシウム0の園児食「るりめし」作り、講演等で活動中。鎌仲ひとみ監督作品『内部被ばくを生き抜く』(2012)に出演。
震災後、初めて「活躍する女性」に出会った
編集部
そもそも鎌仲ひとみ監督と出会ったのは、どんなきっかけだったのでしょうか?
佐々木
震災後、時々うちのお寺に来てくれていた高遠菜穂子さんの紹介でした。鎌仲監督が撮影に来られたのは、2012年の2月くらいです。私にとって、鎌仲監督との出会いは衝撃でした。あんなに、いきいきと社会で活躍している女性に、出会ったことがなかったのです。震災が起きる前までの私は、女性は3歩下がって男の人について行けばいいと思っていました。お寺は封建的でしたし、二本松はまだまだ昔ながらの家父長制が残っていて、長男が家の跡取り、お嫁さんが同居して、というのが当たり前です。みんなは「かまちゃんかまちゃん」と呼んでいるのに、私だけまだそう呼べなくて。尊敬している親鸞様を「しんちゃん」と呼べないように、尊敬している鎌仲監督を「かまちゃん」とは呼べないんです(笑)。
編集部
震災後の新しい出会いは、るりさんにとって大きな変化だったのですね。
佐々木
そうですね。強く生きている女性との出会いは本当に勇気になりました。同時に、自分は楽な生き方を選んでいたことにも気づきました。だまってさえいれば注目されないし、風当たりもありません。自分がなかったかな、と思います。
編集部
るりさんは、昨年、福井県の大飯原発が再稼働されるかどうかの時期に、官邸前のデモにも参加されていましたよね。
佐々木
再稼働になる日は、とにかく気持ちが焦っていて、いてもたってもいられませんでした。主人は講演に呼ばれていて不在だったので、電話して「今から福井まで抗議行動に行きたい!」と話しました。すると「今行っても、何も変わらないかもしれないぞ。それよりも、地道にお前の思いをつないでいくことのほうが大事なんじゃないのか」と言われて。それで、いったん冷静になりました。結局、大飯原発はあんなにもアッサリ再稼働されて、「ああ、福島ってこんな扱いなんだ」と気づきました。それまでは、国が簡単に福島を見捨てるわけがないと少し期待していました。でも、全くそんなことはないことが、よくわかりました。
編集部
昨年末の選挙では、原発維持派の自民党が大勝しましたね。
佐々木
あの結果には、自分の中で何かがくじかれた思いがしました。そもそも選挙運動の段階で、それまで福島に来たことのなかった政治家がどんどん入ってきて、「原発反対」と言っていたことにも、すごく違和感がありました。自民党の議員に「あれ? 自民党ってそうでしたっけ」と誰かが聞いたら、「福島の自民党は原発反対です」と言うのです。このままでは、また福島の人たちはだまされて苦しい思いをする。官邸前に行ったのは、そんな気持ちを直接訴えたかったからです。でも、選挙結果はどうであれ、私たちの生き方、やるべきことは変わりません。テレビで選挙結果を見ていた時、ふと外に目をやると主人が黙々と庭の除染をしていました。こういうことかと。一番は子どもの目の前から放射能をどけて、安全を守ることで、そのためにできる限りのことをしていかなくてはいけないと思います。
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