テレビや新聞で福島が取り上げられることは、めっきり少なくなりました。ときおり登場するのは、復興に向けて懸命に努力する人たちの笑顔です。そうした報道に接していると、まるで福島は平時に戻りつつあるかような気がしてきます。でも、なかなか表に出てこない住民の素顔もあります。とりわけ、子どもを育てるお母さんたちは、どう考え、どんな気持ちで暮らしているのでしょうか。福島県二本松市に住む佐々木るりさんは、5人の子どもを持つお母さんです。真宗大谷派寺院「真行寺」の副住職を務める夫・道範さんと共に、隣接する幼稚園を運営しています。地元のお母さんから、たくさんの相談を受け、自身も悩み続けてきたるりさんに、福島の今を語っていただきました。
1973年生まれ。福島県二本松市在住。真宗大谷派寺院「真行寺」で副住職の夫と共に寺務職の傍ら、寺に隣接する同朋幼稚園の教諭。五児の母。福島第一原発事故以降、こどもたちを被曝の影響から守るために、園児の母たちと「ハハレンジャー」を結成し、全国から送られてくるお野菜支援の青空市場開催、セシウム0の園児食「るりめし」作り、講演等で活動中。鎌仲ひとみ監督作品『内部被ばくを生き抜く』(2012)に出演。
「ここで暮らしていていいのか」、
今もまだ葛藤がある
編集部
佐々木るりさんは、鎌仲ひとみ監督の作品『内部被ばくを生き抜く』 に出演されました。映画では、るりさんが様々な葛藤の中で二本松にとどまる決心をし、子どもたちに食べさせるものの放射性物質を測定する様子などが描かれていますね。
佐々木
うちはお寺なので、原発事故直後にはご近所の方や檀家さんが大勢集まりました。その中で、女性と子どもが15~16人ワゴン車に乗り込み、とにかくガソリンがもつところまで逃げよう、ここから離れようとクルマを走らせ、新潟の三条別院という真宗大谷派の所有する施設に避難しました。主人と関係のある方の紹介で、私は5人の子どもたちとここで、しばらくお世話になりました。
避難から1ヵ月後、学校が始まることになって、上の子3人と主人は一緒に二本松で暮らすことになり、私と下の子2人は新潟にとどまりました。でも家族が離ればなれなのはやっぱりつらくて、5月半ばには私たちも二本松に帰りました。
5歳と1歳の下の子が二本松で暮らしていいのか、今もまだ葛藤があります。せめて、少しでも安全な食べ物、安全な環境を子どもたちに与えたくて、NPO「TEAM二本松(市民放射能測定室)」を立ち上げ、食品放射能測定や子どもたちの内部被ばく検査、一時避難の支援をしています。
編集部
内部被ばく検査はどのように行っているのですか?
佐々木
ホールボディカウンターを購入し、今年1月から子どもたちが内部被ばくしていないか調べています。もし異常な数値の子が見つかったら、協力してもらっている医師に紹介したり、食生活の改善指導などをすることになっています。測定が始まり、まずは園児たちを測定したのですが、幸いなことにみんな限界値以下でした。最初、スモックを着て測った子の中に、限界値の300ベクレル以上が検出された子がいたのですが、他の子のスモックを着せて再検査したらでなくなりました。
編集部
二本松市としての、内部被ばく検査は行われているのでしょうか?
佐々木
市でも18歳以下の子どもたちの検査を行っていますが、測定器が少なくて、これまでの2年間で1回しか順番が回ってきません。受けられたとしても簡易式であったり、あるお母さんは3ヵ月たっても結果がもらえず、問い合わせたら「あまりに誤差が大きいから渡せない」と言われたそうです。それがNPOでできるようになったので、地元のお母さんたちの安心につながれば、と思っています。
編集部
ホールボディカウンターはとても高額ですよね。購入は大変だったのではないでしょうか?
佐々木
そうなんです。5000万円もしました。ホールボディカウンターは受注生産で、納品まで半年ほどかかるのですが、実は発注した時点では、お金のめどはたっていませんでした。主人と話して、自己破産も覚悟していました。その後、色んな方が寄付をしてくださったおかげで、なんとか間に合いました。
ただ、予測していたよりもずっと機械本体が重くて、搬入に時間がかかりました。測定所の建物の基礎の打ち直しや、玄関を壊して広くする工事が必要になって。それで半年くらいかかりました。元は居酒屋だった空き店舗を借りたので、今もまだカウンターがあって、居酒屋の雰囲気の残った測定所なんですよ(笑)。今後は、ちゃんと検査着に着替えられるスペースも準備して、徐々に本格始動していくつもりです。
編集部
食べ物からは、今も放射性物質が検出されるのでしょうか?
佐々木
TEAM二本松で借りている測定器で測っていますが、去年に比べると、だいぶ減ってはきました。だいたい半分くらいの線量ですね。ただ、公の検査はサンプル調査しかしていないので、安心はできません。実際、JAを通して市場に出回ったものが、あとから基準値を超えていたことが分かった例もあります。やっぱり、小さな子どものいる家庭では、県外産の食べ物を選んでいるご家族がまだまだ多くいます。葉物野菜などは県外産のものが少なく、あったとしても福島産の2倍の値段だったりします。そうなると、どうしても野菜を買うのを控えてしまうので、子どもたちの栄養バランスも心配です。
編集部
学校給食は、どう対応しているのですか?
佐々木
私の子どもが通っている学校では、ずっと北海道産のお米だったのですが、去年の暮れから福島産を使うようになりました。地元の食材を使った学校には、補助金が下りるようです。教育委員会に理由を聞くと、「苦しんでいる地元農家を助けるため」ということでした。でも、給食は子供が食べるものです。こうしたやり方に納得ができなくて学校に「放射性物質の検査はしているのですか?」と問い合わせると、先生方は口をそろえて「そういうことはよくわからないんです」と言いました。そう答えるようにマニュアルでもあるように思えるくらい。
編集部
学校が「わからない」と口を閉ざしては、お母さんたちは不安を抱え込んでしまいそうです。
佐々木
お母さんたちの間でも、ごく限られたグループでしか、放射能のことは話題にできない雰囲気です。学校でも、震災のあった初年は「休み時間や体育の授業で、子どもを外に出しますか」と家庭にアンケートをとったのに、2年目は自分から申し出ない限り、外に出しますし、プールにも入れます。クラスで外に出ない子は少数派になって、「あのお母さん、まだ気にしている…」と言われることもあります。相手を選ばないと放射能の話はできないのです。子どもを保養につれていくのも、最初の年は「いってらっしゃい」と気持ちよく送り出してくれたのに、2年目からは「また仕事休むの?」ととがめられたお母さんもいます。
編集部
放射性物質の危険を気にするお母さんは、そこまで少数派になってしまっているとは驚きます。
佐々木
そうですね。地元の人も、異常なことに慣れてしまっているところもあります。福島はもう大丈夫、普通だよって、思おうとしているというか……。でも、県内には至る所にブルーシートをかけた土のうのようなものが積み上げられていて、「これは市で管理しているものです。近寄らないで下さい」と看板が立てられています。そのすぐそばを小学生がランドセルを背負って歩いています。二本松では、学校のまわりに放射能がたまらないように、桜並木が枝だけにされてしまったところもあります。実際には、まだまだ普通ではないんです。
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原発事故から3年目を迎えている福島。
置かれた状況や考えは人によってさまざまですが、
多くの人たちが今も、さまざまな不安や困難と闘いながら、
懸命に毎日を暮らし続けています。
「地元のことをできる限り伝えていく」というるりさんのような声に、
県外の私たちはどう応えられるのか。
次回、「原発再稼働」のニュースに抱いた思いや、
国や市の政策についてなど、さらにお話を伺います。