ロンドンのテレビの前で、
絶望感のただ中にいた3・11
編集部 3・11は、どちらでどのように受けとめたのでしょうか?
岩佐 ちょうどロンドンの食品見本市に参加するため、出張に出ていました。震災直後から、ヨーロッパでは原発事故を含め非常にシビアに報道をしていました。それを毎日見ていたというのもありますが、ただただ「絶望」でしたね。日本にいるスタッフに連絡をして、オーダーを受けたものはとにかく全部出して、被災地への応援物資も倉庫にあるだけ出して、3月17日に事務所を閉めました。原発事故の最悪の場合を想定したので、新潟と東京にいた従業員には全員避難指示を出し、海外に出られる人間は出て、国内にとどまる者もとにかく西に逃げなさいと。そのぐらい絶望していました。
自分たちがこれまで一生懸命にやってきたこと、日本の米のブランドを守るとか、魚沼のブランドを高める、なんてことを遥かに超越したものがそこにありました。すなわち、このまま日本という国家が破綻してしまうのではないか、ということです。
ロンドンで、15日に福島第一原発の三号機の建屋が爆発する映像を見た時、東日本全域で手がつけられない状況になったら、僕も日本にはこのまま戻れないかもしれないし、今そこに暮らしている日本人を、世界の人はどのぐらい受け入れてくれるのだろうか。海外に日本人はたくさん住んでいるけれど、それもほとんどの人たちは、国籍は日本で、結局は日本に依存して仕事も生活もしている。でも日本という国がなくなったら、「難民」として世界のどこかで生きていかなくてはならならなくなったら…いったいどれほどに虐げられて辛い生活になるのだろうか、それも私たちだけでなく、何代もの子孫にわたってそうなるかもしれない。…と、そこまで考えたわけです。
編集部 今までSF映画でしか見たことのないようなことが現実に起こり、映画『日本沈没』のラストシーンを、私も思い起こしました。
岩佐 国家滅亡が、あんなもの一つのために、起きてしまう可能性があるんですからね。でも結果的には、とりあえず日本国はまだあるし、僕らは難民にはならなくてすんだ。だからこれから日本でやれること、できることは何かあるんじゃないか。そこは前を向いて考えていきたいと思っています。
(構成・塚田壽子 写真・小城崇史)
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