国民に「憲法尊重」義務を負わせることの意味
編集部 立憲主義を前提にしていないことが表れているというのは、例えばどの部分でしょうか?
青井 やっぱり、憲法尊重擁護義務についての項目は衝撃的ですよね。現憲法では99条で「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定めていますが、自民党案では102条で「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と、国民を最初に持ってきている。
あと、97条の「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」もなくなっている。97条を含む憲法第10章は、憲法の最高法規としてのあり方について述べている章ですけど、そこにこの97条があるというのは、やはり憲法は国民の自由を守るために権力を縛るものなんだ、ということを示しているわけですよね。それを削除する、そして国民に「憲法尊重」の義務を負わせる。これは、非常に象徴的だなと思います。
編集部 憲法は、国民の自由を守るために権力を縛る目的で存在している。そのことを示す部分が、削除・変更されている。たしかに象徴的です。
青井 憲法ってそもそも、「法律のつくり方」を書いてあるものなんですね。法律という、具体的に私たちの権利義務関係を変動させる仕組みをつくっていく、そのときには国民の人権を侵害してはいけませんよ、ということを定めているわけで。それなのに、国民がその憲法を尊重するというのは、どういうことなのかと不思議になります。
本当に、日本国憲法制定から66年が経って出てくるのがこの改憲案なのかと、情けない気持ちにもなるのですが、代表民主制の国である以上、その案をつくっているのは私たちの「代表者」なわけで…。そして、憲法改正の国民投票というのは、その代表民主制の中で例外的に定められた直接民主制的要素なわけですが、それを受け止める土壌が果たして今の我々にあるのかな、という気もしてきています。
編集部 というと?
青井 他の国の憲法が、すべて改正に国民をかかわらせているかというと、そうじゃないわけです。例えばドイツでは、ナチスが台頭したのは国民がそれに喝采を送ったからだということで、国民には直接憲法改正にかかわらせない手法をとった。アメリカもそうです。改正は、議会の承認によって決定されるんですね。その中で、日本はあえて国民を憲法改正に直接かかわらせる道を取った。その重みは大きいんじゃないでしょうか。
そもそも、私たちは簡単に「国民主権」というけれども、主権って本当にすごく大きいもので、マジックワードなんですよね。すべてをがらがらポンで壊して、何もなかったことにもできる、何事をもなしうる権利なわけですから。本来、そうそう簡単に行使できるような軽いものではないはずなんです。
そういう重い権利を、立憲主義という当たり前の前提のもとでのきちんとした議論さえできない状態で、「なんとなく」行使していいものなのか。こんな改正案を出してくる国会議員を選んできちゃった、許してきちゃった私たちに、果たしてその重みを受け止めることができるんだろうか、と思うんですね。
いま、大学で教えていてもよく学生に「立憲主義って何ですか」と聞かれます。でも、近代社会における「よき市民」を育てるためには、立憲主義の考え方は絶対に欠かせないもののはず。それは本来、高等教育ではなく義務教育のレベルで教えておかなくてはならないことなんじゃないか、と思うのですが…。
(構成・仲藤里美 写真・塚田壽子)