審査会での議論に、
意味はあるのか
南部 そして、「宿題」を放置したまま審査会で続けられている「憲法の中身」についての議論なのですが、こちらはどうなのでしょう? 少しは実りのあるものになっているのか…。
編集部 とは言えませんね。個々の議員がそれぞれ、「党の立場」でさえなく、自分の思ったことを好き勝手にしゃべっている、というレベル。誰もがそういう印象を持っています。単なる意見表明の場になっていて、「税金を使って無駄話をしてるんじゃないか」という厳しい批判さえ耳にします。憲法論議は、個々の政治家の満足のためにあるのではないのですが。
何しろ、審査会のメンバーはどんどん入れ替わっていて、与党である民主党も1年生議員ばかり。民主党は実は国民投票法ができた2007年以降、党内で憲法論議をしたことがないので、みんな経験がないんですよ。それをいきなり天皇だ人権だ戦争放棄だと言われても、という感じじゃないでしょうか。
例えば「立憲主義」なんていう言葉自体も、まったくと言っていいほど出てきませんね。
南部 いくら一年生議員とは言え国会議員だし、それに憲法に関する議論をする場なのに、ですか?
編集部 以前、憲法審査会だけではなくて衆議院全体の議事録を、「立憲主義」というキーワードで検索してみたことがあります。発言していたのは、憲法調査会のころからずっとメンバーに加わっている辻元清美さんくらいで、あとは一切出てきませんでしたね。
また、憲法審査会には実は隠された「四番目の宿題」があったのです。国民投票法が施行されるまでの3年間、憲法調査会報告書(2005年4月)の内容を、時間をかけて精査することです。3年間は、憲法改正の原案を議論することはしない「凍結期間」とすることまで決めて、憲法に関する論点精査に集中するとしていたのに、それすらできていない。その議論の積み重ねもないのに、各章各条はもちろん、一院制国会だ、改正手続条項の緩和だとか高尚な議論をしようとしたって、できるはずもありません。
南部 冒頭にも触れたように、憲法審査会が動き出したことで、改憲の流れがつくられるのではないかと懸念している人も多いのですが、お話を聞いているとそういうレベルの話でもないというか…。「改憲」が声高に叫ばれていた安倍政権のときなどは、少なくとも安倍首相には「国民投票法をつくって9条を変えるんだ」という意気込みがあったし、各党も、それに対して賛成だ、反対だという立場をある程度鮮明にしていた。憲法調査特別委員会でも、そうした状況を前提としての議論が行われていたと思うのですが。
編集部 だから、その当時よりもはるかに議論の盛り上がりは低いと思います。それ以前に、政治の現場で憲法が意識されていない。もしかしたら、国民投票法がすでに施行されているのを知らない議員もいるかもしれない、とさえ思う。
そもそも、憲法改正手続きについて定めた憲法96条は、憲法体制を破壊するためではなく憲法保障の一環としてある条文です。何でもかんでも改正していいということではありません。改憲の中身についての議論をしたいのなら、まずその前に、国民主権や平和主義といった「憲法改正の限界」について合意をつくることから始めるべきです。
南部 憲法の「破棄」ではなくて「改正」である以上、その憲法の基本原則となっている部分については改正が許されないとするのが、憲法学の中でも通説だそうですね。憲法改正というのは、あくまでも従来の価値観を継承しながら、決められた手続きに則って行われるものだ、と。改正の内容について話し合う前に、その「許されない部分」についての合意をつくる必要があるんですね。
編集部
そう思います。そこで最初に足並みをそろえないから、各党が勝手に議論を進めようとしてどう考えても憲法の基本原則を踏み越えた改憲案を出してきたりと、おかしなことになっているんじゃないでしょうか。
時代が移り、政権が変わっても、公権力を拘束するための共通のルールとして機能するのが憲法です。個人の権利、自由を保障することを最高目的としています。数百年、数千年経ってもこの本質は変わりません。この憲法に立脚した政治を維持、発展させていくためには、政治的対決ではなく合意の形成が本質です。各党は、立憲政治という永遠に続く多人多脚走のスタートラインに立ったはずなのに、いつの間にか、互いの足を結ぶヒモが解かれてしまっているのです。個々の疾走能力を誇示したところで、合意なんて何も生まれないのですが…。
(構成・仲藤里美 写真・塚田壽子)
その2へつづきます