「宿題」が片付かないと、
国民投票は行えない?
編集部 その「三つの宿題」の内容とそれをめぐる議論について、もう少し詳しく教えていただけますか。
南部 まず一つ目ですが、国民投票法の本則では、投票権年齢が18歳と定められているんですね。一方、公職選挙法で定められた選挙年齢や、民法における「成年」年齢は20歳。政治参加や契約行為など、場面によって判断能力の取扱いに差異が生じないように、18歳に揃えなきゃいけないというのが立法者の説明です。ただ、見直しの対象となる法令は政令や省令も含めると300以上あって、一ついじると全部いじらないといけなくなるというので、法務省は一貫して反対しています。
成年・未成年という区切りを用いる、民法の成年年齢に連動する法律が実に多いのです。そして、公職選挙法の改正は、裁判員法はもちろんのこと、選挙犯罪に関する扱いで明らかなように、少年法にも連動する話です。刑事未成年の意義、各種少年院の収容年齢も法律事項で、議論が影響します。法務省は表向きには、若年消費者の要保護性を強調しますが、本音は違います。公職選挙法は総務省の所管ですが、総務省は民法の成年年齢の引き下げと同時にやりたいと言い、法務省は選挙年齢の引き下げから先にやれと主張しています。両省の見解の溝が埋まっていませんし、政治家はそれを傍観しているだけです。
だから現状では、次の総選挙における選挙年齢は20歳のままということになります。それはともかく、万が一何かの間違いで憲法改正の発議がされても、国民投票における投票権年齢が18歳なのか20歳なのかさえ確定していないという状態なんですね。総務省は20歳という説をとっているようですが、国民投票法案の提出者の考え方を無視したものです。自民・公明の法案提出者は3年間のうちに、公職選挙法、民法の改正が行われないということを全く想定せず、総務省のような解釈を許さないと、委員会ではずっと答弁していたのですから。
編集部 なるほど。二つ目の、公務員の政治的行為の制限についてはどうでしょうか。
南部 公務員も一人の主権者として、国民投票において自由に意見を述べたり、賛否いずれかの立場で勧誘行為をすることは容認されるべきです。国民投票法上、公務員は、少なくともその地位を利用したものでなければ、国民投票運動は自由に行うことができます。しかし、その自由を、国民投票法で定めるだけでは不十分なのです。それは、国家公務員法(人事院規則)、地方公務員法、警察法、自衛隊法、裁判所法など各種の公務員法に政治的行為の制限規定があり、これらの規制の網に掛かってしまうからです。これらにつき、少なくとも国民投票運動に関しては、その適用を除外することまで担保しないと、意味がありません。宿題の解決として、これらの制限規定の適用除外に関する条項を設けるための、国民投票法の一部改正を行うことが想定されていたのです。
実は今、国民投票も、地方自治体における住民投票もそうなんですが、地方公務員が投票の勧誘運動にかかわれない一方、国家公務員にはそうした制限がないんです(※)。現に、以前新潟県の巻町であった原発誘致に関する住民投票でも、経済産業省や資源エネルギー庁の幹部が現地に連日乗り込んで講演をしたり、戸別訪問をしたりしたという話があります。それでも国家公務員法違反にはならないんですよ。一方、地方公務員が同じことをすれば、最悪懲戒処分を受ける。同じ公務員でこれは明らかにアンバランスですから、その是正の必要があります。国家公務員の政治的行為の制限を定める人事院規則も将来、制限する方向で改正されるかもしれません。制限が強化されないという保証はありません。
他方、国民投票法は、公務員に求められる政治的中立性をまったく考慮しないのかといえば、そうではありません。公務員による国民投票運動が、たとえば家族・友人に対し個人的に行われる場合はともかく、国民投票に便乗するかたちで、特定の政党・候補者を支持するような行為は行き過ぎであろうとするのが、立法者の共通認識です。どういう行為が許され、どういう行為が禁じられるのか、3年間のうちに丁寧に仕分けしようと考えていたのです。仕分け結果に基づき、適用除外となる範囲を国民投票法の一部改正として明確化しようとしたのです。
※国家公務員法102条1項は「人事院規則で定める政治的行為」の禁止を規定しているが、人事院規則14−7が列挙する「政治的行為の定義」には、国民投票、住民投票における投票運動は含まれないと解釈される。一方、地方公務員法第36条では、「公の選挙または投票において投票をするように、又はしないように勧誘運動をすること」が禁じられている。
編集部 そして三つ目が、憲法改正問題に関する一般的な国民投票の是非について。
南部 民主党はもともと、重要な国政問題について国民投票制度を設ける方針でしたが、これに消極的な当時の与党(自民党、公明党)との間で、政治的な妥協の流れで生まれた条項です。 これは、原発や死刑制度の是非といった、いわゆる「一般的」なテーマでの国民投票そのものだけを指すのではなくて、例えば憲法改正について、法的拘束力を伴わないアンケート的な国民投票の制度について検討が行われることになっていました。憲法記念日が近づくと、マスコミが「こういうテーマでの憲法改正に賛成ですか」といった世論調査をやるでしょう。国がそれに近いような、国民の意向を調査する形の予備的な国民投票をやってはどうか、といった声はずっとありました。本番国民投票の前に、予備的に行われる国民投票です。憲法96条の周辺部分にある問題の投票と考えられてきました。それについての検討も憲法審査会で行うはずだったんです。
編集部 これらの「宿題」が片付かないと、国民投票は行えないわけですか?
南部 基本的にはそうです。「宿題」を終えていないのに、総議員の3分の2以上の賛成で憲法改正を発議し、国民に提案するなどというのは、政治的にはありえない話でしょう。ただ、「宿題」が書いてある国民投票法の附則を廃止してしまえば、理論的にはできないわけではないですけどね。例えば、年齢については一応本則が「18歳」となっているわけですから、公職選挙法等を改正するといった話はなくしてしまって、国民投票は18歳、通常の選挙は20歳、それでもしょうがない! と開き直ってしまえば。宿題そのものを無くしてしまうというのは、半ば、自殺行為ですが。ただ、どちらも同じ参政権なわけですから、やっぱりそれは合理的でないし、海外でもそうした事例はほとんどありませんね。
放置されている「違法状態」
編集部 そうしたさまざまな問題を議論するはずだった憲法審査会が、ようやく動き始めたのが昨年10月。始動そのものには賛否両論がありますが、少なくとも動き出した以上、そこでその「宿題」に関する議論が行われているのではないんですか?
南部 それが、そういうわけでもないんです。今年1月に召集された第180回通常国会では、たしかに衆議院の審査会の最初の4回は「宿題」の三つのテーマが議題になっていました。(※)ところが、それに決着をつけないまま、政治的な空白期間があったりして、5回目以降からは天皇制についてとか憲法9条についてとか、憲法の中身についての議論を始めてしまっているんですね。参議院のほうも、最初の2回は「三つの宿題」に関して参考人招致をしていますけど、意見を聞いただけで終わって、何かが具体的に決まったわけではまったくない。
※これまで開催された憲法審査会の日程・議題などについては、以下で見ることができます。
衆議院/(左の「会議日誌」から入る)
参議院/第179回国会 第180回国会
編集部 それなのに、そちらは放置したまま、中身の議論に移ってしまっている・・・。
南部 およそ、立憲主義の政治体制をとっている国ですから、憲法論議が存在したり、存在しなかったりというのは不自然なことです。しかし、何でも議論すればいいというものではない。中身も、国民に伝わっていないと思います。議論は党内にフィードバックされていないのではないですか。天皇制についての議論も戦争放棄についての議論も1回ずつで終わり。第四章・国会ですらそうでした。司法試験予備校の答案練習会みたいな感じですよね(笑)。
附則の宿題が未確定のまま法律本体が先に動き出してしまっているのだから、まずは先に宿題解決のためのルールについての議論をするのが筋ではないか、と思うのですが、なぜそうなってしまっているのでしょう?
編集部 一つには、これまでの国民投票法制定に至る経緯さえも知らないような政治家が多いし、さきほど、民法改正の例を出しましたが、ほか様々な年齢条項の見直しについて、総括的なルールを決めようにも官僚に言いくるめられて壁を乗り越えられないということもあると思います。先ほど言ったように法務省がずっと反対してきていますから。
それから、与野党の間の信頼関係ができていないこと。民主党もこの5年間憲法論議の経験がなくて、「自民党がいろいろ言ってきてしょうがないからやりましょう」みたいな感覚で審査会を始動させたようなものだし、自民党は自民党で「なんでこんな奴らと一緒にやらなきゃいけないんだ」という感じで突っ走ろうとする。それぞれが好き勝手なことを言っているだけで、「議論してルールを決めよう」という姿勢を共有できていないんだと思います。
あと、法技術的にも難解で、抽象的なルールの話をするより、単純に中身の議論のほうが面白いというのもあるでしょう。国民投票法なんていう手続き法の問題には、誰も興味がないんじゃないでしょうか。
南部 でも、この「三つの宿題」は、法的にも義務付けられたものなんですよね。
編集部 そうです。国民投票法の附則という法的根拠がありますから、宿題の未解決という今の状況は、法的にもまったく説明がつかない状態なんですね。私は、「国民投票法は全面施行されたけれども、不完全施行状態にある」という言い方をします。国民投票法の審議のとき、この法律は憲法附属法のなかで最も重要だと指摘したのは枝野幸男経産相(当時、民主党憲法調査会長)でしたが、最重要であるはずの憲法附属法が不完全施行状態であること自体、憲法体系を不安定にしていると考えます。そもそも、憲法改正国民投票において、投票権年齢が何歳かはっきりしないという、世界にそんな国はないでしょう。
それなのに、この不完全施行状態が放置されたままで、メディアでもなかなか指摘されない。昨年に最高裁で違憲状態判決が出た1人1票の問題もそうですが、こうした憲法にかかわる問題が放置されていて、しかもそれが当たり前のようになっている。政治家の多くにとっては「放置してて何が悪い」くらいの感覚なのかもしれません。「法の支配」って、一体何なんでしょう。現在、立法府にたまたま在籍している人たちによって、その意義が相対化されているのではないでしょうか。