今年に入ってからも各地で頻発する、餓死・孤立死の事件。一方で、いわゆる「生活保護バッシング」の広がりを受けて、多くの政党が生活保護の切り下げや要件厳格化を打ち出すなど、「最後のセーフティネット」が大きく揺さぶられようとしています。そもそも、生活保護とは何のためにある制度なのか。そして「バッシング」の背景にあるものとは? 生活困窮者への支援活動を続けるNPO「もやい」の稲葉剛さんにお話を伺いました。
貧困の連鎖を生む
「扶養義務の強化」
編集部 今回の「バッシング」を受けて、現政権も生活保護制度の改正に言及しはじめています。特に強調されているのが、親族による「扶養義務」の強化です。
稲葉 厚生労働省が策定を進めている「生活支援戦略」の中にも「生活保護制度の見直し」という項目があって、「扶養可能な者には適切に扶養義務を果たしてもらうための仕組みの検討」と書かれています。しかし、こうした「扶養義務」に関する議論は、実は60年以上前にすでに決着がついている話なんですよ。
編集部 60年前?
稲葉 現在の生活保護制度が制定されたのは1950年ですが、その前に、1946年制定の旧生活保護法という法律がありました。そこには、扶養義務者である親族に経済的な余裕があって扶養できる人は保護の対象から外す、という欠格条項があったんです。それが1950年の改正で削除され、扶養義務は受給の「要件」ではなく受給に「優先する」という書き方になった。
つまり、親族による扶養は生活保護に優先するけれども、保護を受けるために「親族の扶養が受けられない」ことを申請者が証明する必要はないということ。当時の厚生省社会局保護課長・小山進次郎は、海外諸国の制度を調べた上で、先進国では徐々に扶養を家族間に任せるという考え方から国が責任を持つという考え方に進化してきている。この法律にもその考え方を採用した、と述べています。
編集部 つまり、私的な扶養から公的な扶養に移っていくことが「進化」だという認識がその時点で共有されていたわけですね。
稲葉 なぜ扶養を生活保護受給の要件にすべきではないのか。それは、そうすることで結果的に保護を受けられなくなる人たちが出てしまうからです。例えば、生活保護を受給するには扶養義務者が「扶養できない」証明が必要だとなったら、まず困るのはDVや虐待の被害者です。今でもすでに、DV被害者が生活保護受給の相談に行ったら、「配偶者に連絡する」と言われて申請をあきらめるといったケースは多いんですが、それがさらに増えかねない。
編集部 DVでなくても、「親族に知られるくらいなら」と、申請をためらう人はたくさんいるでしょうね
稲葉 また、扶養義務の強化は、貧困の連鎖防止という考え方にも逆行します。
残念ながら今の日本では、貧困家庭に育った子どもはどうしても学歴が低くなりがちで、一般家庭では9割を超えている高校進学率も、生活保護家庭では約8割にとどまるというデータがあります。それを改善するため、厚労省も生活保護世帯の子どもたちの学習支援活動に力を入れていて、進学率が徐々に上がるなどの効果も出てきていたんですね。
ところが、扶養義務が強化されれば、生活保護世帯の子どもたちは、経済的に自立できた後も一生親の扶養を背負わないといけないことになる。これは、せっかく進められてきた貧困の連鎖防止の活動の足を引っ張ることになります。
そもそも、裕福な家庭に育てば扶養義務なんて求められないし、むしろ親から援助を受けている人だって多い。政治家だって二世議員なら親から地盤を譲ってもらったりと、親から「もらう」一方です。扶養義務を強調することは、生まれ育った環境による経済格差をますます拡大することになりかねません。
編集部 まさに悪循環ですね。
稲葉 あと、障害のある人たちからの反発も大きいですね。障害があっても地域で自立して生活していくことを目指す自立生活運動は、障害者は施設に入るか親元で一生暮らすのが当然とされていた世の中への異議申し立てとしてはじまったもの。そのための介助の仕組みなども徐々に整えられてきましたが、やはり障害者年金だけではなかなか暮らしていけませんから、生活保護を受給している人はとても多い。ところが、扶養義務の強化ということになれば、「それなら一人暮らしなんてしないで、親元にいろ」という圧力が当然強まってきます。これまでの運動が目指してきた「家族依存からの脱却」に明らかに逆行するんですよね。
それだけではなく、DVの被害者支援やフェミニズムなどの運動も、そもそもは家父長制に象徴される、社会の問題をすべて家庭の中に押し込めてしまおうという考え方への異議申し立てとして進められてきた側面がある。扶養義務の強化というのは、それらすべてに対するバックラッシュともいえると思います。
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