「労働」と「福祉」が分離した社会
編集部 また、これだけ「バッシング」が急速に広がった背景には、もともと生活保護に対する偏見のようなものが世の中に存在していたこともあったのではないか、と思います。
稲葉 生活保護の満額受給額が相対的に高すぎる――基礎年金額や、最低賃金でフルタイムで働いた金額よりも高いことがある、だから「生活保護を受けている人はずるい」というイメージは、以前から一般にありましたよね。でも、それはつまり、「ナショナルミニマム(国が国民に保障する生活の最低水準)」の考え方が、きちんと理解されていないということだと思うんです。
憲法25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあって、それに基づいて生活保護制度がある。ということは、生活保護の満額受給額も、健康で文化的な最低限度の生活を営むためには少なくともこのくらいの金額が必要だ、という基準で決められているわけです。つまりそれは、国として定めた「最低生活」の水準なんだから、それ以下で生活する人の数をゼロにする責務が、国にはあるはずなんですよ。
それなのに実際には、生活保護の捕捉率は2~3割で、「最低生活」を割り込んでしまっている人が何百万人といる。その人たちから見れば、最低生活水準である生活保護の満額受給額が、相対的に高く見えてしまうわけですね。本来、問題なのは年金額や最低賃金が低すぎることであって、怒りが向かうべき先は責務を果たしていない国のはずなのに、その怒りをうまく逸らされている、と感じます。
編集部 そうした状況を受けて、生活保護基準を引き下げるべきだという議論も出てきています。
稲葉 しかし、実際に基準を引き下げたとすると、結果として一番困るのは、低年金の人、そしてワーキングプアといわれる人たちです。よく誤解されますが、年金をもらっていたり働いていたりしても、収入が基準以下で資産もないという状況であれば、足りない分だけ生活保護で補うことができます。今はそれでなんとか生活できている人も、基準が下げられれば保護の対象外になってしまう可能性があるんです。
それなのに、「不公平だから」年金額や最低賃金を引き上げよう、ではなくて生活保護基準の引き下げという議論になってしまうのは、やはり「ナショナルミニマム」の考え方が理解されていないからでしょう。最低基準以下で暮らす人をゼロにする責任が国にはあるんだということを、もっと言っていく必要があると感じます。
あともう一つ、生活保護に対する偏見の背景には、戦後日本社会にずっと存在してきた「神話」というか、暗黙の前提みたいなものもあると思いますね。
編集部 「神話」ですか?
稲葉 つまり、バブル崩壊前までの日本は、失業率はわずか2~3%、1回会社に入れば終身雇用で年功序列、給料は右肩上がりという社会だった。その中で社会の共通認識になったのが「選り好みしなければ仕事はあるはずだ」、そしてもう一つ、「一生懸命働けば自分の食い扶持くらいは稼げるはずだ」。この二つの「はずだ」という「神話」がずっと社会に存在してきたんだと思うんです。
しかし、いまや失業率は非常に高くなり、フルタイムで働いても収入は場合によっては生活保護基準以下。社会の構造は大きく変わっているのに、そこに人々の意識がついていっていない。いまだに以前の意識のままで「仕事はあるはずだ」「稼げるはずだ」と自己責任論で語ってしまう人が多い。そこが一つ大きな問題だと思います。
編集部 仕事が見つからないのは、あるいは働いても十分な収入が得られないのは甘えているからだという考え方ですね。
稲葉 その考え方のもと、働ける状態の人は、とにかく労働市場の中で頑張ればいい。一方、福祉というのはその労働市場に入れない人――高齢者とか障害者とか重い病気の人とか、そういう人たちだけのものだ、という感覚が社会の中にずっとあった。労働の世界と福祉の世界が完全に分離していて、その「中間」というのが、まったく想定されないままだったんじゃないかと思うんです。
編集部 中間というと…。
稲葉 例えば、アルバイトはしているけどそれだけでは生活できないから、足りない分を生活保護で補うとか。そういった半就労、半福祉みたいな形が可能だということ自体あまり知られていなくて、生活保護を受けている人イコールまったく働いていない人、みたいな誤解も根強いですよね。
その結果、高齢でもなく重い障害があるわけでもない、身体的精神的には働ける状態にあるんだけど働く場がない、という失業者への目線が非常に厳しいものになった。事実、5~6年前までは、65歳未満のいわゆる「稼働年齢層」の人は、よほど重い病気や障害でもない限り、生活保護がなかなか受けられなかったんですよ。野宿生活をしている人が福祉事務所に相談に行っても、「65歳になれば高齢者という扱いで生活保護を出してあげるから、それまで我慢してなさい」と言われたり。
編集部 生活保護などの「福祉」は、重度の障害者とか高齢者とか、「労働」ができない人のためのもの。逆に言えば、少しでも「労働」ができる人は「福祉」を受ける権利がない、と。
稲葉 私たちは、そうではなくて、働ける状態にある人でも働く場が実際に確保されなければ、それは国の責任であって当然福祉を受ける権利があるという考えで、生活保護の申請を勧めています。でもそれを「なんで働けるのに生活保護を受けてるんだ、あんたたちは福祉の対象じゃないだろう」と見る人も多いんだと思うんですね。