孫崎享さんの近著『戦後史の正体』は、日本の戦後史を対米関係の観点から読み解く、衝撃的な内容でした。領土をめぐって日中・日韓関係が緊張し、一方、沖縄や岩国では、反対の声が高まる中でオスプレイ配備が強行。こうした状況は、どんな背景から生まれてきているのか。じっくりとお話を伺いました。
鳩山政権はなぜ潰されたのか
編集部 孫崎さんの『戦後史の正体』(創元社)を読むと、民主党がなぜダメになったかを改めて考えさせられます。民主党として政権を取って最初にできた鳩山政権を潰したのは、官僚やマスコミ、声をあげない市民だと思いますが、政権の中にいる人は応援しなかったのでしょうか?
孫崎 まず閣内に鳩山さんを応援する人が全くいませんでした。2010年1月のはじめ、私は鳩山さんのところに「(普天間基地の移設先は)最低でも県外」ということを進言しに行ったことがあります。長崎県の大村湾に移転するという案を持っていたのです。私としては、まず大村湾に決める。しかし、実際には実現できないわけですから、「じゃあ、国外に行くより仕方ない」となる形を考えていました。その話をしたとき、鳩山さんは一生懸命に、わかりました。検討させてください」と言っていました。
しかし、それから少し経った3月下旬、普天間県外移設のために動いていた数少ない議員である川内博史議員と近藤昭一議員と3人で、鳩山さんを応援しようと再度首相官邸に行ったのですが、その時はすでに外務省も防衛省も、さらに官邸も鳩山さんのために動いていない状況でした。官僚やマスコミは、鳩山政権では日米関係が壊れると言って、みんなが鳩山さん追い出しの方向に動いていた。
編集部 日米関係が壊れるのが怖くて、党内の人も鳩山さんを支持できなかったということですか?
孫崎 そうですね。しかし、本当はそんなことで日米同盟が壊れるはずはないのです。私が鳩山さんに言ったのは、「日本には米軍基地がたくさんあるけれども、普天間はそれほど重要性が高くない」ということでした。仮に普天間をなくしても、ほかに横須賀や佐世保、嘉手納、横田にそれぞれ基地があります。海兵隊も、絶対に日本にいなければならないものではありません、と伝えたのです。しかし、結局鳩山さんはそのまま2010年の6月に辞任してしまった。
それも、鳩山さんは、「学べば学ぶにつけ、海兵隊のみならず沖縄の米軍が連携して抑止力を維持していると分かった」ということを言って辞めたわけですが、辞任するにしてもあの時の最善のシナリオはそうじゃなかったはずです。「世論が必ずしも理解してくれない中で、私が頑張ると将来の日本の政治にマイナスの影響を出すかもしれない。だから一旦、私は辞める。けれども、自分の言っていることは正しいと思う。国民の皆さんで考えてみてほしい」と言っていたら、その後の状況も違っていたと思うのですが。
編集部 あれで鳩山さんにはすっかり弱々しいイメージがついてしまいましたが、最初に掲げられていた民主党のマニフェストや理念、例えば「日米地位協定の改定」「米軍再編や在日米軍基地の見直し」「東アジア共同体の構築」には、多くの人が期待していたはずです。
孫崎 私はこれまで4回ほど鳩山さんに会っていますが、彼がしゃべっていることがおかしいと思ったことはありません。極めて論理的です。ただ、何と言うか、ここぞというときに「政治家として負けてもいいから頑張る」というようなものがちょっと感じられません。
編集部 鳩山さんが辞任したあとは、民主党代表選を経て副総理だった菅直人さんが首相になったわけですが、2010年9月には再び代表選があって、菅さんと小沢一郎さんの一騎打ちとなりました。もしもあのとき代表に選出されたのが小沢さんだったら、今の状況もまた大きく違っていたでしょうね。
孫崎 そうですね。小沢さんは、その前年「米国の極東でのプレゼンス(存在)は、米海軍の第7艦隊だけで十分」(09年2月24日)と、在日米軍削減論ともとれる発言をして、その約1週間後に公設秘書が政治資金規正法違反の疑いで逮捕されています。小沢さんはかなり前から検察に睨まれていましたから、何かあったらすぐ動く態勢になっていたのでしょう。
編集部 代表選のさなかにも「(陸山会事件で)小沢逮捕か?」などとメディアは大々的に報じました。結局、10月には検察審査会による起訴議決が行われ、翌年1月に強制起訴されました。
孫崎 普通に考えて小沢さんは無罪でしょう。一審無罪のあと控訴されましたから、今後どうなるかわかりませんが、少なくとも検察はこれまでに2度は「不起訴」にしており有罪にできませんでした。
これは、田中角栄のロッキード事件のときと極めて似ています。日本の法体系では有罪にできないからと検察がわざわざ渡米して、日米の捜査協力という特別の合意文書を作りました。その後、アメリカの検察に嘱託尋問させて証拠を提出しましたが、新しい仕組みを作ってまで有罪に持っていくという意味で、検察審査会による強制起訴と似ています。