2010年の
中国漁船衝突事件が転換期
編集部 今回の尖閣問題では棚上げ論があまり語られず、勇ましい意見ばかりが目立ちます。
孫崎 このところの日中問題の始まりは、2010年9月に尖閣諸島付近で起きた中国の漁船衝突事件(2010年9月、尖閣諸島付近で操業中だった中国 の漁船が、それを取り締まろうとした日本の海上保安庁の巡視船と衝突した事件)にさかのぼります。多くの日本人は、この事件を中国側に問題があると思い込んでいますが、実はハッキリそうとは言えません。日本の法律の使い方に変化があったからです。
2000年に発効した「日中漁業協定」は、仮に中国が違反にあたる漁業をした場合、日本は拿捕するのではなく退域を求めることを定めています。それでも解決しなければ、中国側が処分する。以前から船の不法侵入は度々あったのですが、この日中漁業協定によって大事にせず対処していました。
ところが、この2010年の事件のときには、日本は日本の領海に入り込んだ中国漁船を捕まえて臨検しました。これは日本の国内法である「漁業法」を適用したからです。国内法では、違反した船に対して乗り込んで調べることが認められています。日中漁業協定とは、対処法が全く違うんですね。
編集部 二国間の漁業協定ではなく国内法で対処しよう、と方針が切り替わったのはいつなのでしょうか?
孫崎 鳩山内閣が終わって菅内閣になってからです。菅内閣は、2010年5月に発足してすぐ「尖閣諸島は日本固有の領土であって、国際法的に何の問題もない」ということを閣議決定しました。中国漁船問題が起きる前ですね。その時点から国内法で粛々とやるという方針になっています。当時、国土交通大臣は前原誠司さんでした。彼の命令によって、中国漁船は拿捕されたのです。
そのあたりから、今の問題は始まっている。だから、なぜその「切り替え」が起こったのかが非常に重要なんです。
すべてがアメリカにプラスの方向に動いた
孫崎 そして、これは多くの人が気づいていないことですが、この事件をきっかけに、日米関係は大きく変わりました。
編集部 日中関係の変化が、日米問題にどう影響したのでしょうか。
孫崎 1つは、2010年11月の沖縄県知事選挙です。この時は、現職の仲井真弘多さんと伊波洋一さんが拮抗していましたね。ひょっとしたら伊波さんが勝つかもしれないと言われていました。伊波さんはずっと普天間基地の県外移設などを訴えてきた人ですから、もしも伊波さんが勝ったなら、沖縄の基地問題の状況は今とはすっかり違うものになっていたでしょう。ところが、中国漁船問題が起きた後の選挙で、かつては県内移設容認を表明していた仲井真さんがスーッと勝ちました。
同じ年には、米軍への「思いやり予算」の改訂も行われています。その前の改定では若干、減額をして3年の延長となっていましたが、菅政権は減額なしの5年延長を決めました。もしも中国漁船事件が起きていなければ、これについても世間的にもっと厳しい見方をされたかもしれません。
また、アフガニスタンの復興支援策として自衛隊医官を派遣する構想もありました。これについては、社民党の福島瑞穂さんが反対をして終わりましたが、派遣される可能性があったということです。それから、武器輸出三原則を緩和する動きもありました。これも、このときは最終的には社民党の反対によって見送られましたが…。
このように、中国漁船事件を契機に、日米間のさまざまな問題が、オセロゲームのようにすべてアメリカ側にとって有利な方向に動いたのです。今、中国が軍事的にどんどん台頭してきた中、アメリカは国家予算の逼迫で国防費の減額を迫られています。そこで韓国、日本、台湾、ベトナム、フィリピン、それからオーストラリアで、中国包囲網を作ろうとしていますが、そのためには各国に強い対中敵視がなくてはなりません。尖閣諸島の緊迫というのは、アメリカの軍事関係者にとってはプラスなことなのです。
編集部 菅政権は、アメリカにプラスになるとわかっていて、日中漁業協定ではなく国内法で対応したのでしょうか? それとも偶然ですか?
孫崎 偶然ではありません。現場で動かされている人間はともかく、仕掛けている立場の人はわかっていたはずです。海上保安庁に国内法を適用するように言った前原さんは、おそらくわかっていたでしょう。前原さんはかなり強硬に「中国の漁船を拿捕しろ」と言っていました。彼にアメリカ側からのプレッシャーがかかっていたことも、十分にあり得ます。当時、アメリカ側は「日本は法治国家だから釈放するな」と言っていました。日本の中国との緊迫が長引くことを期待していたのでしょう。