安保法制成立の前後には、おびただしい数の人たちが国会周辺で抗議の声をあげ、メディアでもこれまでになく大きく取り上げられました。
実は今から3年ほど前、2011年から2012年にかけても、それに近い規模の人たちが集まり、政権にノーの声を突きつけたことがあります。「脱原発」を求める、首相官邸前での抗議行動。一時は10万人以上の人たちが参加した歴史的な動きでありながら、きちんと報道されることはほとんどありませんでした。
その全貌を、デモの映像とインタビューで追ったドキュメンタリー映画『首相官邸の前で』を監督したのが、自身もたびたび官邸前に足を運んでいた歴史社会学者・小熊英二さん。なぜこの動きを記録しようと考えたのか、それまでの「運動」とは何が違うと感じたのか──。お話を伺いました。
小熊英二(おぐま・えいじ) 1962年東京生まれ。1987年、東京大学農学部卒業。出版社勤務を経て、1998年、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了。現在、慶應義塾大学総合政策学部教授。『生きて帰ってきた男』(岩波新書)、『社会を変えるには』(講談社現代新書)、『1968』(新曜社)、『〈民主〉と〈愛国〉──戦後日本のナショナリズムと公共性』(新曜社)、『単一民族神話の起源──〈日本人〉の自画像の系譜』(新曜社)など、著書多数。
「記録しておかなくては」
という思いがスタート
編集部 まずは、この映画をつくろうと思われたきっかけからお聞かせください。
小熊 2011年からの脱原発抗議については、もともと「ちゃんと記録しておかなくてはならない」という思いがありました。私は1960年代の学生運動についても研究していて、その当時のまともな記録が残っていないことをよく知っていたので、「今回は残しておかなければいけない」と思った。
それで2年前に『原発を止める人びと 3・11から官邸前まで』(文藝春秋)という本も書いたのですが、やはり文字では伝わらないものが多い。そして昨年のはじめにメキシコの大学で講義をする機会があって、メキシコの学生にインターネット上にあった脱原発デモの映像をいくつか見せたところ、「初めてこういうものを見たが、とても興味深い」という声がたくさんあった。それで、映像なら伝わると考えた。日本や海外の人々、そして数十年先の人々に向けて、本だけではなくて映像作品もつくったほうがいいな、と思ったんです。
編集部 映画は、首相官邸前をはじめとする脱原発デモや抗議行動の映像──これは主にインターネット上で探したものだそうですが──に、そこに参加していた人たちへのインタビューを挟む形で構成されています。インタビューする相手はどのように決めていったのですか。
小熊 毎週金曜にいまも開かれている官邸前・国会前の集会には、私はここ3年ずっと通っている。そこで知り合った人たちのなかから、男女比とか国籍、出身地、政治的指向、社会的地位などのバリエーションをつけるように人選しました。出てくれと交渉したのは、たいてい金曜の国会前でしたね。
編集部 小熊さんにとっては初めての映像作品ですが、勝手が違って大変なことはありませんでしたか?
小熊 ありませんでした。私にとっては、本を書くのとあまり違いはなかった。もともと10年くらい前から、自分の本の書き方は、ドキュメンタリーのつくり方と似ていると考えていました。現存する資料の中から、力の強いものを集めて、それをつなぎ合わせる本の書き方ですからね。見た人の一部からも、私の著作と感覚が似ている、という声を聞きました。
※文中の写真はすべて、映画『首相官邸の前で』より
それは、きわめて
「内発的」な運動だった
編集部 「記録しておきたい」という思いが出発点ということですが、それはなぜでしょうか? 小熊さんは、日本のかつての学生運動やベトナム反戦運動などについても調べておられますが、この2011年からの脱原発運動の、どこがこれまでの多くの「運動」と違う、と感じられたのでしょうか。
小熊 2011年当時から思っていたのは、これは極めて内発的、自発的な動きだということです。組織的動員ではない、という次元においてもそうだというのは誰にでもすぐ分かりますが、それだけではない。70年代以降の日本において、これほど内発的な大規模運動というのは、そんなになかったと思います。
編集部 「内発的」とはどういうことでしょう?
小熊 誤解されやすい言い方になってしまうかもしれませんが、一例を出せば、辺野古の基地問題のために東京の人が運動するというのは、間接的な行為ですよね。その行為の真剣さ、誠実さを疑うのではないけれども、「これは沖縄だけの問題ではない、日本の問題であり、自分の問題でもある」といった、いわば「知的な作業」がそこにはあります。
しかし2011年から12年の脱原発運動は、そういうものに見えなかった。「東京に放射能が降ってきた」という、非常に直接的な恐怖から始まっていたからだと思います。それは、「知的な作業」を加えないと成り立たない運動ではなかった。内発的というのは、そういうことです。
編集部 これまでの日本の「運動」で、それに近いものはあまりなかったということでしょうか。
小熊 いや、もちろんあらゆる場面に存在はしていたと思いますよ。戦争体験者が反戦の声をあげるとか、保育園が足りなくて自分の子どもを預けられないから陳情するとか。あるいは、辺野古近辺の住民の活動もそうですね。
しかし、それを支援する活動となると、いい悪いではなく質的に異なってくる。ところが2011年から12年の東京では、脱原発運動という形で、きわめて内発的な運動が、非常に大きな規模で起こった。そういうものは、見たことがないと思ったのです。もちろんそれは、原発事故という惨禍があったからおきたことですし、あんなことが何度もあっては困りますが。
官邸前抗議は
「まったく新しい形」を生み出した
編集部 かつては「デモをしない」と言われた日本社会ですが、官邸前での抗議は今も毎週続いていますし、その他もテーマは違えど各地でデモや抗議行動が行われるようになっています。官邸前での抗議行動があったことで、「路上へ出て声をあげる」ことへのハードルが非常に低くなったのではないか、と思います。
小熊 それはそうでしょう。さらにいえば、国会周辺の歩道に集まって立ったまま声をあげるという抗議のスタイルが、あれによって定着したということが大きいと思います。
編集部 たしかに、今では官邸前、国会前での抗議は当たり前のようになっていますが、以前はその発想自体がなかったんですよね。2011年の脱原発運動も、当初は高円寺や新宿など街頭でのデモから始まりました。
小熊 世界的にもないですね。「国会前の歩道に立って抗議する」というデモンストレーションのスタイルは、私の知る限り、外国にはありません。大通りを行進したり、中央広場に集まるというのが一般的です。
映画でも描かれているように、東京ではそれができなかった。2011年には、新宿駅前を広場にしようとしたけれど、警察の規制でできなくなった。それで運動が低迷したあと、経産省前の歩道に立って数十人が抗議していた延長で、官邸前に場所を移した人たちがいた。それが自然発生的に、万単位までふくれあがってしまった。そのあとは、「官邸前・国会前の歩道に立って抗議する」という政治文化が定着したわけです。
その意味で、意図的に作ったわけではないけれども、まったく新しい政治文化をつくり出した。強いて世界で似た例を探すと、庁舎の前の大型道路を占拠してしまった香港の「雨傘革命」が少し近い。ただ香港は香港に適した政治文化が生み出され、日本は日本に適合した政治文化が生み出されたわけです。
ただ、こうした一連の変化は、あまりメディアが報道しなかったこともあって、世界ではほとんど知られていない。また日本国内でも、これが大きなことだったという自覚がない人が多い。だから、映像という形できちんと提示しないとだめだな、と思った。
編集部 自覚ですか?
小熊 抗議に参加していた人でも、「『68年』の集会やデモより規模は大きいんだよ」と言っても、「え、そうなんですか」という人が多い。そういうことがあったということじたい知らない、見たことがない、忘れているという人はもっと多い。ましてや、世界に類例のない政治文化を作ったと自覚している人は、ほとんどいないでしょう。
編集部 映画の最後には、官邸前抗議を主導した「反原発連合」のメンバーたちが、国会議員や首相との会談につく場面も描かれていますが、あれも、実はかなり大きな出来事なんですよね。なぜかあまり評価されていないように感じますが…。
小熊 世界的に見てもかなり珍しいことでしょう。もちろん日本にも前例がない。そのことは、自覚してよいと思います。
「どこに連れて行かれるのか」という不安と
「勝手に決めるな」という怒り
編集部 映画で描かれた時期から3年が経過して、今は国会前での抗議行動をはじめ、「反安保法制」の運動が注目を集めています。中でも、学生グループの「SEALDs」が呼びかける抗議行動は、メディアでもこれまでにないほど大きく取り上げられていますね。
小熊 音楽を使っているとかコールの仕方がとか、そういう「デモの形態の違い」は、私はあまり大きな意味はないと思っています。ただメディアはそのほうが取り上げやすかったでしょうし、大きく報道されたのはいいことです。そういう変化は、原発事故から4年間の運動の蓄積の結果でもあるでしょう。
編集部 先月30日には、国会前を中心とした一斉行動が呼びかけられ、10万人以上が参加したと言われています。2011年からの脱原発運動が「内発的」なものだったとすれば、今回人々を動かしているものはなんなのでしょうか。
小熊 見ていて思うのは、日本社会の未来に不安感を抱いている人が多いんだろう、ということです。どうもいまの社会は何かおかしい、この政権はわれわれをどこに連れて行こうとしているのか、という不安感はかなり広がっている。掲げているテーマが「護憲」であっても、10年前、15年前にはなかった「本気」を感じるのは、それが背景にあるからでしょう。
しかしそれは、人々が安保とか憲法とかいったことに直接的に関心を持っているというよりも、いろいろな不安や疎外感が「憲法守れ」という形で吹き出しているのかもしれません。何に対する不安かは、明確に意識していないかもしれない。しかしそういう不安があるところに、一方的に自分たちの運命が決められそうになったら、「勝手に決めるな」という声が出るのは当然でしょう。
編集部 今年5月、集団的自衛権の行使容認が閣議決定されたときには、国会前で大規模な抗議行動が起こりましたね。
小熊 それもそうだし、原発再稼働などもある。さらにいえば、国立競技場の問題なども、どうも意思決定のやり方がおかしい、無関心に任せておいたらどこに連れて行かれるかわからない、という不安感を増幅させたでしょう。安保法制と原発と国立競技場は、本来は関係がない。しかしいずれも、「勝手に決めるな」「民主主義って何だ」という声をおこさせる問題です。
編集部 そう見ていくと、今の反安保法制の動きも、やはりあの脱原発運動からの流れの上にあるんだな、と感じます。小熊さんは、今も官邸前には行かれているのですか。
小熊 隔週くらいでは行っていますよ。知り合いも多いし、いろんな新しい情報も入ってきます。日本社会の中では、定点観測していて一番いろんなことがわかる場の一つではないかと思っています。
(構成/仲藤里美)
小熊英二監督
『首相官邸の前で』東京・アップリンクなど全国各地で上映中
公式サイト→http://www.uplink.co.jp/kanteimae/
新聞報道によれば、安保法制成立前夜の国会前で、小熊さんは「これ(抗議行動の広がり)は何かの始まりなのは間違いないが、何の始まりなのかは私たち自身が決めなくてはならない」とスピーチされたそう(「柄ではないが」と前置きして、「民主主義ってなんだ」のコールもされたとか)。
「デモをしない」と言われた日本で、多くの人たちが、「おかしい」と思うことに対してためらわず反対の声をあげるようになった。この大きな変化を、「何の始まり」にしていくのかーー。それを考えるための、大きな力をくれる映画だと思います。通常より安く自主上映ができる「トークシェア上映」キャンペーンも展開中とのこと、近くで上映してない! という方はぜひ。
こういうのって、別にマスコミでもジャーナリストでもできるわけで、思想家たるもの、その先の道筋を示さなくては!それが小熊さんの役目なのでは!!
『列島をゆるがした100日間』の制作を!(その1)
アップリンク渋谷で『首相官邸の前で』を観ました。素晴らしかった!
小熊先生にお願いがあります。戦争法案反対運動の映画も大至急作っていただけませんか。それも英語字幕版と併せて中国語字幕版も!
なぜ中国語字幕版か?
各種世論調査の結果を見ていると、法案には反対だが、内閣不支持ではないという人達がかなりいることが判ります。その原因は次のふたつが残っているからだと思います。
①アベノミクスに対する期待(幻想?)
②近隣諸国に対して「毅然とした態度」をとる安倍に寄せられる期待(つまり中国脅威論=対中強硬論)
②について言えば、安保関連法案は酷いとは思うが、そうかと言って中国の軍事的覇権主義(中国が攻めてくる!)に対して何もしないわけにはいかないだろうという人達がいるということです。(その2へ続く)
『列島をゆるがした100日間』の制作を!(その2)
中国が軍事的覇権国家であるかどうかは定かではありませんが、少なくとも排外的愛国主義によって政権の求心力を高める傾向があり、その矛先が日本に向き易いことは事実でしょう。つまり両国の政権とも相手に対する反感や警戒心を煽って、国内の求心力向上(および日本の場合は日米の軍事的一体化の正当化も)の道具としてお互いに利用しているわけです。
この危険な状態の解消法のひとつは、日本国内には安倍政権の強兵路線に反対する強力な運動があることを中国国民に対して可視化し、中国で排外的愛国主義に向けた反日扇動が機能しにくい環境を作ることではないでしょうか。
これが上記の映画の制作をお願いする理由です。
(私は自分では何もできないので、映画のタイトルだけ考えました。もちろんジョン・リードの有名なルポのパクリです。)