この人に聞きたい

これまで「マガ9学校」「怒れる大女子会」にゲストとしてご登場いただき、オリジナル楽曲の披露や故郷・福島への思いを語ってくれたYukariさん。会場に来ていた多くの参加者、特に女性からの共感を集めた彼女の歌は、どのようにして生まれたのでしょうか? また今後の活動についてもお聞きしました。

Yukari(笹木ゆかり) 福島県いわき市生まれ。地元のピアノバーにて専属歌手として活躍。3・11後、子どもたちとともに東京に避難。しばらく音楽活動の休止を余儀なくされていたが、2012年より音楽活動を再開。2013年4月、初めての作詞作曲のオリジナルアルバム『My Life』を発表。ライブハウス他、イベントや学校などでも精力的に活動を行っている。→公式ホームページ
幻になった私の誕生日ライブ

編集部
 Yukariさんは、3・11以前はいわき市で歌手活動をされていたとお聞きしました。

Yukari
 はい。子どもが生まれるまでは、毎日ライブハウスに出て歌っていました。レストランや病院、イベントなどのコンサートにも出演していました。子どもが小学校に入り、少しずつ活動を再開し始めた頃、「あの日」が突然やって来たんです。
 3月11日は金曜日だったでしょう? あの夜、私の誕生日ライブが予定されていました。本当は9日が誕生日なのですが、東京の友だちやファンも来られるようにと週末の金曜日に設定していたのです。だから、私は「お客さんが待っている。なんとしても早くお店に行かなくちゃ」とずっと思っていた。そんな状態じゃまったくないのに…。お店にはお祝いのお花もたくさん届いていたそうですが、結局、私がお店に行った時には全て枯れてしまっていました。

編集部
 せつないですね。震災が起こってから東京に来るまでのことは覚えていますか?

Yukari
 余震が何度も来るのでそれが怖くて、「家具が倒壊して家から出られなくなったどうしよう」と思って、電気のこない中、戸を開け放した玄関で、子どもたちと一緒にご飯を食べていました。ただ、原発事故のことは、国は「ただちに影響はない」と繰り返しアナウンスしていましたから、しばらく外にさえ出なければ大丈夫だろうと思っていました。でも東京に住んでいる友だちや先に避難した人から「そこにいちゃダメだよ。早く逃げて」と電話がどんどんかかってくるんです。いわき市のライブハウスのマスターも小さな子どもがいたこともあり、早々に避難していましたし。不安がじわじわと募っていく中で15日の3号機の大爆発を見て…両親と子どもと一緒に東京に避難することを決めました。それまで「大丈夫だ」と言っていた父親も、自分の友だちが避難していたことを知り、初めて事の大変さに気がついたようです。
 明け方、最小限の荷物だけ持ち、タクシーに乗り込んで東京を目指しました。しーんと静まり返った街、空が不気味なほど赤かったのを覚えています。大好きな場所なのに、「街を捨てる」ようで、後ろめたさを感じながらの東京行きでした。

編集部
 そういうYukariさんの体験をお聞きしてから、オリジナル曲『My Life』を聞くと、また違って聞こえてきますね。「突然、街を捨てて」「当たり前なんてないと知った」といったフレーズが印象的です。

Yukari
 あの日、震災にあってから、家族、友だち、仕事仲間、いつも一緒にいた人たちと、急に会えなくなってしまった。そんなことが自分の身に起こるなんて、本当に信じられないことでした。「当たり前」だと思っていたこと、永遠に続くと思っていたことが、そうではないということがわかって…。
 真っ暗な洞窟の中に、誰かに無理矢理連れてこられたような気分でした。いつここから出ることができるのだろう、一生出ることなどできないのではないか、と毎日を過ごしていました。でも半年が過ぎ、1年が過ぎ、新しい出会いやまわりの人たちの助けがあり、少しずつ光を感じることができるようになっていったのです。そういった自分の体験を歌にしたいと思って、2年間の間に書き溜めたいろいろな思いをつないで書いた初めてのオリジナル曲が『My Life』です。1番から3番までどこも削りたくなくて、7分10秒の長い曲になってしまいました。

「怒れる大女子会」では、同じくいわき市から自主避難したママ友達が作成してくれたオリジナル映像をバックに歌いました。

今、生きて歌えていることの感謝をしたい

編集部
 震災後、4カ月ほど東京でホテルや避難所を転々とした後、ご両親はいわき市に戻られて、Yukariさんとお子さんは東京に残りました。東京に残り音楽活動を再開しようと思った動機は、何でしょうか?

Yukari
 いわき市は、政府からの避難指示が出ていませんので、私たちはいわゆる「自主避難」になります。そのことで随分と葛藤がありました。私自身、ふるさとの海も山も町も大好きです。帰りたいと何度も思いました。実際、両親は東京での生活に馴染めずに、いわきの家に帰りました。でも、私なりに調べて考えて、ここで生きていこうと、決めたのです。
 しかし日々忙しく過ごしていると、あんなに大変だったにもかかわらず、震災のことを忘れていく恐怖というのがあります。でも決して忘れちゃいけないんです。私は歌手ですから、娘たちに伝えておくべきものは歌で残せたら、と思いました。そうしておけば、もしかしたら将来彼女たちが子どもをもつことになった時にも、また伝えていくことができるかもしれないですから。

「マガ9学校」@ネイキッドロフトでは、オリジナル曲と「イマジン」を披露。

Yukari
 そして、やはり沢山の人に支えられ助けてもらいましたから、そういった人たちに感謝を伝えたいとも考えました。直接お礼が言いたくても、名前もわからない人もいます。例えば、2011年の4月から6月まで、取り壊される前の赤坂プリンスホテルが東京都の避難所になっていた時期がありましたが、私はそこに家族と一緒にいました。あの時ロビーには、連日取材の人たちや支援の方たちなど、たくさんの人で溢れていて、私もよく取材を受けていました。ある日、見知らぬ人に呼び止められ、あなたに支援物資を送りたいので、あなたの名前を教えてくださいと、言われたのです。数日後、ホテルのロビーにうずたかく積まれたグレープフルーツの箱がありました。そこには1000個分のグレープフルーツが入っていました。 
 避難所では、食べるものはもちろんありましたが、フルーツだけは不足していたんですね。そんなこちらの事情をわかっているような、うれしい贈り物でした。すぐにみんなに配って食べてもらいました。「1000個の愛」をもらったと思いましたね。グレープフルーツの匂いをかぐと、あの時のことを思い出します。でもその贈ってくれた人の名前、わからないんですよね。だからいつかお会いしてお礼を言いたい。おかげで今は元気になって歌も歌えていますと。当時は私、本当にひどく暗い顔をしていたと思いますから。

編集部
 その方がYukariさんの歌をどこかで聞いて、再会できると素敵ですね。

Yukari
 なんとか生活を取り戻して、曲を作ることができ、歌うことができているなんて、今は奇跡だなとも思います。あのままで止まっていたら、今の私はないでしょう。だから本当にみなさんに感謝しているし、自分のこの経験は生きているうちにちゃんと伝えなくてはと思うようになりました。
 最初は復興の思いをこめたオリジナル曲が一つできたらそれでゴールと思っていたんですが、自分の想像以上に歌が広がっていったので驚いています。白百合学園や暁星国際学園の学校の生徒たちが合唱で歌ってくださったり、手話通訳の先生が素敵な手話をつけてくださって、それをイベントで披露したり。福島のローカル局の天気予報のBGMで流れたり、デモクラTVでも歌わせていただきました。もちろん、ふるさと・福島でも歌いました。

手話通訳の大瀧由美子さんが『My Life』の手話をつけてイベントで披露。you tubeで見ることができます。

これからもずっと歌で伝えたい

編集部
 活動の場所をどんどん広げているYukariさんですが、6月にはフランスに渡られて、大学での講演や音楽祭でのライブの予定もあるそうですね。これはどういった経緯でやることになったんでしょうか?

Yukari
 昨年の7月に、取材を受けたのがきっかけです。社会的なテーマで歌っている女性歌手が、社会にどれだけ影響を及ぼすことができるのだろうか、という研究をしている中條千晴さんという方がいて、4人の日本人女性シンガーを取材したうちの一人が私でした。彼女はフランスのリヨン第3大学で教えている先生ですが、ポピュラーカルチャーやジェンダー研究を専門になさっている方でした。もともと私のまわりにいる音楽仲間たちは、フランスで勉強や活動をした経験のある人が多く、影響を受けたという話もよく聞いていて、フランスに行くのならバックアップするよと言ってもらったので、思い切って渡仏することにしました。それを中條先生に話したところ「あなたがフランスに来るのであれば、その時は私の大学でもあなたの経験を話して欲しい」と言われ、大学でも講演する機会を作っていただきました。
 あちらでは、日本人会に出席したり、エディット・ピアフが出演したこともある伝統あるシャンソニエで、『My Life』を歌わせてもらうことにもなってます。

編集部
 それはワクワクするような企画ですね。

Yukari
 そうなんですよね。ご存知のようにフランスは原発大国でもあるので…そんなところで、私の話がどう受け止められるのか、怖いような気もしますが、だからこそ私の体験や思いを伝えたいとも思っています。

編集部
 Yukariさんの次なる挑戦として、フランスでライブをした後、そこでの体験を活かしたセカンドアルバムを作成するという計画があるそうですが、制作費をクラウドファウンディングで6月10日まで募集中なんですね。

Yukari
 はい、そうなんです。詳細についてはクラウドファンディングのページで紹介していますので、ぜひ応援をお願いします。 
 音楽は、楽曲を作った人や歌う人の思いもありますが、曲を聞いたその人の中から新たに湧き出てくるものによって、聞いた人のものになります。私のライブやイベントで涙を流すお客さんの姿を見ると、ああ、この人たちの『My Life』が、心の中で鳴り始めているんだなと思い、私もまた感動します。場所も立場も国も…いろいろなものを超えてつながっていける歌の力の素晴らしさを感じています。だから、私はこれからもずっと、歌で伝えていきたいと思っているのです。


「デモクラTV」では、マガ9でもお馴染みの鈴木耕氏の番組「鈴木耕の原発耕談」のコーナーで、ミニコンサートとインタビューで出演。

(構成/塚田壽子・カバー写真/マガジン9 その他の写真は全て「Yukari事務所」提供)

 

  

※コメントは承認制です。
Yukariさんに聞いた 世界へ未来へと伝えたい
『My Life』
〜歌い続けることで、ふるさと・福島を忘れない〜
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    先頃、福島県は、県外への自主避難者の住宅提供を2年半後に打ち切る方針を発表しました。現在もなお、11万5千人の人が避難生活を余儀なくされ、そのうち約8万人が自主避難だと言われています。ひとり一人にそれぞれの故郷への思い、そして帰りたくても帰れない事情や決断があるのだということを、yukari さんのお話を聞いて、改めて考えました。是非一度、伸びやかで力強くも温かいYukariさんの歌声を是非、お聞きください。新しいCD制作にもご支援をお願いします。

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