TPP(環太平洋連携協定)は、太平洋を囲む多国間での「ヒト、モノ、カネ」の流れを自由化するための経済連携協定。シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイ、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシア、カナダ、メキシコ、そして2013年7月に遅れて参加した日本をあわせた12カ国が交渉に参加しています。これまで各国の思惑が入り乱れるなか交渉は難航してきましたが、主導権を握るアメリカからのプレッシャーも強く、いよいよ大筋合意に至るのではないかとも言われています。
TPPは、私たちの暮らし全般にかかわる協定です。しかし、秘密交渉のためにその詳細が知らされることはありません。TPPによって暮らしはどう変わる可能性があるのでしょうか? 今年1月、TPP交渉は違憲であるとして「TPP交渉差止・違憲訴訟の会」を設立した、元農林水産大臣の山田正彦さんに話をうかがいました。
TPPが妥結しなくても、すでに法整備は進んでいる
――前回は、TPPの問題点と違憲訴訟についてうかがいましたが、TPP妥結にむけて、実はすでにさまざまな法整備が進んでいるといわれていますね。
山田
そう。TPPの妥結にかかわらず、実は日米二国間の並行協議で、法整備は着々と進められています。僕は五島列島の出身だけど、離島には電車やバスがあまりないでしょう? だから、みんな家に何台も軽自動車をもっているんです。でも、最初にTPP交渉が始まったとき、日本はアメリカから、軽自動車の製造をやめろと言われたんですよ。そうじゃないとアメリカ車が売れないからね。日本政府は、なんとか軽自動車の税金を普通車並みにすることで、アメリカと折り合ったのです。それでまず、軽自動車の税金が今年から1.5倍になったという訳です。そうやって政府は準備をどんどん進めていっているのです。
いま、日本では非正規雇用が労働者の約4割にまで達しています。TPPの並行協議ではこうした派遣労働がさらに強化されるでしょう。こうした動きのしわ寄せを受けるのは若年層です。いま政府は、国家戦略特区での混合診療の解禁、残業代が支払われない高度プロフェッショナル労働制などをやろうとしています。これはTPPで交渉されている内容そのものなんだと思います。
昨年から、アメリカ企業のアメリカンファミリー生命保険(アフラック)が日本郵政と業務提携して窓口でがん保険の販売を開始しました。さらに、日本郵政、ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険のグループ3社の株式が今秋にも上場するという計画も発表されています。もし外資がそうした株をもつようなことになれば、百数兆円といわれる郵便貯金が投資資金となって、リーマンショックのときのように紙くずになってしまうのではないでしょうか。何でもアメリカの言いなりになっています。すでにTPP実現へ向けて、かなり進み始めているんです。
日本が目指すべきは、ヨーロッパ型の家族農業
編集部
「TPPで強い農業をつくり、競争力をつけるべき」と言う人も少なくありません。
山田
メディアがそう言っているからね。でも実際には、農業はつぶされますよ。農水省だって、TPPに参加した場合、日本の食料自給率は現行の39%(カロリーベース)から27%程度に低下すると試算しています。政権は農業所得が倍増するといっているけれど、海外をみればそうなっていないことがわかるはず。アルゼンチン、ブラジル、インドでは、「収量が増えるから」と多国籍企業が特許をもつ遺伝子組み換え種子が広まりました。その結果、種や農薬を購入し続けるための借金に苦しんでいます。
編集部
日本の農業はどんな姿を目指したらいいと考えていますか?
山田
日本は、ヨーロッパ型の家族農業でいくべきだと僕は思います。かつてはアメリカだって、日本と同じように生産調整をしていたんですよ。ニクソン政権時代にバッツ農務長官が、「食糧はミサイルと同じく武器なんだ」と、補助金で増産させて各国に輸出し始めたんです。補助金つきのアメリカの食糧が入ってきては勝てないから、当然、各国は関税を高くするでしょう? そしたら、「関税を下げろ!」と。それが、アメリカのFTAやTPP交渉なんです。
いまやアメリカは企業型農業で、働く人のことはまったく考えられていません。しかし、フランスの農家収入の8割は所得保障なんですよ。たとえばスイスで、ハイジの世界みたいに斜面でやっているような農業だけでは食べていけないでしょう? アメリカの機械化農業とは規模が違うからです。でも、スイス政府は、標高3千メートル以上のところで酪農や農業をやる人に所得保障を出して農家を保護しています。なぜかといえば、それは、環境保全のためであり、領土保全のためでもあり、食の安全を守るためであり、国を守る食糧自給率の維持のためだからです。
私が農林水産大臣をしていたときは、農家への直接支払いで所得保障を行ないました。そうなれば若い人が農家に戻るようになります。家族と離れて都会に出て安い給料で暮らさなくても、故郷に残って生活をしていけるという設計をしたんです。いまの自民党はこれに反対だけれどね。
狙われているのは、農協の預貯金90兆円
編集部
JA全中(全国農業協同組合中央会)の改革もTPP反対運動を抑える意図があったのでしょうか。
山田
TPP阻止運動をつぶすだけでなく、郵政民営化のときのように、農協の金融と共済と営農の3分割が狙われています。農協改革はJA全中の監査権限撤廃で決着だとメディアはいっていますが、そんな問題ではない。農協には、日本の都市銀行2位となる預貯金90兆円があるんです。営農など利益のでないところは見捨てられて、利益のあるところは外資が口をあけて待っている。
韓国でもそうだったんです。私が訪韓した3年前は、まさに農協の三分割が協議されている最中でした。米韓FTAの前は、農民が10万人、20万人とすごい抵抗運動を行なって、死者まで出ています。僕は日本でも農協が危ないと訴えていたけれど、運動は広まりませんでした。いずれ生活協同組合法にも手をかけてくるかもしれません。協同組合みたいな考え方はないんですよ。全部株式会社化なんです。
韓国の農業はいま非常に厳しい状況です。農協も7兆ウォンの赤字を出していて、政府から補助金の代わりに株式会社化を迫られていると言われています。要するにアメリカの言いなりになっているんです。日本もそう。これじゃ、改憲なんかしなくても憲法が無意味なものになってしまう。とても独立した国とは思えない。
編集部
4年間の秘密保持期間が過ぎて、TPPの内容が明らかになったときに、私たちが「NO」という手段はないのですか?
山田
ありません。というのは、もし変えるなら、残り11カ国すべてが承認しないといけないんです。政権が変わっても同じこと。TPPは国として決めるものだから。でも、そんな馬鹿なことがあっていいはずがない。
編集部
今後、予想される動きについて教えてください。
山田
当初、3月にも大筋合意と言われていましたが、まだ延びそうです。マレーシアやベトナムは国営事業があるし、知的財産権の分野ではマレーシアも非常に抵抗しています。しかし、各国はいずれ折れるんじゃないかな。あとはアメリカの議会で大統領に交渉権を与えるTPA法案(※)が通るか通らないかが鍵になっています。
現時点ではアメリカ議員の中にも反対している人は多い。でも、外国企業もアメリカの政治家に献金できるようになったから、今後どうなるかわからないね。TPA法案が通らないと、議会の反対も強いからTPPそのものが流れる可能性もあります。大統領選が本格化する夏までにまとまらなかったら、その可能性は高い。
(※)TPA法案:アメリカの憲法では、外国との通称の取り決めをする権限は、大統領ではなく議会にある。それでは交渉上不都合があるため、アメリカ議会が法律によって大統領に通商交渉の権限を与えるのが、TPAである。
編集部
TPPが妥結したとしても、アメリカ議会にはまだ「サーティフィケーション(承認手続き)」というものがあるそうですね。
山田
日本の国会議員でもそのことを知らない人がいるのですが、最近になってこの「承認手続き」を警戒する声が高まっています。アメリカ議会には、相手国の国内法や商慣習がTPPで決めた内容に合っているかどうかを審査する権利があるといわれています。もしTPP協定を結んでも、「日本はちゃんとやっていない」とアメリカ議会が判断すれば、アメリカの要求に合うように日本が変更をするまで、アメリカは批准しないということが可能なんです。アメリカが批准するために、さらに追加の要求を押し付けられる可能性があります。なぜアメリカだけがそんなことができるのか、それは分からない。巨大な勢力と軍事力があるからでしょうね。
編集部
どうやって反対していったらいいのでしょうか。
山田
交渉に参加している各国の国民は、TPPがおかしいというのはわかっています。日本だけが、まだそのことをわかっていません。だから、もっと伝えていかないといけない。我々がまさに主権者なんだということを訴えていかないといけないんです。僕は今、出来るだけいろいろなところへ話をしにまわっています。少人数でも集まってくれれば、時間のある限り弁護団で手分けして行きたい。日本でも反対の声があるんだと知らしめたいんです。
300円の印紙を貼れば、誰だって「TPPの秘密交渉の内容を明らかにしろ」と政府に情報公開を求めることができます。そうやってできることから参加してほしい。知るだけじゃだめなんです。実際に行動して、とにかく動いていかないと。そして、差し止め訴訟、国賠法で憲法違反だと認めてもらう。
主権者は国民。まだチャンスは残っている。
編集部
絶望的な気持ちになりそうですが、TPPが批准する可能性はどれくらいですか?
山田
いやいや。闘いはまだこれから。チャンスはあります。大筋合意して基本調印したとしても、批准までに1年くらいはかかります。それまでに原告を1万人くらいにして、全国的な組織にしていきたい。時間がたてば、TPPがうさんくさい協定だってことが、みんなにわかるようになるはずです。ニュージーランドでも、オーストラリアでも反対運動が起きています。日本の運動だけが低調なんです。各国の議員にも反対している人が多く、国際的な連携もとっています。まだチャンスはあります。僕は、この協定が通るか通らないか、半々だと思っていますよ。いまの状況のままなら交渉は漂流するでしょう。ただし、日本政府もアメリカも必死だからね…。
TPPはいまの生活を守る闘いなんです。農業や経済だけじゃありません。それを僕はずっと訴えてきました。一人でも多くの人にTPPを自分の問題として考えてほしい。ぜひ訴訟にも原告として加わってください。
(構成/中村未絵・写真/塚田壽子)
TPP交渉が妥結する前からアメリカの要求が実現されている、という話に、「そういえば、まさかあれも!? これも!?」と最近のニュースが頭に浮かびました。日本は食料自給率目標を引き下げたばかりですが、食料を他国に依存する国は、いざというときに脆いのではないでしょうか。どんな国を目指すのか、どんな暮らしをしたいのか、それを決めるのは主権者である私たちのはず。TPPはまさに「1%>99%」を象徴する協定。まだチャンスがあるうちに、どう主権を取り戻していくのかが問われます。