この人に聞きたい

TPP(環太平洋連携協定)は、太平洋を囲む多国間での「ヒト、モノ、カネ」の流れを自由化するための経済連携協定。シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイ、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシア、カナダ、メキシコ、そして2013年7月に遅れて参加した日本をあわせた12カ国が交渉に参加しています。これまで各国の思惑が入り乱れるなか交渉は難航してきましたが、主導権を握るアメリカからのプレッシャーも強く、いよいよ大筋合意に至るのではないかとも言われています。
TPPは、私たちの暮らし全般にかかわる協定です。しかし、秘密交渉のためにその詳細が知らされることはありません。TPPによって暮らしはどう変わる可能性があるのでしょうか? 今年1月、TPP交渉は違憲であるとして「TPP交渉差止・違憲訴訟の会」を設立した、元農林水産大臣の山田正彦さんに話をうかがいました。

山田正彦(やまだ・まさひこ) 1942年長崎県五島生まれ。元農林水産大臣。弁護士。司法試験合格後に五島で牧場を経営。ついで法律事務所を設立。1993年衆議院選挙で初当選。2012年まで5期19年を務める。2009年民主党鳩山内閣で農林水産副大臣、菅内閣で農林水産大臣。一貫してTPPには反対の立場をとってきた。2015年1月に「TPP交渉差止・違憲訴訟の会」設立。著書に『「農政」大転換』(宝島社)『TPP秘密交渉の正体』(竹書房新書)ほか。

編集部
 2015年1月に、「TPP交渉差止・違憲訴訟の会」(以下、「TPP訴訟の会」)を設立されました。山田さんはこの会の幹事長でもあり、2010年に農水大臣だった頃から、超党派議員による「TPPを慎重に考える会」を立ち上げるなど、ずっとTPPに反対の立場をとっていましたが、山田さんが感じているTPPの問題点について教えてください。

山田
 TPPは「農業と経済の問題」のように思い込まされているけれど、実はそうではありません。TPPは、生活を大きく変えてしまう協定なんです。私はずっとそのことを訴えてきましたが、危機感がなかなか伝わっていないと感じています。

編集部
 「生活を変えてしまう」とは、どういうことなんでしょうか?

山田
 この協定が結ばれれば、日本の国会で決める法律よりも協定が優位に立ちます。実際に、2012年に発効した米韓FTA(※)によって、これまでに63もの韓国の法律が変えられてしまいました。
 なぜなら、米韓FTAにも、TPPと同じくISD条項(※)というものがあるからです。これによって、TPP協定に反する立法により海外投資家や企業が「損をした」とみなされれば、国家を訴えることができます。実際に、カナダ、メキシコ、アメリカで締結されたNAFTA(北米自由貿易協定)以降、このISD条項による企業からの訴訟が増加しています。

編集部
 ISD条項による訴訟には、どんなものがあるのですか?

山田
 有名な話では、カナダ政府が人体に有害な神経性物質MMTを石油製品に混ぜることを禁止したところ、MMTを製品に混入していたアメリカの石油会社が「利益を損ねた」としてカナダ政府を訴えて、政府が最終的に1000万ドルの和解金を払ったというものがあります。メキシコでも、アメリカの廃棄物処理会社に、地下水が汚染されるとして埋め立てを禁止したところ、政府が訴えられて1670万ドルの和解金の支払いを命じられています。
 審理は非公開で控訴もできないうえに、強制力があります。そして、これまでに米国政府は敗訴したことがないと言われています。偶然なのかもしれませんが…。そんな条項を日本は本当に受け入れていいのでしょうか。

(※)米韓FTA: 米国と韓国の間で結ばれた自由貿易協定。韓国では野党が激しく反対し、反対するデモ隊が逮捕されるなどしたが、2012年3月に発効。

(※)ISD条項:国や自治体が、市場参入規制や国内企業を保護したとみなされる場合に、外国投資家に国家を訴える権利を与える。ISDS条項とも呼ばれる。日本国内での問題であっても、国内法に基づいた国内裁判ではなく「国際投資紛争解決センター」などの国際仲裁機関で判断が下される。

「安全な暮らし」よりも、企業の利益のほうが優先!?

編集部
 海外投資家の利益に反するかどうかが、国内法よりも重要になるということですね。

山田
 そうです。米韓FTAでも、韓国の「エコカー減税」の実施が、CO2排出量の多いアメリカ車の販売に支障となるために延期させられています。韓国では、地方自治体で学校給食に地産地消の食材を取り入れようという動きがありますが、これもアメリカなどの食品会社の参入を阻むものとしてISD条項で訴えられる可能性があるといわれています。
 安全な暮らしを守るために「水や食品の安全基準を大事にしよう」、「食品添加物をやめよう」と国内で決めたとしても、それが企業の利益に反するものだと認められたら、弁償しないといけません。「これを決めたら訴えられるのでは…」という心配から、国も自治体も身動きができなくなりかねないでしょう。そうなれば、司法主権、立法主権、行政主権が奪われてしまうのと同じこと。つまり、間接収用ができるということです。このことの深刻さが伝わっていません。

編集部
 TPPによって、添加物や遺伝子組み換えの表示義務など、食品の安全基準が下がってしまうのではという懸念もありますね。

山田
 アメリカの議会では、いま「アメリカの農産物が日本で売れないのは国産表示があるからだ」という議論があるそうです。もし本当に、国産表示や遺伝子組み換え食品表示などがなくなれば、どうやって子どもたちに安全・安心なものを選んで食べさせることができるのでしょうか。TPPでは21項目24分野と、幅広い内容が交渉されています。食の安全だけじゃなくて、労働、金融、医療、教育、インターネットの著作権、薬の特許など、身近な暮らしにかかわることすべてが変わってしまう恐れがあるんです。





「知る権利」を侵害したまま、進められるTPP交渉

編集部
 TPP訴訟の会では、どういった点を違憲だと考えているのでしょうか。

山田
 TPPによって、海外投資家や企業の利益が、国民の生命や平和を守る国内法より優先されかねません。それによって憲法25条の平和的生存権が脅かされるということがあります。それから13条の幸福追求権の侵害。福井県などの住民が訴訟を起こし、関西電力大飯原発3、4号機の運転を差し止めた裁判では、判決の根拠に人格権の侵害が指摘されています。TPPでも同じことがいえるはずです。
 そしてTPPのいちばん大きな問題に、秘密協定ということがあります。締結後も4年間の秘密保持義務があり、交渉内容は明かされません。国民には内容を知らせないまま、批准後にTPPの内容にあわせて法律も変えていくことになるんです。
 米韓FTA締結当初、韓国のコメだけは例外として自由化からは守られたといわれていました。最低限の決められた量だけ輸入する代わりに、輸入の自由化を防いだのです。しかし、実際には、今年から韓国でもコメは関税化されました。これで、他国からの輸入が可能になったのです。いまは高い関税をかけているけれど、もしかしたら20年で関税撤廃という約束なのかもしれない。秘密協定だから、どうなっているのか分からないのです。つまり将来にわたってどういう被害を受けるのかが、国民にも、国会議員にもまったく知らされない。こうしたTPPの秘密交渉は、憲法21条で保障されている「知る権利」の侵害にあたるはずです。
 TPP訴訟の会には、イラク派兵違憲訴訟(※)を起した元立教大学教授の池住義憲さんも副代表として参加しています。この違憲訴訟でも、広く一般の方に原告として参加してもらいたい。いまは、まるで政府が主権者みたいに振る舞っているが、日本は紛れもなく立憲民主国家。主権者は、私たち国民なんです。

(※)イラク派兵違憲訴訟:イラクへの自衛隊派遣は違憲だとして訴えた裁判。ネットを通じて賛同する市民1000人以上が原告となった。この訴訟に、2008年4月に名古屋高裁は「大規模な掃討作戦が展開されているイラク・バグダッドへ、航空自衛隊が武装した米兵を輸送する活動を行なっているのは、憲法9条1項に違反する」との判決を下した。

編集部
 訴訟では、交渉の差し止めを求めていくということでしょうか?

山田
 5月頃には訴訟が起せるよう、弁護団で訴状の準備を進めているところです。裁判ではTPP交渉の差し止めと、TPP交渉もしくはTPP自体が違憲であることの確認を訴えていきたいと思っています。ただし、違憲確認請求と、交渉差止請求だけでは、「訴えの利益なし」(※)とみなされる恐れがあります。
 大筋合意が現実的になれば、日本の国家主権が侵害され、国民の生命、健康、自由、財産、幸福追求の権利が侵害されるとして、国家賠償法に基づいた損害賠償請求を行なうことを考えています。国家賠償請求は、国や公共団体に属する公務員が、「1)違憲違法な行為をして、2)国民の具体的な権利を、3)侵害する」という3要件が満たされた場合に、国が公務員に代わって損害賠償を払わなくてはいけないというものです。判例では国民の権利が侵害され、または侵害される恐れがあるだけで、その原因行為を差し止めることができるとなっています。
 まさに今の私たちの権利はTPPによって侵害の恐れが生じていると言えます。その審査の過程で、TPPが違憲であると判断してもらおうというのが狙いです。

(※)訴えの利益:裁判によって、その紛争を解決するに値するだけの利益・必要性。原告の請求に対して、判決をすることが、当事者間の紛争解決に有効・適切であるとみなされないと、訴えは却下されることがある。


医療や教育、食糧は、市場原理主義ではいけない

編集部
 知るほどに不安が大きくなるTPPですが、そんなに不平等な協定に日本が参加することに、メリットがあるのでしょうか?

山田
 財界や多国籍企業はやりたがっていますよ。あなたが大企業に勤めているなら、もしかしたら多少のメリットはあるのかもしれません。けれど、ほとんどの国民にとってはデメリットのほうが大きいでしょう。
 アメリカではNAFTA締結前、自由貿易で輸出が伸びて雇用が増えるといわれていました。しかし実際には、倒産したメキシコ人農民が安い労働力として入ってきて、20年間で500万人が失業し、4000もの工場がメキシコに移転していきました。アメリカのNPO団体「パブリック・シチズン」のメンバー、ローリー・ワラック氏によれば、アメリカの給与水準は下がり続け、43年前の水準にまでなっているといいます。深刻な格差社会になっています。日本でもTPPをやれば労働者の移動が自由になり、アメリカや欧米が抱えるような問題が生まれていくでしょう。

編集部
 アメリカの国民はTPPをどう受け止めているのでしょうか。

山田
 アメリカでは国民の8割近くがTPPに反対しています。ニュージーランドでも400万人の国民のうち、1万4千人がTPP反対運動をやっているんです。でも、人口1億人の日本では、なぜか反対運動が盛り上がっていません。メディアが抑え込まれていて報道しないというのもあるし、秘密交渉で、国民は何が行なわれているのかわからないというのもあるでしょう。
 アメリカ政府は、日本に「米韓FTA以上」のものを求めるとはっきりと言っていますが、じゃあその韓国はいまどうなっているでしょうか。いま、韓国では若者が就職できず、格差は開き、医療費もこの3年間で倍近くにあがってきたと言われています。そして、農業者の7割が廃業を決意しています。多国籍企業や外国投資家のような1%のために、残りの99%が犠牲になる。それが新自由主義、グローバリゼーションなんです。
 僕はそれに反対しています。教育、医療、食糧とか水とか空気とか、そうしたものは社会的共通資本として守らなければならないものです。そこに市場原理主義をいれてはダメなんです。

(構成/中村未絵・写真/塚田壽子)

(その2に続きます)

 

  

※コメントは承認制です。
山田正彦さんに聞いた(その1)
“反TPP”は、
私たちの暮らしを守る闘いなんだ
」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    かつて「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない」という、政党ポスターがありましたが…。アメリカで多くの国民が反対していることは、あまり知られてないのではないでしょうか。TPPは秘密協定で、カバーする範囲も非常に広く、何が起こるのかイメージがつきにくいことが反対運動の広がりの壁になっていそうです。しかし、範囲が広い分だけ、分野横断的な運動につながる可能性もあるはず。そもそも生活に大きくかかわるようなことを、なぜ国民に秘密で交渉するのか疑問です。メリットが多くて困ることがないなら、オープンにすればいいはずです。誰のためのTPPなのか――話を聞けば聞くほど疑問がわきました。インタビューは来週の後編へ続きます。

  2. 多賀恭一 より:

    TPPの最大の問題点は、TPPに違反した場合、ニューヨークで裁判が行われることだ。
    ウォール街有利の判決が続出するだろうな。
    ニューヨークは大西洋だろ。TPPは環太平洋。
    太平洋はニューヨークの植民地じゃない。

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