この社会に、多くの無戸籍者がいる実態が明らかになってきました。教育、就職など、人生のあらゆるステージで、無戸籍者は差別、不利益を受けています。無戸籍者問題とは何か? どうすれば解決できるのか? この問題のオピニオンリーダーとして活躍する井戸まさえさん(元衆議院議員、民法772条による無戸籍児家族の会代表)から、コラム「立憲政治の道しるべ」でおなじみ南部義典さんに聞き手になっていただき、お話を伺いました。
南部義典(なんぶ・よしのり)1971年生まれ。京都大学卒。衆議院議員政策担当秘書、慶應義塾大学大学院法学研究科講師を歴任。2005年より国民投票法の起案に関与。同法に関し、衆議院憲法審査会参考人質疑(2014年5月)のほか、過去3回の国会招致に臨んだ。著書に『Q&A解説・憲法改正国民投票法』など。→Twitter →Facebook
無戸籍者の実態は?
南部
法務省は、今年10月24日、全国の無戸籍者の集計結果を公表しました。「全国に279人」と、各紙も報じていましたが。
井戸
公表データをどう見るかなんですが、まず、回答している自治体は187の市区町村で、全体の1割しかないんです。個人情報に該当するので出さないという所もある。単純計算でいったら、この10倍の数はいるということになりますよね。
さらに、自治体の対応も問題です。先日、ある無戸籍の方と窓口に行ったんです。こちらから、名前も名乗って、年齢も伝えているのに、担当者はまったくその方のことを把握しようとしないんですよ。「裁判所に行ってください」と言うだけ。こういう感覚なんです。無戸籍者の実態を把握しようとしない自治体に申告させて、何の意味があるのでしょう。窓口の実態こそ、国はちゃんと調査すべきじゃないですか。
南部
実際には、無戸籍者はどれくらいいると推計されていますか。
井戸
データの取り方はいろいろあります。いま、無戸籍で住民票を出しているケースが、年間700件ほどあります。あとは、児童手当、就学通知の実数が分かります。
ただ、こうした事例は、行政窓口に相談ができているケースであって、窓口に行かなければ、数字として表れません。調停・裁判で訴えを取り下げるケースが、年間500件くらいあります。この方たちは、後に救済の方法がないので、数としてはどんどん累積することになってしまいます。10年経ったら5,000人、20年経ったら10,000人と増えてしまうんですよ。無戸籍者問題が露呈してきた昭和40年代から考えると、相当な数になることは間違いなく、全国に少なくとも10,000人はいると推計しています。
もっとも、親のネグレクトで無戸籍になってしまった方の実態は、なかなか把握しづらいものがあります。生活の不便を感じて、役所に行くところまで待たなければなりません。法務省は、戸籍を取るための方法をホームページでPRしているとしきりに言いますが、無戸籍の方は携帯電話等の契約ができないので、見ることができません。本当にナンセンスです。
教育を受ける権利と参政権の保障は?
南部
無戸籍者の方は、学校教育をちゃんと受けられているかどうか、誰しも心配の目で見ていると思いますが。
井戸
多くの自治体では、戸籍とは別の学籍簿に基づいて、中学校までは行くことができるようになっています。ただこれも、貧困の問題とも関わってきますが、さらに高等学校、大学まで行かせられるかといったら、母親がDVで逃げているケースなどでは非常に少ないです。高校に進学しても、その後中退してしまったりとか。
中には、学校に行っていない方もいます。幼少時から母親又は養育者と暮らしていて、家の外に出ないんです。世の中には、学校に行くグループと、行かないグループがあると思い込んでいて。自分は行かないグループだと信じているから、他の子どもが学校に行っていても違和感がないんですね。
多くの自治体が、学校教育を受けられなかった方に対する支援の取り組みに力を入れています。分数とか百分率とか、日常の買い物で困らないようにと、本当に基礎的なところからの学習がスタートしています。
南部
選挙権についても、問題は残されたままです。
井戸
一番そこが問題です。市民は通常、自分が住んでいる国、地域で何か問題がある、おかしいといったときには、選挙という手段で自らの意思を表明することができます。主権者なのですから。しかし、無戸籍者は、たとえば民法の規定がおかしいとか思って、投票行動に出ようとしてもその術がないんです。政治過程に参加する機会がまったくなくて、最終的に司法の場だけになってしまうんです。選挙権の保障を欠いているのは、著しい人権侵害だと思います。
運用の見直しが進んできたものの…
南部
2007年5月の法務省民事局長通達によって、772条の解釈・運用が変わりました。離婚後に懐胎したという医者の証明があれば、たとえ300日未満であっても、前夫の子との推定が及ばないということです。この通達によって、多くの方の救済につながりましたか。
井戸
いえ、全体の1割程度です。これまで7年間、2千人ちょっとの方が救済されていますが、残りの9割は通達の対象になりません。
通達が要求している「医師の証明書」というのも不十分です。排卵日を以て懐胎日を推定するということなのに、最終の月経日が基準になってしまっているんです。つまり、最終月経日が離婚当日までだったらダメで、離婚翌日以降であれば大丈夫だという。ちぐはぐなことになっています。
南部
運用上は、まだ見直しの余地がありますね。
井戸
そもそも、子どもの戸籍の問題は、子どもを中心に考えることが何より大切です。いま、運用を見直すとすれば、「父未定」のままで出生届を提出できるようにすることです。前夫と現夫の嫡出指定が重なるか否かを問う前に、まずは「父未定」の出生届を出して、戸籍を作ってしまうのです。
国際結婚の場合で、子どもが生まれたとき、母親の離婚後300日以内だったとしても、調停・裁判を経ることなく、「父未定」という出生届が運用上、正式に受理されています。
たとえば、イギリスは再婚待避期間を定めた法律がありません。日本人と離婚してイギリス人と再婚し300日以内に子どもが生まれた場合、日本では前夫、イギリス法の上ではイギリス人が父親になり、両国で、別の父親ができてしまうんです。
国際私法がこれを調整しているんですが、二人の推定が重なった中でも、とりあえず「父未定」として、裁判で以て後に父を確定させるのです。772条でいえば、母親の側に嫡出否認権を与えるようなイメージになります。この方法で、100%一気に解決します。
南部
その意味では、昔は柔軟な運用がなされていたと考えられます。
井戸
民法が制定された当時は、共同体の中では、子どもにとって、父親がいないことが大きなハンディでした。そこで、とりあえず父親を強く推定するということになった。推定しなくていいという場合には、自宅出産がほとんどだったので子の出生日を意図的にずらしたりして、母親の嫡出認定を実質的に認めてきたんですね。
民法は、このように改正すべき
井戸
認知については、20歳を過ぎたら子どもの同意が必要なんですが、嫡出については同意は要りません。772条で前夫の推定が働いている場合、この父親が20年間何もしてこなかったのに、突然、自分の父であることを知って、父の子にすることができてしまうんです。
自分の子を妊娠している可能性があったら、普通は連絡するはずでしょう。10年、20年、別れた妻に何も連絡してこないということは、すでに嫡出を否認しているということだと思います。
期限を決めて、何年以内に前夫からコンタクトがない場合には、嫡出否認とみなすと。みなし規定を置けば、法律上の強い推定が外れるから、それでもすごく救済が広がるんですよ。成人した無戸籍者にとっては、本当に大きなメリットになります。
南部
772条1項の、夫側の推定規定を改正する余地もあります。
井戸
第1項で、「妻が婚姻中に懐胎し、又は出産した子は、夫の子と推定する」というように、出産の二文字が追加されれば、全然問題ないわけです。即、現夫の子となるわけです。この場合、第2項は要らなくなってしまうかもしれませんが。
法律婚主義、これ自体を放棄するべきとは思いません。そうなると、婚姻の意味が無くなってしまいますから。
南部
法律婚を尊重する発想に立つほど、法の壁に苦しむことになりますね。
井戸
私は法律婚に拠り所を求めるタイプだし、みんな法律婚を信じたがゆえにこうなっているんです。だから、保守的な人ほど深刻な事態になってしまいます。もし、300日以内に子どもを産んだとしても、事実婚だったら何でもないわけですよ。だから、この場合は、事実婚のほうが、むしろ優位性があるんです。
法律婚を大切にしようとするから、かえっていろいろ面倒臭くなってしまうんです。家族を安定させるべき法律婚がむしろ、家族を揺るがしていくという、皮肉な状態だと思っています。
南部
最後に、無戸籍者問題の解決に向けて、ひと言お願いします。
井戸
国家として、無戸籍者がいることがすごく恥ずかしいことだと思います。一人、二人ならともかく、本当に大勢の方が、不本意にも戸籍がない状態に陥っているんです。数は減っていません。個人の生き方は、法律で規制できるようなものではなくて、選択権を自由に保障しつつ、多様な生き方を認めていくことが大切です。
さきほど触れたように、7年前に法務省の通達が出ましたが、政府は無戸籍者の問題を認識しながら、この7年間、何ら事態は改善されていません。立法不作為の政治責任を問うべきだと思っています。
私が呼びかけの一人となり、超党派の議員連盟を設立しようと、いま準備を進めています。できれば、この臨時国会の開会中に総会を開いて、活動を本格化させたいです。与党・野党を問わず、力を合わせて、772条問題の解決に努力を重ねていきたいと思います。
南部
きょうは、貴重なお話をいただき、ありがとうございました。今後のご活躍に期待しています。
(聞き手・構成 南部義典)