この社会に、多くの無戸籍者がいる実態が明らかになってきました。教育、就職など、人生のあらゆるステージで、無戸籍者は差別、不利益を受けています。無戸籍者問題とは何か? どうすれば解決できるのか? この問題のオピニオンリーダーとして活躍する井戸まさえさん(元衆議院議員、民法772条による無戸籍児家族の会代表)から、コラム「立憲政治の道しるべ」でおなじみ南部義典さんに聞き手になっていただき、お話を伺いました。
南部義典(なんぶ・よしのり)1971年生まれ。京都大学卒。衆議院議員政策担当秘書、慶應義塾大学大学院法学研究科講師を歴任。2005年より国民投票法の起案に関与。同法に関し、衆議院憲法審査会参考人質疑(2014年5月)のほか、過去3回の国会招致に臨んだ。著書に『Q&A解説・憲法改正国民投票法』など。→Twitter →Facebook
「離婚のペナルティ」と、
はっきり言われました
南部
「離婚後300日以内に生まれた子は、前夫の子と推定する」――いわゆる300日ルールと呼ばれる民法772条の定めによって、前夫の子として出生届を出すことを望まない母親がいます。離婚協議中のトラブルや負担、家庭内暴力など背景は様々ですが、出生届が出されなければ、戸籍は作成されず、子は無戸籍者となってしまいます。
まず、井戸さんが、民法772条(*1)による無戸籍者の問題に関わるようになった経緯を教えてください。まず、ご自身が当事者だったとか。
(*1)民法772条は、嫡出推定に関する規定である。
第772条 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。
2 婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。
井戸
私は結婚して、3人の子どもを産んで、その後に離婚しました。別居期間も長く、離婚調停にも時間がかかりました。ようやく離婚が成立し、現在の夫と再婚し、4人目の子どもを産みました。
南部
現在の夫との間に生まれたお子さんが、300日ルールに抵触してしまったわけですね。
井戸
はい。私はいつも早産で、普通は40週(280日前後)なのですが、37週とか9か月の終わりで産まれます。案の定、4人目もそうで、離婚の成立から265日後(2002年11月27日)のことでした。
健康な子どもに恵まれてよかったと、現夫と喜び合いながら、市役所に出生届を提出し、子どもと一緒に私も病院から帰宅しました。
南部
出生届は受理されたわけですね。
井戸
出生届は、普通に受理されたと思っていました。ところが、その日の午後、家で子どもを寝かせていたら、市役所から電話がかかってきたのです。「井戸まさえさんですか?」と尋ねられ、「そうです」と答えると、「あなたは2002年3月9日に離婚していますね。けさ提出した出生届は、父親欄が現夫になっていますが、民法の規定で、前夫の子どもになります。前夫の氏名に書き直して、再提出してください」と言われました。
南部
その日のうちに、出生届を提出し直せと言われたのですね。
井戸
寝耳に水でした。離婚する前、前夫とはずっと別居していたし、4人目の子どもは、前夫と離婚が成立した後に産まれています。正直、民法の規定が「おかしい」と反論したら、「それは、離婚のペナルティです」と市役所の担当者にはっきり言われました。すごくショックでした。
子どもに関して市役所から出てくる文書には、すべて、「この子は、前夫○○の子と推定される」という一文が添えられていて、現夫も何度もそれを見るうちに、「なんだか自分の子どもじゃないような気分になるよな」なんて言っていました。
その後、市役所は、子どもの身分の安定のために、「職権で、前夫を父とする戸籍を作ります」と言い出し始めて、何とかしなければならないと思っていました。
認知調停という方法を発掘
南部
前夫を相手に、調停・裁判を行うことは考えませんでしたか。
井戸
親子関係を否定するためには、前夫の方から自分の子ではないと訴えるか(嫡出否認の訴え)、母子の側から、この子はあなたの子ではありませんねという確認(親子関係不存在確認の訴え)を、前夫と行う方法があります。しかし、いずれも、前夫の協力がなければ実現しません。
かつて私も、前夫との離婚協議がかなり負担になったので、もうこれ以上、前夫を巻き込みたくないと思っていました。そもそも、4人目の出生は、前夫には関係がありませんから、前夫を絡ませない方法が何かないものか、一生懸命勉強しました。
南部
前夫を絡ませない方法は、見つかったのですか。
井戸
家事事件(家庭内の紛争などの家庭に関する事件)の判例をいろいろ調べていたら、現夫に子を認知させるという方法で、現夫を相手取った認知調停を起こす方法があることがわかりました。前夫の子ではないことと、現夫の子であることの立証が必要ですが、少なくとも前夫は調停・裁判の当事者にはなりません。前夫が刑務所にいたとか、海外にいたというような事情があれば、認知調停という方法で出来るんです。
ただ、現夫は自ら、市役所に出生届を出している以上、それ自体が認知行為とみなされるので、私が現夫を訴える利益がなく、認知調停を起こせるのかどうかという問題が残っていました。
法務省のお墨付き
井戸
そうこうしているうちに、法務省にも直接相談できる機会があったので、担当者の方にこれまでの経緯を説明して、認知調停という方法について相談しました。担当者のみなさんは、次々に六法全書をめくりながら、うーんと考えておられましたが、全員が一致して「認知調停でできますよ」と。「ぜひ、あなたがリーディングケースになって判例をつくって、同じような悩み、苦しみを持つ人にも方法を伝えて、判例を積み重ねてください」と言われました。
認知調停とは、現夫と私との間の便宜的な争いを対象とするものなので、ある意味、“悪知恵”なんです。でも、法務省は「できる」と言ってくれた。お墨付きをもらった私は、早速、裁判所に向かいました。
南部
認知調停がスタートしたわけですね。
井戸
最初は、家庭裁判所の認知調停で進めていたのですが、ある日突然「調停不成立」となってしまいました。確認すると、手続的に間違っていたということではなく、初めてのケースになるので、調停ではなく、裁判の手続をとってほしいということだったのです。
仕方なく、見よう見まねで裁判の手続を自力で進めました。そして、口頭弁論の期日になり、現夫と2人で地方裁判所に向かいました。私と子どもが「原告」、現夫が「被告」ですね。当然ですが、現夫は私の請求を認める陳述をしました。訴訟上の合意です。合意があれば、すぐに判決になるんですが、裁判長はそのとき「合意だけでは決められません。子の父は、国が決めます」という趣旨のことを述べたのです。
「国が決めます」と言われたときに、離婚後300日規定のことが頭をよぎって、ゾッとしました。この裁判、負けるのではないかと。
南部
そして、判決の期日を迎えるわけですが。
井戸
私は裁判の原告として、負ける覚悟で裁判所に向かいました。負けたらすぐに控訴しようと、そんなことを考えていました。
そしたら、「子どもは、現夫の子として認める」との勝訴判決が出たんです。何が何だかさっぱりわからなくて。そんなに簡単に認められるとは思っていなかったし、驚きの気持ちもありました。認知裁判はこんな感じで終わりましたが、これで晴れて、わが子の戸籍を登録することができました。
全国から寄せられた声
井戸
認知裁判を終えて、インターネットのホームページを立ち上げ、今回の判決に関する情報発信を始めました。当時(2003年頃)はまだ、家庭レベルでは、現在のように誰でもインターネットを使うという時代ではありませんでした。
それにもかかわらず、全国から大変な反響があり、たくさんの声が私のところに届いたのです。まあ、来るわ、来るわ、こんなにも、というくらい。中には、DVといった、私よりはるかに深刻な悩みとともに、無戸籍のお子さんを抱えている母親もおり、この問題に真剣に取り組まなければならないと決心しました。
南部
無戸籍者を救うための、活動の始まりですね。
井戸
その頃から、メディアの関心も高くなっていたように思います。2006年になり、子どもは4歳になっていましたが、毎日新聞が取材に来てくれました。時間もたっているし、すでに戸籍はあったので、それほど話題性があるわけではなかったのですが、その年の大晦日、社会面にびっくりするくらいの大きな記事を書いてくださいました。この記事がその後、いろいろな方の目に留まることになりました。
南部
新聞の反響は大きかったようですね。
井戸
はい。切迫早産のために、離婚後300日ルールにかかってしまうことになって、どうしようかと悩んでいた父親が、病院の待合室で、私の記事を読んでくださいました。認知調停をやりたいということで、私に連絡がありました。
年が明けて(2007年)、国会に要望をしようということになり、同じ悩みを持つみんなが初めて集まりました。無戸籍の子を持つ不安を共有し、妙な一体感を覚えつつ、民法の規定がおかしいのだから、これを何とか変えなければいけないという原動力となったのです。
南部
認知調停によって、前夫が関わらずに済むようになる意義は大きいと思います。
井戸
親子関係不存在確認の調停では、裁判所から突然呼び出しが来て、それが数回続きます。そういう物理的な負担は、前夫に対してもかかります。
例えば実際にあったケースですが、自分とは子どもをつくりたくないと言っていた妻が、その後離婚し、次の夫との間で子どもを産み、「それが300日ルールにかかるから調停に協力しろ」と言われるのは、プライドが傷つくというか、精神的な負担が大きいという、前夫の立場からの話も聞きました。
バッシングや不合理と向き合って
南部
周囲からの反応はどうだったのでしょうか。
井戸
以前は、すごくバッシングも受けました。「何で離婚から300日くらい我慢できないのか」「貞操に欠ける」とか、いろいろ言われました。
しかし、貞操云々だったら、男性は、婚姻している期間であっても、婚外で子どもを持つことが法的に保障されているわけです。いくらでも認知できますから。また、未成年の子であれば、母子の了承なく、勝手に父親が認知して届けることだって出来てしまいます。
南部
同じ772条でも、200日ルールについては扱いが違っているようですが。
井戸
婚姻の成立の日から、200日を経過した後に産まれれば、現夫の子となります。でも、いわゆる「出来ちゃった婚」「授かり婚」というのは、本来なら婚姻中の懐胎と推定されないはずですよね、妊娠に気づいてから結婚するわけだから。つまり、200日ルールに外れるので、本来なら現夫は認知の手続きをしなければならなくなります。ところが、実務上は問題視されていないわけです。
772条は、男女差別という問題も含んでいますが、同じ女性の中でも「差別」があるんです。これは、合理的といえるのでしょうか。
南部
運用の問題も含めて、すべては子どもに降りかかってしまいます。
井戸
子は、親がどんな状況でも、法律婚であろうが事実婚であろうが、平等に戸籍に登録される権利があります。日本も批准している、国連子どもの権利条約でも、明確に規定しています(*2)。
出生届でも、真実の父ではない前夫、つまり、調停・裁判で事後に父ではないことが証明されるような者をいったん父としなければならないのは、子どもが将来成人し、戸籍をみた時、大変な苦痛を受けるのではないでしょうか。政府は、子の福祉や家庭の平和のために772条があると言い続けていますが、実際はまったく違います。
(*2)日本では1994年5月に発効した。
第7条 児童は、出生の後直ちに登録される。児童は、出生の時から氏名を有する権利及び国籍を取得する権利を有するものとし、また、できる限りその父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する。
2 (略)
(聞き手・構成 南部義典)
(その2に続きます)
本人と現夫が「自分たちの子である」としても、国が認めないという300日ルール。ややこしい法律の壁に、井戸さんのように立ち向かえる人ばかりではありません。ましてやDVなど前夫との間に連絡のとれない事情があれば、泣き寝入りしてしまう人も多いはず。裁判長の「子の父は、国が決めます」の言葉が、大きな違和感として残ります。