今年春、自民党など三つの政党がそろって改憲案を発表。8月には、民主党が国民投票法における投票年齢の18歳引き下げ方針を表明、国民投票の実施が可能となる環境整備に向けた一歩を踏み出すなど、「改憲」をめぐる状況が、再び大きく動き出そうとしています。今出されている改憲案は、果たして何を目的としているのか? 憲法学者の青井未帆さんにお話を伺いました。
憲法学者、学習院大学法科大学院教授。 国際基督教大学教養学部社会科学科卒業。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了、博士課程単位取得満期退学。成城大学法学部准教授などを経て、2011年より現職。主な研究テーマは憲法上の権利の司法的救済、憲法9条論。共著に 『憲法学の現代的論点』(有斐閣)、『論点 日本国憲法―憲法を学ぶための基礎知識』(東京法令出版)など。
「表現の自由」を恐れる国家権力
編集部
最近、脱原発などを訴えるデモや抗議行動が、急速に規模を拡大していますが、自民党が発表した憲法改正案では、現行憲法の21条にある「表現の自由」についても「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」は認められないと明記されるなど、かなり制限が加えられる内容になっていますね。これなら、何らかの理由をつけてデモを禁止することもできるようになるかもしれない。
青井
国家が「表現の自由」を恐れるのは、ある意味で当然のことなんですよね。国家なんて、単なるフィクションじゃないですか。たしかに国家権力って非常に強い、怖いものでもあるけれど、しょせんは観念に過ぎない。みんなが信用しなくなったらあっという間に瓦解しちゃうわけですよね。
その「観念に過ぎないもの」が、 国民に司法サービスを提供することで、国民に対して「親を殺されても敵討ちしちゃいけない」「お金を盗まれても実力で取り戻しちゃいけない」と実力行使を禁止しているわけですが、表現の自由というのは、実力行使につながりかねない潜在的可能性を秘めているわけですから、権力にしてみれば当然怖い存在なんです。中でもデモなんて、本当に怖いと思います。大手メディアが報道しないのも国家統治の側から見れば理解できる道理でしょう。だからこそ、そうやって声をあげていくことが、私たちの自由を守るために必要なんですよね。
編集部
その意味では、3・11以降、国民の意識はかなり変わってきたかもしれません。もちろん「憲法で保障されている権利だ」と意識している人は多くないでしょうが。
青井
それはそれでいいんじゃないですかね。憲法って、「それがあるから」権利がある、平和や自由といった価値が守られるというものではない。そうした価値は、憲法から引き出されるものではなくて私たちがもともと持っているものだし、同時に私たち自身が常に、家庭とか職場とか社会のさまざまな場面で鍛え上げ、強化して、醸成していかなくちゃいけないものだと思うんです。憲法というのは、そこにプラスアルファの形で存在する、ある意味では単なる仕組みでしかないわけですよね。
デモに参加する、反対の声をあげるといったことについても、憲法で保障されていようがいまいが、私たちはそういう権利を持っているんだという感覚が広がることこそが重要だと思います。ただ、その権利を権力側が否定しようとしたときに、それをひっくり返す理屈として憲法があるんですよね。権力と立ち向かうときの「武器」なんです。
編集部
その意味では、今出てきている改憲案は、その「武器」を骨抜きにしようとしているものともいえます。
青井
おっしゃるとおりです。「こういうものだ」と国民に思わせれば、非常に扱いやすくなるだろうし、効率的に統治ができる。そのために、表現の自由なんてものは認めるのは危ないと思っている。本当は「国に逆らうな」と言いたいんだと思いますよ。
例えば、デモやビラ配りを通じて自分たちの意思表示をする。
「健康で文化的な」最低限の生活を守る。
子どもを安心して育てられる環境をつくる。
さまざまな場面で、権力と対峙するための「武器」となってくれる憲法。
この「武器」を手放してはならない、と強く思います。