安倍政権は、2020年までに指導的地位に占める女性の割合を30%にする目標を掲げ、10月17日には女性の職業生活における活躍の推進に関する法律案(女性活躍法案)を閣議決定させました。しかし果たしてそれだけで本当に「女性が輝く国」になるのでしょうか? 現代日本政治がご専門で、ジェンダーの問題にも長らく取り組んでこられた、三浦まり上智大学法学部教授に、日本の政治社会において「ジェンダー平等」の実現がなぜ必要なのか? そのためには何をすべきなのか、についてお話をお聞きしました。
なぜ日本で
クオータ制の議論が広がらないのか
編集部
「悪循環を断ち切る」ためには、やはり政治の場の多様性を高めることが必要ですよね。そのためには、候補者・議席の一定比率を女性に割り当てる「クオータ制」(quota、性別割当制)の導入も検討されるべきなのでは? と思いますが、日本では7月にみんなの党がクオータの導入を発表し、10月には民主党がクオータの検討に入りました。これから日本でもクオータが広がるのでしょうか。
三浦
日本でのクオータ議論は今まさに始まったという段階です。3月に「クオータ制を推進する会」が院内集会を開いた際に全政党が参加し、手応えを感じましたが、追い風になったのは6月の都議会でのセクハラ・ヤジです。これをきっかけに、国会・地方議会ともに女性議員があまりに少ないことへの認識が急速に広がったと思います。
みんなの党がクオータを導入することを決めたのも、セクハラ・ヤジがきっかけです。民主党も動き始めましたから、ますますクオータへの関心は高まるでしょう。
クオータを成功させるためには、女性票が可視化される必要があります。有権者の女性たちがどういう女性議員を求めているのか、どのような政策を必要としているのか、これが見えてくると、政党も動きやすくなります。クオータ制が導入された国では、女性票がある程度可視化されているので、結果的に政党も重い腰を上げています。女性票があるため女性議員も増えてくるし、選ばれた女性議員にとっても、何をすべきかが明確です。
国によっては、ジェンダー・ギャップ調査などの結果をもとに、「今、女性たちはこういうことに興味があるから、こういう政策を訴えると女性票にアピールできる」と政党に提案する支援団体もあります。そうすると、政党のほうも「ああ、ここに女性票があるんだ」と明確に分かるから、女性に訴えかけるような政策を安心して掲げられるわけです。
編集部
日本では、たしかに「女性票」というものが明確ではないし、そうした支援団体もない。その結果が今の状況なんですね。かろうじて政治の中枢にいるような女性議員たちも、その中でやっていくためなのでしょうが、「おじさん」化しているというか、それこそジェンダー・バッシング的な発言が目立ったりと、「女性の代表」という感じはあまりしません。
三浦
ジャーナリストの竹信三恵子さんは、女性比率が5%~20%は女性にとって「地獄の数字」だとおっしゃってますね。
つまり、5%より女性比率が少ない、「紅一点」に近いような状態だと、本人にも「女性を代表して行動しなきゃ」という意識が生まれるし、周囲も「女性の意見」としての発言に耳を傾けてくれる。それが、もう少し比率が上がると今度は、「女性」でまとめられたくないとか、自分は女性だからじゃなくて実力があるから登用されたんだという意識が生まれるのか、女性同士がまとまるよりもむしろ対立してしまうことが多くなります。一方で社会のルールはマイノリティである女性には不利なままだから、「地獄」なんですね。
それが、さらに比率が上がると――政治学では30%と言われています――今度は質的な転換が起きてくるのです。例えば、女性は男性に比べて公私を区別しないというか、私的な領域があってこその自分の存在だという感覚があるから、公的な場でも私的なことを出そうとする。でも、男性社会においては公的な場に私的なことを持ち込むのって「ルール違反」なんですよね。だから女性が「子どもが病気だから」と仕事を休もうとすると、「ルールを知らないやつだ」ということになるわけです。
でも、ある程度女性の数が多くなると、そういう行動もそれが普通になって、社会のルールのほうが変わっていくんですよね。
編集部
なるほど。ある程度の割合が増えることで、社会全体が変化していく、と。政府も「2020年までに指導的な地位に占める女性の割合を30%にする」という目標を掲げていますけど、政治についてはクオータ制などの導入がない限り難しいのでは、と思います。
三浦
そうですね。企業の幹部層の30%を女性にするよりは、政治の場で30%を実現させるほうが、はるかに易しいと思いますよ。経営にはやはり、組織を動かす能力が求められるし、女性をたくさん採用したとしてもその人たちが幹部層になるまでには時間がかかるでしょう。
でも、政治家はそれとはちょっと違って、民主主義国家においては多様な人々の意見をどれだけ代弁できるかが政治家の重要な資質なので、さまざまな領域でいろいろな経験を積んできた人がなるべきだ、という面があるのです。
特に日本はこれから大変な高齢化社会に直面しますよね。その現場で介護を主に担っているのは女性なわけで、その女性が意思決定の場に8%(衆議院における女性議員比率)しかいないのに、当事者の意見を反映させた政策が実現できるはずがないと思います。
編集部
高齢化だけでなく、社会保障全体が非常に重要な課題になってきますしね。
三浦
その意味でも、政治の場で先行して女性の割合を上げていく、クオータ制を取り入れていくということには、大きな意味があります。実際、ノルウェーやフランスでは政治が先にクオータ制を導入して、その後に企業の幹部へ適用しています。日本では女性の活躍推進法で大企業にポジティブ・アクションが入ることになりそうですが、企業に求めるなら、まずは政治がクオータを率先すべきでしょう。
真の「ジェンダー平等」実現には、
まずは「民主主義とは何か」を問うことから
編集部
ところで第二次安倍政権の改造内閣で5人の女性閣僚が誕生しましたが、この組閣について三浦さんはどう感じましたか? 男性的な規範の中でがんばってきた、リベラル・フェミニズム的な見地からは、一定の評価ができる、ということでしょうか?
三浦
5人の女性閣僚任命自体は評価できますが、男性議員からの怨嗟と2閣僚の不祥事が相俟って、今後は逆風が予想されます。女性枠で登用される女性たちは、次の女性たちに確実にバトンタッチできるよう細心の注意を払う必要があるのですが、そういった気概はあまり感じられません。リベラル・フェミニストでさえないということです。
そもそも5人のうち3人は男女共同参画に批判的な発言(*)をしてきています。残り2人はそうでもありませんでしたが、その2人が政治資金に関する不祥事が発覚し辞任するに至りました。この事実は「女性議員とカネ」の問題を考えるうえで示唆的です。
一般的に女性のほうが政治資金集めに苦労する傾向にあります。世襲議員であればその点は楽ですが、先代から続く後援会維持に莫大な費用がかかります。世襲以外は無理を重ねるか、あるいは資金をどこかの団体に依存せざるを得ませんので、男女共同参画に反対する団体からの資金援助は魅力的にうつるでしょう。こうした政治資金をめぐる構造的な問題が、ジェンダー平等を求める女性たちの政治参画を阻んでいるのです。
やはり政治活動を見直して、支出の総額規制を設ける等、お金のかからない選挙のやり方を見つけていかないと、男女ともに良質な議員が生まれないですし、資金面での男女格差も縮まらないでしょう。
(*)高市早苗(総務大臣)、有村治子(女性活躍担当大臣)、山谷えり子(拉致問題担当大臣)の3氏は、憲法改正や愛国心教育とともに男女共同参画への反対を強く主張する「日本会議」国会議員懇談会のメンバー。それぞれ「他人に子どもを預けた人のほうが一方的に優遇される制度ではだめ」(高市氏)、「両親が責任あるポジションに就いて仕事を続け、十数年以上たって家族機能が破綻し、親子関係において修羅場を経験している方も少なくない」(有村氏)、「選択的夫婦別姓制度を含む民法改正は家族解体法案」 (山谷氏)など、選択的夫婦別姓や男女共同参画への反対、ジェンダーフリー批判などの発言を指摘されている。
編集部
しかし、先ほどから何度も触れているように、日本では国会議員における女性の割合は10%以下と低いですが、同じアジアでもフィリピンや韓国は女性がトップになったりしています。なぜ日本だけがこうなんだろう、と思ってしまうのですが…。
三浦
そうですね。世界的に見ても、日本女性議員の割合はアラブ諸国と並んで最下位グループです。同じアジアの例では、台湾や韓国は法的クオータを施行していますし、台湾の女性議員比率は3割を超えています。
台湾も、韓国やフィリピンもそうですが、1980~90年代と、比較的最近に民主化を体験していますよね。その民主化の過程の中で、「民主主義とはなにか」ということに向き合ってきているのですね。ジェンダー平等も民主主義の重要な構成要素の一つですから、女性運動が民主化の過程で活発化していくという流れがあったわけです。
日本の場合は「民主化」を敗戦後、1945年に突然手に入れ、女性の参政権もすぐに成立しました。1970年代には日本でも第二波フェミニズムの運動、ウーマン・リブ運動が起きましたが、1985年に男女雇用機会均等法が成立し、バブルの波に乗っかり女性が一定程度社会進出するなか、リブの熱気や問題意識は次世代には継承されませんでした。
今、均等法成立から30年たち問題が解消されるどころか、女性の非正規雇用化が進み、貧困問題も深刻化しています。女性の貧困も女性議員比率の低さも、根底にあるのは日本社会における根深い性差別です。
日本が民主主義を手放すのではなく深化させていくためには、性差別を放置していて民主主義は成立しうるのか、そもそも民主主義とは何なのか、日本社会というのはどんな価値観を根幹に置く社会なのか、議論を深めていく必要があります。ジェンダー平等を実現していくためには、日本の民主主義を鍛え直す必要があるのです。
(構成・仲藤里美)
来春には地方統一選挙があります。そして12月に総選挙?という可能性も出てきました。まずは「女性票の可視化」するためにはどうしたらいいのか? を考えたいと思います。時間はあまりありません!三浦まりさんにご登壇いただく11月22日(土)に開催の「怒れる大女子会」でもそのあたりの作戦を練る予定です。こちらも是非!
投票数自体は女性の方が多いんですよ。
選挙権をもってる男女比はほぼ1:1でしょうから,女性票を確保できれば,結構な確率で当選できるように思えるんですが,,それでも少ないのは,その女性達から信用されていないってことじゃないですか?
あとは女性の候補者って,共産や社民が多いからかな。こっちのほうが大きいかも。
戦後だけを見て<女性の権利と民主主義度は正比例する>という意見は少し違和感がある。フェミの大御所に怒られそうだが、明治以降の名ばかり一夫一婦制より選挙なぞ無かった江戸時代の一夫多妻(無権利の妾でなく2番目以降の妻)制の方が女性の地位は高かったし(男が余るから?)さらに死体ゴロゴロの中世には女領主も沢山いた。そう考えると今の男性の態度は、女に力を与えるとマリーアントワネットだの日野富子だのが戻って来てなけなしの平民男子の権利を取り上げる、というおびえと「姫様ならしかたがない」という権威主義に引き裂かれているのではないかと思う。格差社会が女を救うとは全く思わないが、民主主義や近代主義を人質に女性の権利を訴えても男性には説得力がうすいのではないかと思う。