憲法を改正して、自衛隊を自衛軍に、と謳いあげる安倍政権。そんな日本の「現在」を、半藤さんが昭和史と比較しながら読み解いてくれました。
作家・昭和史研究家。1930年東京向島生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、取締役を経て作家。著書に『漱石先生ぞな、もし』『日本のいちばん長い日』、『ノモンハンの夏』(以上文藝春秋)、『昭和史1926-1945』『昭和史 戦後篇1945-1989』(以上平凡社)、『日本国憲法の二〇〇日』(プレジデント社)など多数。
日本の外交は今、何を目指しているのか
編集部
前回、日本は平和憲法という最大の理想を実現させることを目指せばいいんだ、というお話がありました。しかし実際には、小泉首相以来、理想主義をバカにして現実主義こそ正しいのだとする動きが強まり、安倍首相になってますますそのタカ派的路線が鮮明になっているようです。
半藤
で、彼らがよく言うのが国益でしょ? 戦前の日本でいう国策ですね。僕は国益よりも世界の平和という大きな人類の目標に進む、そっちのほうが大事だと思うけどね。国益と言うことで言えば、紛争調停などで日本の株が上がっていけば、そっちのほうが凄い国益だと思うんだけどなあ。ところがどうもね、国益論者たちは一体何がやりたいんでしょう。
編集部
今年2月に、半藤さんは参議院の「国際問題に関する調査会」にも参考人として出席されていましたが、そこではどんなお話をなさったんですか。
半藤
「歴史を見て外交の話をしてくれ」というから、くだらない話をしたんですよ(笑)。戦前の日本のノーリターンポイント、引き返せなくなった時点はどこかといったら日独伊三国同盟であるという話です。
このとき、中心になって動いたのが松岡洋右という外務大臣なんだけど、この人がたった1人で引っかき回して、三国同盟を成立させて日本を戦争する方向へ持って行っちゃう。そんなことがどうしてできたんだろうと、今まで調べれば調べるほど不思議だったんだけど、最近それが分かったと。どうしてかというと、小泉前首相ですよ。小泉さんが1人で日本をこんなふうに引っかき回した、それと同じなんだと。日本にはしっかりとした外交方針がないから、たった1人弁の立つ行動的な人がいると、国が動いちゃうんだということが分かった、という話をしました。昔も今も同じです。
それともう一つ、さらに状況が悪くなったのは昭和16年の南部仏印進駐であるという話。このとき、日本は石油をとるために仏印へ行ったんだけど、そうすれば当然アメリカやイギリスと戦争になる可能性があった。その危険を冒しても行こうという決定がされたのは、ドイツが勝っていたからです。ヨーロッパでドイツがむちゃくちゃに勝ってたから、いざとなったら盟邦ドイツに頼ればいい。大丈夫だとドイツの勝利をあてにして進駐した。
それで、日本は今もそのときと同じだと思う、アメリカにおんぶにだっこでイラクに自衛隊を出すなんてアホなことをやってるから、と話してきました。当時はドイツをあてにして、今度はアメリカをあてにしている。そんなふうに、何かをあてにして国の政治を動かしちゃいかん、日本独自の方針とは何かということをきちんとつくらなきゃ危険なんです、と。
編集部
反応はどうでした?
半藤
みんなぼーっと聞いてましたね。居眠りしてる議員はいなかったですけど。
編集部
特に、小泉さんの話なんかが出たときに、自民党の議員は…。
半藤
知らん顔してましたね。不愉快だし、聞きたくないんでしょう、あなたたちは無能であると言われてるみたいな話だから。
後で私的に質問をした人がいました。「イラクに自衛隊を派遣したのはそんなに悪いことなんですか」と。それで、「悪いだなんて言ってません。ただ、自衛隊がイラクに行って、今回は特に何も起こらなかったからいいけれど、ちょっと小競り合いがあって自衛隊員がイラク人を殺してしまったとする。そうしたら、自衛隊はアメリカに乗っかって行っているだけで国連軍でもなんでもないですから、単なる犯罪、殺人罪になってしまって、向こうの法律で裁かれることになっちゃうんです。そんなことになったら、自衛隊員は気の毒なんてものじゃない。だから彼らはサマワの基地から一歩も外に出なかったんですよ。出られなかった。こんな情けない国際支援活動なんてないです」という話をしたんですが、全然ウケなかったですね。
編集部
あの自衛隊のイラク派遣は、後の歴史家が見たときに、どのように検証されるのでしょうね。
歴史は繰り返す
半藤
日本の政治家も民衆もマスコミも、軍事がどんなものであるのかという認識がまるでない。軍事、軍隊ほど恐ろしいものはないんですよ。これは太平洋戦争のときの日本の軍隊というものを勉強してみればすぐ分かることなんですけどね。軍隊は武器を持ってますから、いつだってクーデタを起こせます。国家をひっくり返せる。どこの国でも最大の力を持っているのは軍隊じゃないですか。それほど恐ろしいものなんです。
軍隊というものは、独断専行ができるということです。どんな国でも、クーデタを起こすのは軍隊です。「軍隊による安全」とともに、「軍隊からの安全」もしっかりと考えておかなければならない。軍隊とは何かということをきちんと考えた上で、日本人が本当に軍隊を持っていいのかどうか、みんなでもっと議論するべきでしょう。憲法9条と関わってくる問題です。
編集部
そういう意味で、防衛庁がアレッという間に防衛省になってしまったというのは、かなり危険な兆候ではないですか?
半藤
自衛という言葉は、相手から見れば恐怖でしかない。自衛という名の下で侵略戦争をやってきたのが、これまでの人類の歴史ですから。そんな歴史を辿れば、日本が防衛省を作って正式な軍を持ち、集団的自衛権を振りかざして海外に出て行く、という可能性も大いにある。あれだけの大戦争をやって、世界に大迷惑をかけた日本がやるべきことじゃないですよね。
編集部
でも、日本がそういう危ない方向へ進みつつあるような。
半藤
歴史好きで歴史を勉強してきた立場から言うと、時代が転換していくときの動きはよく似ているんですね。何となく昭和8(1933)年から10(1935)年ごろの日本と今の日本はよく似ているのではないかと。整理して比較してみましょう。
1、教育の国家統制です。昭和8年に教科書が全面改訂された。そして今は教育基本法改正です。
2、情報の国家統制です。昭和8年の新聞法の強化、出版法改正。そして今はやれ通信傍受法、個人情報保護法です。
3、言論弾圧の強化。特高の設置が昭和7年、天皇機関説排斥が昭和9年、そして天皇現人神の国体明徴運動(注1)が昭和10年。今は共謀罪、そして憲法改正への歩み。
4、テロの発動です。一人一殺事件(注2)に始まって5・15、若槻礼次郎(注3)暗殺未遂(昭和8年)、一木喜徳郎(注4)宅襲撃(昭和10年)です。今は朝日新聞京都支社襲撃、加藤紘一宅焼打ち、小林陽太郎宅襲撃(注5)、日経新聞に火焔ビンなどなど。
そして最後に5、政治家や論壇、そして民衆レベルのナショナリズム鼓吹です。これは昔も今も同じです。どうです、似ているでしょう?
注1 国体明徴運動…国の統治権は国家にあり、天皇はその最高機関であるとする美濃部達吉らの天皇機関説を糾弾する形で生まれた政治運動。一部の国会議員や軍部らの圧力により、政府が「国家の統治権は天皇にある」とする声明を出すに至った。
注2 一人一殺事件…1932年に起こった、民間右翼団体の「血盟団」による、政財界の大物20名あまりを標的とする連続テロ事件。「一人一殺」を標榜し、元大蔵大臣の井上準之助、三井財閥の団琢磨が殺害された。
注3 若槻礼次郎…第25代及び28代内閣総理大臣。
注4 一木喜徳郎…戦前の政治家で、文部大臣、内務大臣、枢密院議長などを務めた。天皇機関説で弟子の美濃部達吉とともに非難を受ける。
注5 小林陽太郎宅襲撃…2005年、富士ゼロックス会長の小林陽太郎氏が、小泉首相(当時)の靖国神社参拝への反対意見を表明した後、自宅に銃弾が郵送され、玄関前に火炎瓶が置かれるという事件が起こった。
編集部
歴史は繰り返す、ですか?
半藤
そう。これも僕の自説なんですが、日本人の精神の底にあるのは攘夷なんですね。近代日本というのは尊皇攘夷で始まったんですよ。ところが、薩英戦争も下関戦争もこてんぱんにやられちゃって、しょうがないから開国だと言い出した。あれは、真の開国じゃなくて、いずれ攘夷をするための開国だったんですよ。
じゃあ、攘夷の精神はどこへ行ったかというと、みんな腹の底に持っている。だから日本人は今でも、ちょっと外圧があるとすぐに攘夷の精神へ走るんです。太平洋戦争が始まった直後の、日本のインテリ層の喜びようというのはまさにそうですよね。「ペリー来航以来の日本人の無念の思いと攘夷の精神を、今こそ発揮するときだ」といって。
一方で、日本人には悲惨な戦争体験に基づく戦争への嫌悪感、反戦意識というのもまだまだある。今はその二つ、攘夷の精神と反戦意識との戦いのときなんだと思うんです。
編集部
なんとかその後者のほうを勝たせないと。
半藤
そう。戦争体験なんかをきっちりと後世に残していくことによって、攘夷の精神を抑えていかなきゃいけない。ただ、私は戦前と今起こっていることがいくら現象として似ているとは言っても、まだ70歳以上の爺婆たちが頑張っている間は、そうは簡単に悪くならないだろうと思ってるんだけどね。
編集部
でもそういう方たちが退いてしまったら。
半藤
そのころは、もう私はあの世へ行ってるんで分からないけど(笑)。だけど、今の日本人はもう少し利口なはずだから、昭和8年から10年当時とは違って判断をそんなに誤らないだろうと。それには、あなた方みたいな人たちに頑張ってもらわないとね。
この憲法は、まだまだ生き続ける
編集部
前回半藤さんは、ご自分は全然変わっていないのに、周りがどんどん右へ行っちゃった、とおっしゃっていましたが、それはなぜなんでしょう?
半藤
みんな飽きたんですよ。例えばね、明治時代からずっと一生懸命やってきて、それなりに大国となって落ち着いてしまう。そうなると飽きる人が出てくる。飽きる時代になると、強い人待望論です。昭和の初めってそういう飽きの時代で、日露戦争の体験や悲惨さを知らない連中が軍部を牛耳りだす。古い悲惨な記憶は無しで、栄光だけを覚えている。その結果があの戦争でしょ。今の勇ましいことを言い出している連中も同じことですよ。戦後、営々と築いてきた平和な繁栄に飽きた人たちが出てきたってことです。戦前の悲惨な残酷な記憶はすっぱりと頭から消え失せ、世界に冠たる、みたいな栄光だけを歴史から掬いだしてくる。今の生温い平和はいらない、民族としての矜持や誇りを、なんてことを言い出すんですね。
編集部
そうですね。「平和ボケ」なんて嫌な言葉が流行りだしたころから、なんかヤバイなあと。
半藤
ヤバイですよね。平和ってものがいかに尊いものか、いくら力説してもその人たちには通じませんからね。機軸が平和憲法であるということが、気に食わないんでしょうね。僕なんかそれでなんで悪いの、って感じですけどね。
編集部
本当に、この憲法の何が悪いの? ですね。
半藤
そうです。まだまだこの憲法は生き続けると思いますよ、僕は。だって、こんないいものはないんだもの。