この人に聞きたい

日本人研究者らの案も組み込まれた「GHQ案」をもとに、日本政府とGHQとの議論の中から誕生した日本国憲法。それに対する、当時の日本国民の反応とは? 引き続き、古関彰一さんにお話を伺いました。

古関彰一(こせき・しょういち)
1943年東京生まれ。早稲田大学法学部卒業後、和光大学教授などを経て、1991年から獨協大学法学部教授。専門は憲法史。著書に吉野作造賞を受賞した『新憲法の誕生』(中公文庫)、『「平和国家」日本の再検討』(岩波書店)『憲法九条はなぜ制定されたか』(岩波ブックレット)がある。
戦後民主主義の出発点は
「権威主義」だった

編集部
 前回お話を伺った、民間の研究団体「憲法研究会」による憲法草案ですが、これは当時、GHQと日本政府に提出されただけでなく、新聞各紙でも全文が報道されているんですよね。このとき、それを読んだ国民からの反応はどうだったのですか? のちに正式な日本国憲法の内容が発表されたときには、国民の大多数に歓迎された、とよく言われますが、憲法研究会の案というのは、かなりそれに近い内容だったわけですよね。

古関
 そうです。天皇は象徴として国家的な儀礼だけをやる、と書かれていたし、明治憲法とは比べものにならないくらい人権が尊重されている内容だった。しかし、残念ながらこの段階で、国民の多くがそれに飛びついた、とは言えなかったようです。一方、GHQ案をもとにした日本政府案が発表されたときには、「これはいい」という反応が多かった。それはやっぱり、人々が政府とか天皇とかいう権威に弱いということだったと思います。

編集部
 民間の案だったから反応が弱かった、政府が出した案だったから受け入れた、ということですか。

古関
 そうだと思います。そして、そうやって権威的に出発したことが、僕は戦後民主主義の限界だとも思っている。これを言うと、当時を知っている人には「生意気だ」と言われるけれど。
 憲法研究会の案が新聞で発表されたのは敗戦の年の12月末です。「徹底抗戦だ」とか言っていたときから4カ月くらいしか経っていない。その意味では無理もないと同情もできます。だけど、自分たちがどういう形で戦後を出発したのか、戦後の民主主義にどんな限界があったのかということは、ちゃんと冷静に見据えておくべき事実だと思いますね。

編集部
 あくまで政府という「上から」与えられる形で出発した民主主義だった。

古関
 戦後、占領政策のために来日したアメリカ人が驚いたことがあるそうです。敗戦国の国民の反応として、彼らがイメージしていたのは第一次大戦後のドイツ。ドイツ帝国が敗れたとき、当時の国王は国外へ逃亡しました。ところが、同じ敗戦国の日本へ来てみたら、国民は天皇に対して叛乱を起こすどころか、「自分たちが十分に戦わなくて申し訳ございません」。天皇が全国を巡幸したときも、占領軍は民衆から天皇を守る必要があると考えてすごい警備をしていたけれど、いざ行ってみたらみんな「万歳、万歳」。「まるで彼は凱旋将軍のようだった」と書いた記録が残っています。

編集部
 そういう、権威に弱い、政府が主導したものは信じるというのは、今の私たちにも通じることですよね。

古関
 ただ、そうして出発した戦後民主主義の権威的な側面は、1980年代にかなり崩れたと僕は思っているんです。

編集部
 80年代ですか?

古関
 たとえば、指紋押捺の問題が出てきたり、在日コリアンが国民年金の支払いを求めて訴訟を起こしたのは80年代初めです。つまり外国人という、それまで権利主体になれない部分のあった人たちが異議申し立てをし始めた。
 それから地方自治。高知県窪川町の、原子力発電所の建設に関する住民投票条例、山形県金山町の情報公開条例、東京都中野区の、教育委員の準公選条例。このあたりは全部、1980年前後にできた条例です。中央からじゃなくて地方から、自分たちで考えて政治を動かそう、という動きが出てきたということですね。
 あと、「婦人差別撤廃条約」が「女性差別撤廃条約」に改められたり、中学校で男子に家庭科教育がないのはおかしいといった声が出始めたのもこのころです。つまり、女性が本格的な男女平等を求めだした時期ともいえるでしょう。
 そんなふうに、このころから僕たちの社会はいい意味で変わってきたんだと思うんです。

編集部
 それは、日本の社会が経済的に豊かになってきたからというだけではないですよね。

古関
 違うと思います。日本国憲法のもとで、人権とか男女平等とか、そういったことを人々が学んで、感じてきた、それが80年代に開花したという感じがするんですね。
 だから、そうした経験に照らして憲法を改正しようというのなら、僕はむしろ大賛成ですよ。こういうことを言うと「改憲派」と言われたりもするけれど、何がなんでも護憲、とは僕は思いません。

人権侵害と軍事化は、
同時進行でやってくる

編集部
 ただ、そうした「いい意味で変わってきた」流れが、最近の日本社会の状況に必ずしもつながっているとは思えないのですが…。改憲への動きもそうですし、それ以外の、それこそジェンダーや外国人の人権の問題でも、むしろ逆行しているような。

古関
 それは、そういった考え方が定着しだしたことに対する反動じゃないかな、と僕は思っています。それも、おっしゃるとおり9条だけじゃなくてあらゆる社会の事象に、その「反動」が表れている。
 たとえば男女平等についても、ようやく外国に向かって少しは恥ずかしくないレベルまで来たかと思っていたら、ここ最近は激しい「ジェンダーフリー」バッシング。それから、死刑判決がばんばん出されたり、少年法をはじめ犯罪への厳罰化もどんどん進んでいる。郵便受けにビラを入れただけで逮捕されたり、表現の自由も狭められていますね。

編集部
 それが「9条を変えよう」という動きにもつながっている?

古関
 国内での人権侵害の悪化と、戦争ができる国になっていく過程、つまり軍事化とは、常に同時進行するものなんじゃないかという気がしますね。日本の近代史を見ても、1930年代以降、日本が戦争に足を踏み入れていく時期というのは、同時に人権がものすごく侵害され、国内の治安体制も強化された時代でした。外国でも、たとえばアメリカではここ数年、「テロ防止」の名目で市民の自由を大幅に制限する「愛国者法」ができたり、キューバのグアンタナモ基地で「テロリスト容疑者」が裁判も抜きに長期拘留されるようになったりしています。そんなこと、少し前のアメリカじゃ考えられないことでしょう。それはやはり、アメリカが非常に軍事に頼る政策をとるようになったこととほぼ並行していると思う。
 日本でも、自民党の新憲法草案の13条には、国民の権利は「公益及び公の秩序に反しない限り」尊重される、とありますね。そんなふうになれば、このインタビューだって、こんな話をインターネット上に載せるなんて秩序違反もいいところだと言って止められるようになるかもしれない(笑)。だから、僕らは9条のことだけを見ていたのでは駄目なんだと思うんです。

編集部
 9条の問題だけに気を取られていると、その間にほかの人権に関すること、たとえば裁判の制度、表現の自由や男女平等などに関する法制度が、どんどん変わっていってしまう可能性もある、と。むしろ9条は、そういったものの象徴的な存在としてとらえるべきなのかもしれませんね。

古関
 9条の基本に流れる精神というのは、ただ軍事力によって他国を侵略しないということだけではないんです。それはつまり、武力によって人の命を絶たないということ、すなわち人の命を大事にするということです。私たちが日常生活の中で、「悪いことをしたやつは殺せばいい、監獄に入れればいい」と簡単に言っているようであれば、それはほとんど戦争の論理と変わらない。「あの国は悪い国だから攻めたっていいんだ」ということですよね。
 軍事力ではなく人間の知恵である言葉で問題を解決しようというのが憲法9条の精神です。だから、9条をいつまでも命あるものにしておくためには、日常の生活の中でも、あらゆるところで「人の命を大事にする」ということを基本にしておかないと。そうでないと、気がついたら9条は残っているけど外堀は全部埋められていた、みたいなことになりかねない。
 ある憲法学者に言わせると、「憲法9条を持っている日本には、本来でいえば死刑制度は存在し得ないはず」だそうです。死刑制度の問題に限らず、そういう思想はとても大事だと思うんですよ。

9条の改正は、
日本だけの問題ではない

編集部
 さて、古関さんは先ほど、「何がなんでも護憲とは思わない」とおっしゃっていましたが、「これなら認められる」と思う、あるいは必要だと思う改憲の内容とはどういったものか、最後にお聞かせいただけますか。

古関
 日本国憲法の基本理念は国民主権、そして平和主義、人権尊重ですね。そうした理念をより発展させるという形の憲法改正であれば僕は賛成します。
 たとえば、今の憲法には実は「国民主権」という直接的な項目がありません。日本という国の形態をはっきりさせる意味で、それを第1章に持ってくる。あるいは、やはり現行憲法にはまったく出てこない、外国人の人権の保障。それから、グローバリゼーションの進行で、これからますます冒されていくことになるだろう生存権を、もっと具体的に規定する。そういった「こういう権利が欲しい」という声に応えるようなものですね。

編集部
 自民党の憲法草案はそれに対して…。

古関
 何も応えていない。そんな改正は何の意味があるのかと言いたいですね。
 それからもう一つ、押さえておかないといけないと思うのは、改憲は日本だけの問題じゃないということです。かつて憲法は、国の最高法規と言われていました。だけど、いまやそれだけではなくて、近隣諸国が承認しないと新しい憲法はできないという時代になっている。
 たとえばヨーロッパを見てもそうです。ポーランドやハンガリーは、民主化後に憲法をつくるとき、フランスやドイツから学者を呼んで議論をしました。特に人権条項についてはかなり普遍性が生まれてきていて、たとえばEUに加入するためには死刑を廃止していないとならないとか、こういう人権を認めていないといけないとかいった規定があります。
 それと同じです。9条改正は日本人にとっても脅威だけど、近隣諸国にとっても脅威なんですよ。

編集部
 近隣諸国から、改憲の内容について意見が出たとしても、それを一概に内政干渉とは言えない。

古関
 もはや、そういう時代ではありません。「国際化」とか「近隣諸国との友好関係のもとに」とか言うのであれば、国内だけでなくアジア太平洋という地域で歓迎される憲法をつくる必要がある。今の日本国憲法が生まれたときも、近隣諸国では非常に歓迎されたし、GHQはそういう憲法をつくらなきゃいけないと必死になっていました。そういう考え方が今改憲を唱える自民党の人たちには全然ないのはあまりにも悲しいですよね。それで国際化だのG7だの言うのはやめなさい、と言いたい。
 先進国だ、大国だというなら、やはり人権や平和に関しても大国にならなきゃいけない。世界で発言権のある国に、というなら、人権においても平和においても、それだけ重みのある国にならなきゃいけないんです。改憲の論議も、そういう前提のもとに行われるべきなんじゃないでしょうか。

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