靖国問題、教育基本法改定問題、改憲問題など、現在の安倍政権と真っ向から対立するスタンスを取り続けてきた高橋哲哉さん。戦後から現在まで、特にこの10年の流れについて、高橋さんの目にはどのように映ってきたのでしょうか?
東京大学大学院総合文化研究科教授。20世紀西欧哲学を研究、哲学者として政治、社会、歴史の諸問題を論究している。憲法、教育基本法、靖国問題、戦後補償問題などで市民運動にもコミット。NPO「前夜」共同代表として雑誌『前夜』を創刊。著書に『デリダ 脱構築』『戦後責任論』(講談社)、『教育と国家』(講談社現代新書)、『靖国問題』(ちくま新書)など多数。
自らの手で勝ち取った
民主主義ではないことの弱さ
編集部
前回までのお話にあった、21世紀の靖国が準備されようとしているという指摘は重要ですね。小泉前首相の靖国参拝については、違憲判決が出ています。にもかかわらず、小泉氏は司法の判断が理解できないと首をふり、内心の自由は憲法で保障されているなどと言い、参拝を続けました。この態度にはびっくりしたのですが、なぜ立憲主義がここまで弱まってしまっているのでしょうか。
高橋
違憲だと疑いをかけられるだけでも首相としては失格だ、と私は言いたいですね。なぜ政教分離が重要であるのか。その意味を日本の中で、歴史的な背景を踏まえてちゃんと理解する人が残念ながら少ないと思います。これは信教の自由、もっと広く言うと思想良心の自由ともつながっているわけです。しかしこの重要性の認識の希薄さや、立憲主義が根付いていないことの理由については…これを言っちゃうとおしまいよ、となってもいけないんですが…。
編集部
何でしょうか?
高橋
国民の側から、国家の原則を憲法に書き、権力者に守らせようという経験をこれまでしたことがあったのか? というふうに考えると、非常に疑問なわけです。
編集部
国民が勝ち取った憲法ではないので、意識が希薄だということでしょうか?
高橋
そういう面は否定できないでしょう。1945年の敗戦で帝国憲法が事実上失効し、それで日本国憲法が作られ、そこに政教分離が入った。思想良心の自由も入った。信教の自由は帝国憲法では制限付きであったものが、制限が無くなった。しかしこれはあくまで敗戦の結果です。
精神の自由を意味する学問の自由、表現の自由、そういう自由権を保障する憲法を、自分たち国民の側から権力者に守らせなければいけないんだという、そんな経験を、いつ、どこで日本国民の多数派(マジョリティ)はしたことがあるでしょうか? そう考えると、残念ながらないのです。
そういう意味では、韓国の方が意識は高いかもしれない。韓国の市民に聞くと、いやいやこちらにもいろいろ問題がありますよ、と言いますが。それでもやはり、民衆の力で軍事政権から民主化を勝ち取ったというのは、大きな経験です。日本の場合は、それがないわけですから。
編集部
例えば、日本では今、教育基本法改定の審議が山場を迎えていますが、これと同じことが韓国で起こったとしたら、何十万人もの国民が、国会議事堂のまわりを取り囲んでいるだろう、と韓国人の知人は言っていました。
高橋
1980年に起こった光州民主化運動では、市民も学生も弾圧され、たくさんの犠牲者が出ました。本当はそういう血を流すことはなかった方がよかったけれども、ともかくそうした犠牲を経て軍事政権から民主化したわけで、韓国と日本とでは、権力に対する警戒心はまったく違いますね。もちろん韓国の保守勢力が根強いということもありますが。
編集部
日本人は民主化を自分たちで勝ち取った経験はないにしても、戦後、民主主義と平和主義の憲法のもと、その利益は享受してきたのではないでしょうか。しかしながら、利益を得ているという意識が低く、それが奪われてしまうかもしれない、奪われたらどうなるか、という想像力がまったく働かないようです。
高橋
ええ。それと民主化されたことによる「利益」ですが、基本的に憲法には少数派(マイノリティ)の利益を守るという側面があるわけです。ところが多数派が享受してきた利益というものを基本に考えると、その少数派の権利というところに感性が働かなくなってしまう。
多くの人が自分たちの利益を、この憲法で享受してきたはずだから、ということになってくると、少数派の権利というところに想像力が及ばなくなります。そうなると、自分たちが実害を受けることがなければ、憲法が変わってもいいと考えてしまう。
あるいは逆に多数派が不満をもてば、それは憲法のせいだとなりかねない。そしてどんなに優れた民主主義と平和主義の憲法を持っていても、自分たちで作ったという経験や意識がないと、それを捨てることにもあまり危機感を感じないのではないか。そういうことが、やっぱりあると思います。
編集部
日本人にとってのこの憲法は、「猫に小判」ということでしょうか?
高橋
まあ、そう言うと語弊がありますけれど。私は「メッキと地金」の関係を例に、日本の民主主義と平和主義は、だんだんメッキが剥がれて地金が出てきたのではないか、と言っています。そういう意味では、今の日本社会で少数派は貴重な存在です。
編集部
立憲主義が理解されていないということは、つまり国家というのは、あたかも超歴史的に存在しているものであるかのようにみんな思っているということになります。近代国家は、契約で作り上げたものという意識がないということでしょうか。
高橋
国民の多数にそういう経験がないから意識もないのです。明治に入って作られた大日本帝国憲法は、自由民権運動が負け国権派が勝って、プロイセン王国の憲法をモデルにして、天皇の名で臣民に下賜(かし)したわけです。だから、この国は天皇の国であり、お前たちは臣民であると。で、臣民にも一応これだけの権利を認めてやる。しかし臣民としてはいざとなったら私のために命を指し出せ、そういう体制です。
明治になって近代化されたと言うけれども、要するに薩長を中心とする連合軍が江戸幕府を倒して、武士階級の間でクーデターが起こって、勝ったほうの武士階級が身分制度を廃止して近代国家にしたという形になっているわけです。あくまでも支配階級の間での政権交代ですよね。それがずうっと続き、最後の太平洋戦争の敗戦までいってしまう。そして今度は、日本国家より強大な連合軍によって敗北をする。
ですから、国民の多数がこんな体制ではもう嫌だと言って、当時の体制を倒したわけではないのです。敗戦直後にその辺を意識していた人は、やっぱりそういうことを書いていますよね。作家の高見順は、民主主義者ではなかったと思いますが、『敗戦日記』という本の中で、言論の自由について連合国から指令が出たとき、「これでなんでも書けるようになった。これは良い」と。一方で「それにしても、本来自国の政府によって国民に認められるべき言論の自由が、占領軍の手によって認められるというのは、恥ずかしい事である」ということを言っています。この感覚は非常に重要なんですよ。ただ、高見順ですら「自国の政府によって国民に認められるべき言論の自由」と言っているので、自国の政府に国民が認めさせるべきというふうには言っていない。これはやっぱり帝国憲法下で育った人の感覚だと思います。
編集部
それが今も続いている感じですね。
高橋
そういうことになりますね。
自らに被害が及ばなくても戦争を批判する目を持つこと
編集部
しかし安倍首相は以前から、国家主義的な発言をわりとストレートに出してきたわけですが、それでも支持率は大きくは下がらない。自民党についてもそうです。なんだかんだといって、やっぱりこの体制を国民が支持している、否定していない、というのが今の状況を作り出す上でも一番大きいと思うのですが。
高橋
そこが問題ですよね。人間だからどうしても自分が痛みを感じないと想像しにくいということはあるでしょう。例えば、かつての戦争の時も、もちろん今の状況とスケールは違いますが、戦争は、大多数の国民にとって、軍が外でやっているものだったんですよ、1944年から45年以前、要するに太平洋戦争の最終局面になるまでは。
東京大空襲は45年の3月です。その前に本土に焼夷弾攻撃がありました。当時のジャーナリスト、清沢洌が書いた『暗黒日記』の45年1月1日の記述を、私はよく引用するのですが、彼は、「日本国民は今、初めて戦争を経験している」と書いているんです。それは焼夷弾が落ちてきて、逃げ惑っているこの時、自分もはじめて戦場に巻き込まれたと言っているのです。要するに、それまでは戦争は軍が外に行ってやるものだったわけですよ。
清沢は、「これまで、戦争は文化の母だとか、そういう勇ましい議論ばっかりあった。そして自分は反戦主義者だという事で迫害されてきた。しかし今ようやく日本国民は、戦争というのはそんな勇ましいものではなくて、惨めな逃げ惑うばかりのものだ。それを今、初めて経験している」と書いているのです。満州事変から15年経った太平洋戦争最後の年ですよ。しかしその間、中国の人や朝鮮半島の人は、日本軍に攻め込まれていて国土が戦場になっているわけです。
戦後日本人が語ってきた、戦争の記憶って全部1945年の話ですよね。そしてやられてひどい目に遭った人が、だんだんと少なくなってきたら、戦争は勇ましいものではない、と言う人もいなくなってきた。
編集部
痛みを感じた経験がないということには、やはり限界があるのでしょうか。
高橋
自衛隊が軍になり、国外で戦争をやってくるようになった時に、自分が国内にいる限りは、日本が戦争に荷担したところで別にいいですよというふうになると、先の戦争の時と同じになりますね。あの戦争が間違いだった、それと同じ認識を今持つためには、自分自身が直接やられなくても、戦争を批判的に見る視点が必要なんです。そうでない限りは、「私に実害はないし、うちの息子は自衛隊員じゃないし」で終わってしまう。
市民が被害を受けることになったら、悲惨です。イラク戦争の一つの教訓は、イギリスやスペインなど参戦した国で「テロ」が起こって、ロンドンの地下鉄、スペインの列車爆破で大勢の市民の犠牲者が出たことでしょう。戦争に参加したら、ああいうことが日本でも起こるようになってくるかもしれない。そうやって犠牲者が出てからでは、遅いですよ。
教育現場における思想良心の自由はどうなる
編集部
ここ数年の傾向として、9条を支える国民の思想良心の自由も、すでに侵され始めているのかもしれません。戦争は嫌だけど、式典の壇上に日の丸が貼られ、みんなで君が代を歌うぐらいはいいんじゃない、と考える人は多いと思います。しかしそのへんから容認していくうちに、やがて全体が何か大きなものに飲み込まれていく、その流れの一歩になってしまうような危機感もあります。
高橋
とにかく異論を許さない、意見の多様性を認めない、上から指示されたものには、みんな従わなければいけない、従わないものは処分する。日の丸・君が代の強制というのは、こういうことです。
教育現場でそのような流れが強まると、平和教育というものができなくなっていきます。平和とか、人権とかいう言葉を発する教員が、どこか偏った人だというふうにしてだんだんと抑圧されていくのです。すでに現場では、そういうことがもう、明らかに出てきていますよね。
編集部
誰が抑圧するんでしょうか?
高橋
日本の場合、「空気」そのものが抑圧します。同調圧力というものが抑圧するのです。今、大学にもそういう圧力はひたひたと押し寄せていますよ。国立大学が法人化してから、逆に政治的な発言が出しにくくなってきています。むしろこれは自己規制ですけどね。つまりあまり突出したことをすると、自分の利益に関わるというので、自己規制してしまうわけです。
かつても大学が攻撃され、それが愚かな戦争に突き進んでいくきっかけになりました。京大の滝川事件、東大の美濃部達吉の天皇機関説の事件。河合栄治郎とか、矢内原忠雄も思想弾圧を受けました。そういうリベラル派の人までが大学から追われるようになって、教育の場に異論が完全になくなってしまった。
そういう意味では残念ですが、今は戦争体制が着々と進んでいるという感じがしますね。
編集部
そういう流れの中にある「教育基本法」の改定だと思います。高橋さんは改定の反対を、ことあるごとに訴えてこられたわけですが。改定することにより、何が一番問題になるのでしょうか? どういった事態が進むでしょうか?
高橋
今回の政府法案は、一言でいえば、敗戦後にそれまでの「国家の教育」から「主権者である国民の教育」に変えたものを、またぞろ「国家の教育」に変えようとするものです。その枠の中に、「愛国心」教育もある。為政者が教育の目標に「愛国心」を法律によって入れようとするときは、狙いはただ一つです。国策としての戦争を支えてくれる国民意識を作ろうとしているんです。私は今回の教育基本法「改正」は、あまりに無責任なものだから、歴史的に大きな汚点になるのではないかと恐れています。
編集部
それにしても高橋さんから見て、こういう流れが顕著になってきたのはいつ頃からですか?
高橋
戦後の日本が、ずっと問題だったと言えばそうなんですけど、自分が嫌な感じだな、と思い始めたのは、1995年ぐらいからです。
編集部
95年は、オウムの事件や阪神大震災のあった年ですね。
高橋
あれらも一つのきっかけですが。私が一番嫌だなと思ったのは、朝日新聞に出ていた小さな記事、藤岡信勝・東大教授が出てきて、自由主義史観というのが広まっているという記述を見つけた時です。その自由主義史観のキャンペーンから「新しい歴史教科書をつくる会」への運動の展開、フジ・サンケイ・グループなどメディアを巻き込んだ展開が、90年代後半に起こってくるわけですが、このことがある意味で今を作っていると私は見ています。
あれは、世論とかマスメディアの雰囲気を徐々に変えていったんですよ。それまでは、本当に一部の右翼の考え方であり、自民党の中でも右翼、社会の中で言えば非常に変わった人たちの歴史認識だったものを公然と語れるようにしていくわけです。自虐史観なんていうことを、誰もが言うようになっていき、やがてそれが本流になっちゃいましたね。
ここで世論がガラッと変えられて、朝日新聞などは徹底的に攻撃された。しかし、朝日側は腰が引けてそれに対抗しませんでした。防戦一方ですよ。それで99年の小渕国会で、「周辺事態法」「盗聴法」「国旗・国歌法」が、どっと成立するわけです。あれは90年代の流れの果てにあることです。それで今度はもう21世紀で小泉政権の時代になります。
90年代前半は、私はまだ甘かったんだけど希望を持っていました。冷戦が終わったし、何かいいことがあるんじゃないかと。南北朝鮮も遅からず統一に向かうんじゃないか、朝鮮半島が一つの国になれば、国としての発言力も強まるし、日本もおかしなことはもう言い出せなくなるだろうとかね(笑)。戦後補償裁判も行われ始め、もうこれで日本の政治家が戦争責任を曖昧にできなくなるんじゃないか、というふうに思ったんですよね。現に自民党政権が倒れて、細川政権ができ、彼が「あの戦争は侵略戦争だった」と言って一面では評価されて、だけどまた反発がものすごくて。細川氏は、首相としてソウルに行って、一応お詫びしているんですよね。戦後補償までは繋がりませんでしたが、もう少し長く政権を取っていれば、どうなったかわからないですよ。
だから95年はやはり分岐点だったと思います。しかしおかしな雲行きを感じてから、もう10年経っています。
9条を形骸化している現憲法の問題点
編集部
今の憲法を国民がきちんと理解して、それをひとつひとつ守っていくようにすれば、全部の問題が解決していくのでしょうか?
高橋
私は100%今の憲法を支持しているわけではありませんよ。象徴天皇制にも反対の立場なので、憲法第1章1条は支持していません。そこは9条を支持する人の中でも分かれるところでしょう。
編集部
第1章第1条は「天皇は、日本国の象徴であり、国民統合の象徴である」と定めていますが、ここについてはおっしゃるように意見は分かれますね。
高橋
私は戦後、9条を守るとか生かすとか、実現しようとしてきた時に、その障害になり、9条を形骸化させてきたのは、やっぱり第1条だったと思いますよ。
なぜかというと、1条というのは、つまり昭和天皇には戦争責任がないということ。だから象徴天皇として留まることを可能にしたわけです。そのおかげで、かつての天皇制権力を支えていた人たちが、戦後復権できたのです。まさに安倍晋三氏の祖父、岸信介がそうですね。自衛隊にも旧軍の人が入りました。そのように、日本の戦後の民主化というのは、ドイツと違ってひじょうに中途半端になってしまった。そして東西冷戦の展開とともに、かつての権力構造が復権し、かつての権力者が復権してきた。それはやっぱり昭和天皇が象徴として、中心にいたからなんです。
戦後日本は、天皇の戦争責任も言えないような国でしたからね。そこに民主主義があったのか、といっても難しかったわけです。
編集部
そうして今、現憲法を形骸化するだけでなく、本当に変えてしまおうとしています。教育基本法の改定も山場を迎えています。この2006年の事態をどうご覧になりますか? 私たち市民は、何ができるでしょうか?
高橋
安倍晋三氏が首相の座にいること自体、日本が来るところまで来たことを示していると思います。彼は、一見どう見えるにせよ、思想信条は真性右翼ですからね。憲法9条と教育基本法を「占領の残滓」だなどと言って攻撃し、実際に後者を改悪寸前に追い込み、任期中の憲法改定を公言している。その危険さを市民がどこまで早く見抜いて、その野望にストップをかけられるか。自由や平等や平和といったものを本当に大切にしたいなら、一人ひとりが声をあげ、行動しなければなりません。