映画、テレビ、舞台と幅広く活躍してきた女優の木内みどりさん。
3・11以降は、脱原発についても積極的に活動しています。
脱原発への思いや憲法のこと、政治や社会参加についてなど、
日々の暮らしや活動のなかで感じていること、気になっていることを
「本音」で綴っていただきます。不定期連載でお届けします。
第24回
11歳の少年と
フジロックフェスティバルに行ったことを第23回で書きました。
あそこで、始まったことがあります。
11歳の少年と知り合いになったのです。
夏の3日間、苗場の野外で繰り広げられる夜まで盛りだくさんなロックのライブ。まったく似合わないわたしですが、アトミック・カフェと名付けられたトークに出演したのでした。津田大介さんが司会で、「シアターブルック」という人気ロックバンドの佐藤タイジさん、そしてわたしの3人でのトーク。
広い広い会場にいた時間は、6時間くらいのものだったと思いますが、何人かの方に声をかけられ立ち話をしました。そのうちのひとりは「キウチさん、福島のことを忘れないでいてくださって、ありがとうございます」と、うっすらと眼に涙を浮かべて言いました。被災されてからの辛い時間が今尚、続いていることを話してくれました。
また、別の所でビールを飲みソーセージを食べていると、女性が、座っているわたしの椅子にもたれるかのように低くしゃがんで言いました。
「キウチさん、原子力反対・再稼働反対、いろんな活躍してくださってありがとうございます」
この女性も事故があってからのことを、静かに静かに話してくれました。生々しい事実が伝わってきて、わたしは、ただ、聞いていました。
事故後、放射能をさけて自主避難。小さい子どもを連れて、あちらに、こちらに、と不安定な時期を過ごし、ご両親はもう動きたくないと決断。家に戻り、今もそこで暮らしているとのこと。
長男を寮のある高校へ送り、今は、小学5年生の次男と新潟で暮らしている。彼女は職を見つけ、忙しい毎日。避難用仮設住宅の代わりの借り上げ住宅の家賃補助が、来年度末で終了と決まった。と悔しそうです。なんていうこと!
原発を推進させてきた挙句、事故を引き起こしたのに誰ひとり責任をとらず、事故の原因もわからず、真相究明するどころか事実をひた隠しに隠し、不条理にも苦難を抱えた人々を、今、見捨てようとしている。
この国のやりかた、どこが「美しい国」なんだ!
新潟県の泉田裕彦知事は避難の人々に寄り添って、その後も、なんとか支援したいと発言されているそうです。
こんな話の間、少年がお母さんのそばに来たり離れたり、わたしをチラチラ見ては関心なんかないよとばかりにプイと向こうに行っちゃったり、子どもらしい素直な反応をしている。かわいい。
ふと目があって、いい感じ。
考えもなしに言ってしまった。
「ねぇ、夏休み、長いでしょ? 気分転換にさ、うちに泊まってみない? 親と離れてみるのもいいんじゃない?」
すると少年、
「行く! うん、 行く」
きっと彼も考えもなしに言ったんだと思う。
「できればお母さんや知り合いの人のお手伝いをしてお小遣いを稼ぎ、往復の交通費を自分で稼ぎ出したらカッコいいよね」
「いいよ。 やってみるよ」
彼は、来ました!
11歳にとっては生まれて初めての大・冒険です。上越線で東京駅、中央線に乗り換え新宿駅、小田急線に乗り換えて代々木上原駅へ。東京駅での乗り換えと新宿駅での乗り換え、これは大人でもまごつく超・難関乗り換えです。新宿駅は1日の乗降客数が358万人、世界最高数でギネス認定されている巨大駅。さぁ、11歳少年、たどり着けるかどうか。
約束の時間、駅に迎えに行きました。1度しか会ったことのない少年ですから、お互いにこの日の姿の特徴を教えあいました。少年は白い帽子を被っている。わたしは黒の長いスカートで黒い子犬を連れている。
きっと少年はドキドキドキドキ、
迎えるわたしもドキドキドキドキ。
白い帽子、来ました!
二泊三日の間、したことや行ったところ。
車・ISETTAに乗った。
六本木ヒルズの森美術館でベトナム人アーティスト「ディン・Q・レ展:明日への記憶」。360度東京が見渡せる展望台。
湯島散策。3331Arts Chiyodaのギャラリーで「百年の愚行展」。
経産省前テントひろば(ちょうど共同代表の渕上太郎さんがいらしたのでご挨拶。少年の来訪はめずらしいのか渕上さんが喜んでくださった。「おい、少年、勉強しろよっ!」)。
国会議事堂や東京駅や皇居、丸の内界隈を、はとバスツアー風に。
浅草・雷門。日本でいちばん古い遊園地「花やしき」。メリーゴーランド、メチャメチャしょぼくてうら寂しい、それがいいのよ~。何といっても「ヘリコプター」という乗り物、超お薦めです。ディズニーランドなんか洒落臭い、こういうのをこそ、愛して欲しいものです。11歳少年とわたし、大喜び!
浅草―神田―秋葉原。ぐるぐる歩いてくたびれたから、駅ビル内のタイ料理屋さんでランチ。
家で映画。『メリー・ポピンズ』、『ウォルト・ディズニーの約束』、『天と地』。
何を喋ってたわけじゃないけど、ずぅっと話してた3日間。笑い転げた3日間。
振り出しに戻って、駅に送って、さようなら。階段の向こうに消えていくまで見送ってたよ。
いつも戯けていておどけていてカッコいい少年。
が、我が家の出入り口に貼ってある書「アベ政治を許さない」の前ではそれまでと別人の如く厳しく凛々しい顔になった、と写真を載せたいのですが、11歳少年のプライバシーを守るため取り止めにしました。実にいい写真なので残念なのですが…。
新潟に戻り夏の終わりに少年がひとりとった行動は、わたしがtwitterに載せた「全国デモ情報」 (もちろんマガジン9の)で調べて、新潟県内のいちばん近い町のデモに参加したこと。
お母さんがそう、報告してくれました。
事故で急変した彼の歴史。
心の奥深くにある映像や言葉がどう熟成されていくのか。
見守っていたい。
また、冬休みにおいでね。
会ったばかりの少年に「うちに泊ってみない?」という木内さんと、「行く!」と即答した少年。ふたりの間には何か通じ合うものがあったのかもしれないですね。いろいろなものを見て、話した3日間は、彼にどんな影響を与えたのでしょうか? この少年のように、福島原発事故でそれまでの当たり前の暮らしが奪われてしまった子どもたちは、全国にたくさんいます。避難者への支援が打ち切られようとしていますが、これから子どもたちやその家族の未来をどう守っていくのか、私たちも一緒に考えなくてはいけません。
少年にとっては、きっと一生の思い出となったことと思います。
木内さんすごいな~・
風の里農場さま
感想、ありがとうございます。
いえ、わたしじゃなくこの少年がすごいのです。
いつもふざけている、言葉の選び方も、発音の仕方も。
天性のセンスの良さとリズム感。
喋りっぱなし、笑いっぱなし、
まぁ、たのしい3日間でした。
木内さんも少年も素晴らしい時間を共に過ごされたということですね。
ありがとうございます。
23日の代々木公園。
原発再稼働大大大反対。
今の政府は、国民の声(耳に痛い声)を聞こうとしません。そのくせ国民に丁寧な説明をして理解していただくなどとうそぶいています。何とか打倒できないものか。
とにかく、あきらめず頑張るしかないのですね。