映画、テレビ、舞台と幅広く活躍してきた女優の木内みどりさん。
3・11以降は、脱原発についても積極的に活動しています。
脱原発への思いや憲法のこと、政治や社会参加についてなど、
日々の暮らしや活動のなかで感じていること、気になっていることを
「本音」で綴っていただきます。月2回の連載でお届けします。
第5回
“心の故郷”に行ってきました
この聖書と手書きの地図は、シスター・ヨハンナのものです。
熱心なカトリッククリスチャンだった母は、名古屋の聖霊病院で私を産みました。
出来たばかりの病院で最初に生まれた赤ん坊だったので、天蓋付きのレースで飾られた美しいベビーベッドに入れられて眠っていたと、その時の様子は幾度も聞かされてきました。その出産に立ち会ってくれたのがシスター・ヨハンナで、母とは生涯、仲よしでした。
3年前に100歳で亡くなるまで神さまと一緒の人生を選んだシスターには家族がいないので、その分、私をかわいがってくれたのです。
私自身が出産する時も、たくさんのお祈りを捧げてくれました。
97歳の時、「衰弱してきています」との連絡を貰って、私は娘を見せに金沢の聖霊病院まで会いに行きました。
共通の話題がないので昔の話と神さまのお話ばかり、娘も赤ちゃん扱いされて困った顔をしているという不思議な時間でした。
シスターが帰りにロザリオとこの聖書をくださいました。ご自分が使っていたロザリオと聖書です。
聖書の最後の頁に写真の紙が挟んでありました。2Hくらいの薄い鉛筆で書いたのでしょう。「新約時代のパレスチナ」地図。
シスター・ヨハンナが行きたかったパレスチナ。
母も行ってみたいと言っていたパレスチナ。
辺境好きな私は、普通の女性が行きたがらないような国もたくさん旅行してきました。去年のある日、何ヶ国行っているのかしらと数えてみたことがあります。
30は越すでしょう・・・と思っていましたが、結果は、なんと52ヶ国。
ドキュメンタリー番組やグルメ番組、バラエティー番組に旅の番組、いろんな所に行きましたが、パレスチナには行っていない。
母やシスター・ヨハンナが生涯に1度は行ってみたいと憧れたパレスチナ。
私だっていつかは死ぬ。死んでしまうんだから、そう、やっぱり行こう! と思いました。
この1946年から2000年の地図をご覧ください。パレスチナはイスラエルに侵攻されてどんどん土地を失っています。
今では、ひとつの国・国家ではなく「パレスチナ自治区」です。
或る日、「大地を守る会」会長の藤田和芳さんがパレスチナに行く、と聞きました。
「連れてってください!」とお願いしたら、「本気ですか?」と聞かれ、「本気です」「全て自己責任で、みなさまの足手まといにはなりません」と繰り返し、ついに「大地を守る会」のオリーブ油買い付けチームに混ぜてもらえることになりました。8月末にイスラエルがエジプト提案の休戦に合意したことで、ビジネスも再開したのです。
行きたいベツレヘムやエルサレムはパレスチナ自治区。直行便がないので韓国・仁川空港からイスラエルのテルアビブ空港へ。そこからの8泊は、すべてバス移動です。自治区として区別された地域は8メートルもの高さの「分断壁」で囲われています。「ベルリンの壁」よりもっともっと威圧的です。
オリーブ畑や搾油工場見学、公のプログラムなどを終えて、いよいよ、エルサレムに入ります。
ここが、シスターと母が憧れた場所。イエスが生まれた馬小屋の位置を保存している生誕教会。どんな人も、たとえ王さまでも、ここだけは身を屈めなければ入れない入り口です。
このモザイクタイルの床を保存するために覆うようにして今の床があります。
この人々の右手に「その場所」があります。教会そのものに入ってからここにたどり着くまでに小一時間ほどかかります。
大理石に金属の星の形。この位置でキリストが生まれた、そうです。みなさんここにひれ伏して、この金属に手を当て、その手を頭に顔に胸にこすりつけ、そして、キスしていきます。混んでいるのでどの人も最短の早業。映画の早送りを見ているようで微笑ましかったです。
十字架を背負って磔になるゴルゴダの丘までを歩いた道が「Via Dolorosa 悲しみの道」。
大きな石畳の石は紀元前1000年とか2000年とか…。
「悲しみの道」14地点のうちの第3ステーション。拷問され十字架を背負わされ歩き出して倒れた地点。
この急な狭い階段が、ゴルゴダの丘への道へと続く。
ここは12ステーション、イエスが息を引き取ったその場所。この聖墳墓教会の中にさらに小さな教会があり、そこにお墓があるそうです。が、とても狭くて2〜3人しか入れないので順番待ちの列が何重にもできていて…。私たちにその時間はありませんでした。
今は「無宗教」な自分ですが、カトリック教会の雰囲気が自分の感性の基本のひとつになっていると思います。
毎日曜日のミサでの礼拝、告解、日曜学級、夏の牧師さんも一緒のキャンプ。パイプオルガンの響き、賛美歌、ミサの間にたかれる「福音香」の香り、キリスト受難を描くステンドグラス、独特の白さのレースのベール、たくさんの祈りの声が重なって上がっていくお御堂の天井…。
シスター・ヨハンナと母と私の3人旅はいいものでした。やっぱり生きているうちにしかできないことは生きているうちに、ですね。
父を失い母を失いシスター・ヨハンナも失った今や、わたしの心の故郷はカトリック教会内の静かな暗闇となっています。
人々が長い年月、祈りを捧げ続けてきた聖なる場所。同時に、8mもの壁に囲まれたパレスチナ自治区の現状を思うと、複雑な気持ちにならずにはいられません。
それにしても、「やっぱり行こう!」と決意して、実際にパレスチナまで出かけてしまう木内さんの行動力はさすがです。旅の間、心のなかで3人はどんな会話をしていたのでしょうか。