「大阪府教育基本条例」
橋下氏が代表を務める「大阪維新の会」が「大阪府教育基本条例」を実現しようとしています。朝日新聞の世論調査では、教育基本条例案に対する賛成が49パーセントと反対の26パーセントを上回っていました(11月1日付け朝日新聞)。
この回答からは、市民の中に、学校教育現場に対する不満が根強くあることが伺えます。 しかし、この条例で、果たして教育現場が良くなっていくのか、疑問です。
条例を全文読んでの第一印象は、まさに「学校の教師をいかに管理し、いかに辞めさせていくかに執拗に執着して大量に書き連ねたもの」だということです。「教師は上にいわれた指導に、ただひたすら従って動け」ということばかり書かれています。
同じ職務命令に3回従わなければ免職、人事評価で教師を5段階にランク分けし、2回連続一番下のランク(5パーセント)だったら免職、というように、教職員を締め付ける内容になっています。
この条例案には膨大な別表もあって、別表1の「懲戒処分関係」の項目は73項目にも及びます。例えば「殺人を犯した者」は「免職」など書き連ねられていて、「教師は犯罪を犯す者だ」ということを前提に作られたか、あるいは、そういった印象を広げようとしているのではないかと思いました。
そこからは、教師に対する尋常でない憎悪を強く感じました。
さらに第9章では「最高規範性」の章が設けられています。これからは、強い支配的な権力志向を感じるとともに、自分の価値観を「規範」として人に支配的に押しつける、いわゆる「モラハラ夫」と話をしているときに感じるような不快感すら感じました。
しかし、私がこの条例案で最も問題だと感じたのは、教育基本条例と言いながら、子どもを大事に育てようという視点が全く感じられないという点です。
この条例案については、日の丸君が代の問題や、教師の思想信条の自由などが議論の中心になりやすいですが、私は、むしろ子どもの視点が欠落しているという点こそが問題ではないかと思いました。
平板な人間像
この条例の矛先は教師ですが、こういった「規範」が支配する学校の中では、教師はますます子ども達を見ずに上ばかり見るようになります。教育現場が萎縮するでしょう。そして「自分で物を考えないことが最も大事だ」という風潮が生まれます。
その結果、「上からの命令に従うだけの子ども」を量産していくということになると思います。
さらに、条例の前文では、条例の目的として「グローバル社会に十分に対応できる人材育成を実現する教育」を掲げています。
個別の私立高校が理念に掲げるのであれば、私も文句はありません。
しかし、この条例は、大阪府の全ての子ども達の教育に責任を負う立場で、「グローバル社会に十分対応できる」などという一面的な価値観を強要するものです。
人間として成長し、豊かな人生を歩む道のりは人それぞれです。
「グローバル社会に十分対応できる人材」を目指すべき人間像として固定化することは、それ以外の道を選ぶ子ども達の未来を冒涜するものであるとさえ思います。
「個人の尊厳」(憲法13条)から考える
日本の憲法は、「個人の尊厳」(憲法13条)を第一に据えています。
これは、それぞれの、さまざまな生き方を尊重し合う社会を作ろう、ということを意味します。
個人の尊厳を無視し、上からの命令に従うのみの「臣民」を模範とした教育が日本の軍国主義を支えたという苦い経験に基づいています。
また、上からいわれたとおりにしか動かない、動けない人間を大量に生み出すことは、「指示待ち人間」ばかりを増やすことになり、「社会の活力」も失われます。
同じような考えの人ばかりのチームでは、決して良い結果は生まれません。まして、頭を使おうとしない指示待ち人間ばかりではなおさらです。
余談ではありますが、これは弁護士がチームを組んで訴訟に取り組む「弁護団」でも同じです。年功序列で、先輩弁護士の指示に従うだけの弁護団は成長しませんし、良い結果を勝ち取ることは出来ません。
他方で、イラク訴訟弁護団は、弁護士2年目の私が100人を超える弁護団の事務局長という弁護団の要となりました。弁護団会議では、司会進行をしながら、自分の意見も当然臆することなくぶつけていきました。先輩弁護士達も、「下っ端のくせに」という態度は全く見せず、議論の内容について真摯に意見を交わしてきました。
年功序列なく、多様な個性がぶつかり合うことで強いチームが作られ、議論した結果を躊躇なく実践に移すことで優れた結果も生み出せるのだと思います。
言われたことに従うだけの「指示待ち人間」ばかりでは、「グローバル社会に十分対応できる人材」も育てることさえ不可能ではないでしょうか。
漫画「ワンピース」の魅力
最後に、「少年ジャンプ」に連載されている漫画「ワンピース」を例に話をさせて下さい。この漫画は世界的にも人気で、フィンランドの田舎の本屋にも置いてありました。
主人公のルフィーをはじめ、登場する「海賊」たちはみんな「個性的」で活き活きとしていて、お互いの「個性」を大事にする仲間思いの素晴らしいキャラクターばかりです。 これが「みんな同じ」な「キャラクター」では、漫画は絶対面白くないし、自分たちが生きるこの社会も人生も楽しくない。
一方、橋下氏らが進める「教育」は、「言われたとおりに行動する」という人間を育てることになります。確かに、自分で考えない生き方は、自分の行動に責任を持たないため、「楽」かもしれません。
しかし、一人一人が豊かな個性を発揮して、「違い」を「個性」として互いに尊重し合うからこそ、「豊かな人生」があり、同時に社会に人間性を備えた活力も生まれ、その結果「豊かな社会」となっていくのではないでしょうか。
「ワンピース」と憲法
「日本国憲法」が目指している社会は、「ワンピース」で描かれている世界と共通していることがあります。それは、「それぞれの個性を尊重しあう、人間らしい豊かな社会をつくっていこう」ということを日本国憲法も目指している、ということです。
日本国憲法では、全ての基本的人権の前提として、憲法13条で「あなたが、あなたであるがゆえに素晴らしい」ということを謳っています。それぞれの個性が大事にされ、人として大事にされる社会を目指し、一人一人がそれぞれの自分の「幸せ」を追い求めること自体を、最も大事な核心としているのです。
橋下氏が進める大阪府教育基本条例は、子ども達の「個人の尊厳」(憲法13条)を踏みにじるもので、子ども達が幸せになろう、自分の人間性を作り上げていこうという可能性を奪うものです。
この条例の一番の犠牲者は、まちがいなく子ども達です。
この条例案が子ども達の未来を開くものか、奪うものか。
大阪の皆さんには条例案をよく検討したうえで判断してほしいと思います。
改めて維新の会の「教育基本条例案」を読んでみて強く感じたのは、
そこに通底する「多様性否定」の考え方。
子どもたちの「豊かな未来」をつくることではなく、
権力にとって都合のいい人間を育てることに目的があるとしか思えません。
上からの命令に従うことだけを考え、「規範」からはみ出ないことだけをよしとする。
子どもたちを、そんなふうに育てたいですか? そんな人ばかりの社会に、暮らしたいですか?
これは、大阪に住む人ばかりだけでなく、誰もが考えてみるべき問題です。