総選挙の投票日が迫ってきた
今回の選挙で、見過ごせない論点がある。自民党や日本維新の会などが「集団的自衛権行使を可能とする」ことを公約に掲げている点である。自民党は、集団的自衛権行使を可能とする「国家安全保障基本法」の概要を作り上げ、すでに党内の機関決定を完了している。
石破氏は「国家安全保障基本法」について、評論家の宇野常寛氏との対談本『こんな日本をつくりたい』(太田出版/2012年9月発行)で、次のように述べている。
「憲法は改正しなければならないと私は言っているわけですが、しかし、憲法が改正されるまで、集団的自衛権は行使できない、というままで放置しておいて良いとも思えません。これまでも自衛隊の運用や集団的自衛権については、すべて政治のニーズで解釈をしてきました。状況が変われば政治判断も変わる。判断が変われば解釈も変わる。これは当たり前のことです。」
「ですから、今年(2012年)自民党は、『集団的自衛権の行使を可能とする』ことを盛り込んだ、『国家安全保障基本法案』の概要を党として機関決定したわけです。」
「『内閣法制局の打ち立てた憲法解釈は、内閣が替わったからと言って変更できるものではない』というのが法制局の立場ですが、だからこそ内閣提出法案ではなく、議員立法でこれを乗り越えるべきだと思います。」(※議員立法の場合、内閣法制局の審査を通らない)
「憲法、ましてや憲法解釈のために国があるわけではありません。法案を堂々と掲げ、総選挙において国民の判断を仰ぎたいと思います。野党である今だからこそ、従来の解釈を改め、総選挙で世に問い、支持を得れば、議員立法で内閣法制局の解釈を改めることができる。そう考えると、今の状況は千載一遇の機会なのかもしれません」
憲法9条を骨抜きにする「国家安全保障基本法」制定
石破氏の上記の発言内容についてはいろいろ異論があるが、ここでは詳しく検討することはしない。
注目すべきは、安倍・石破自民党は今回、「千載一遇の機会が来た」と憲法9条の解釈改憲を本気で狙っている、ということである。
すでに集団的自衛権行使を可能にし、憲法9条を骨抜きにする「国家安全保障基本法」制定の準備を整えているのである。
この背景には、アメリカの「知日派」からの強い要望がある。日本の防衛政策に強い影響力を及ぼしてきた「アーミテージレポート」が、この8月にまた出された(第3次アーミテージレポート)。同レポートは、「日本は日本の防衛また地域紛争で、米国と共に行う防衛について、日本の責任の範囲を拡大すべき」としており、日本に集団的自衛権行使が出来るように強く要望している。さらに、同レポートは、イラン情勢の緊張を想定して、日本に対する具体的な活動の要望も示している。
安倍、石破氏らが集団的自衛権行使について前のめりになっている背景には、こうしたアメリカの「知日派」からの強い働きかけがあるものとも思われる。
安倍氏、石破氏は、「集団的自衛権行使が可能となったからといって、日本が戦争をする国になるわけではない」と述べている。しかし、アーミテージレポートなどを読むと、日本が集団的自衛権行使が可能となれば、アメリカと共同の軍事活動を行うことが現実に想定される。日本が「アメリカと一緒に戦争をする国」になることは否定できない事実である。
10年前に集団的自衛権行使が可能になっていたら
ここで、仮に10年前に集団的自衛権行使が可能となっていたら、どうだったか、想像してみたい。イラク戦争は、多くの国が反対する中で、2003年3月にアメリカがイラクに攻撃を開始する形で始まった。この時アメリカは「先制的自衛権行使」という論理で戦争を正当化した。また、イギリスは、アメリカとの「集団的自衛権行使」という論理で、イラク戦争に参戦した。
自衛隊もイラクに派遣されたが、9条があったために、軍事活動を正面から担うことはしなかった。しかし、もし当時、日本が集団的自衛権行使が認められていれば、日本もアメリカの「自衛権行使」に対する「集団的自衛権の行使」として、正面から軍事行動をしていただろう。
アメリカが「先制的自衛権」を正当化している中で、同盟関係にある日本が「集団的自衛権行使が可能」となれば、日本はイラク戦争のような戦争に(しかも大義のない、違法な戦争であっても)参戦し、正面から軍事活動を担っていくことになる。その結果、多くの我が国の国民の尊い命が奪われるということが現実に生じるだろう。
イラク戦争におけるアメリカ兵の死者数は4400人を超えている。また、現代の民営化する戦争の中で、戦地に送られているのは、兵士だけではない。イラクやアフガニスタンには多数の民間人も送られており、アメリカ軍関係の民間人の死者数を含めればさらに多くなる。
安倍氏も石破氏も、「アメリカ主導の戦争で少なくない日本人が死ぬ」というリスクについて、どこまで覚悟と責任を持って集団的自衛権行使を語っているのか、疑問である。
安倍自民党が進める9条改憲の方針
安倍自民党が憲法9条の解釈改憲、明文改憲を進める方針は次のようになる。
①選挙戦では、集団的自衛権について言及しない方針をとっている。とにかく民主党に対する批判票を多く取り、衆議院で多数派を形成することを狙っている。
②その上で、憲法改正の手続きを取ることなく、9条の解釈改憲を狙って国家安全保障基本法を制定する。
③国家安全保障基本法制定においては、政府与党であるにもかかわらず、あえて議員立法の形で発議し、内閣法制局の審査を回避する。
④集団的自衛権行使可能な実態を先行させ、憲法を実態に合わせるという論理で、憲法改正を実現し、自衛隊を国防軍にする。
以上①から④が、現在明らかになっている自民党の方針である。
なお、維新の会の石原氏が主張するように、徴兵制の導入まで進む危険性もある。小さな息子を持つ父親として、この流れに対して強い危機感を持たざるを得ない。
憲法9条の解釈改憲や明文改憲、集団的自衛権の問題は、国民にとって極めて重要な問題である。にもかかわらず、自民党はあえて集団的自衛権の問題についての国民的議論を避け、内閣法制局の審査までも回避して、法律で憲法9条の解釈改憲を実現してしまおうとしている。自民党が、あえて集団的自衛権の問題に言及しない方針をとって選挙を闘っている中で、どれだけの有権者がこの問題を意識して投票するだろうか。
しかし、自民党が「国家安全保障基本法制定」を公約としている以上、自民党が与党になれば、「国民の信任を得た」として、国家安全保障基本法制定に取りかかることははっきりしている。
維新の会の石原代表は、自民党との連立にも言及しているので、自民党だけでなく維新の会の票が伸びるということも、集団的自衛権行使を認める方向に強く働く。
国民に正面から提示されることがないまま、集団的自衛権行使を可能とする、という取り返しのつかない重大な事態が水面下で進められている。
日本は平和国家の看板を捨てるのか
東京外大の伊勢崎賢治さんが仰っているが、日本は世界中で「戦争を放棄した平和で中立的な国」という良いイメージを持たれてきた。伊勢崎さんがアフガニスタンで武装解除を実現することができたのは、彼が日本人だったからである。 私もヨルダンなど中東で、「平和を愛する日本人」への信頼が高いことを体感してきた。
「平和国家日本」というイメージは、世界に出たときに私達日本人にとっての財産であるし、自身を守る最大の「武器」でもある。
集団的自衛権行使を可能にする、ということは「平和国家」としての看板を捨てるという政治的なメッセージを国際社会に発することになる。日本が「平和国家の看板を棄てるつもりはない」といくら言っても、他国から「平和国家の看板を下ろし、アメリカと一緒に中東などで戦争をしていく体制を取った」と見られるのは必至である。
また、このタイミングで集団的自衛権行使を可能にするということは、中国に対して軍拡路線の強化や対日強硬策を採る口実を与えることになる。その結果、中国との関係で緊張を高め、中国の軍拡を誘発し、それがインドやパキスタンなどアジア全体へと緊張感の連鎖がつくり出されることになる。
中国との関係をこれ以上悪化させることは、両国民のみならずアジア全体にとって決して得策ではない。
アメリカと共に戦争をする国という看板を掲げるか、それとも、これまでの平和国家としての信用を更に積み重ねていくことを目指すか。私はこれまで、これほどの危機感、恐怖感を抱いたことはない。
来年は、国家安全保障基本法と憲法9条が大きな政治的テーマになることは必至である。
今の状況で「集団的自衛権」の行使を認める――。
それは、日本がアメリカとともに「戦争のできる国」になることにほかなりません。
かろうじて、ではあっても保ち続けてきた、
「平和国家」という「武器」を、自ら投げ捨ててしまうのか。
私たちは今、大きな岐路に立っています。