99.9パーセント有罪の壁
日本の刑事裁判では、いったん起訴されてしまえば、99.9パーセント有罪です。1000件に1件も無罪判決はありません。これはあくまでも「起訴されたら」ということです。逮捕され検察官に送致されても、統計上およそ半数は起訴猶予あるいは不起訴となるし、起訴された事件も、その多くは自白事件であり、否認事件の割合は必ずしも多くはありません。
しかし、「99.9パーセント有罪」という数字は、それ自体が刑事裁判を支配する強固な「既成事実」となっています。この「既成事実」に従って有罪判決が毎日量産されており、その中にえん罪がある可能性は否定できません。
適正手続きを定めた憲法31条の実践
僕自身は、弁護士になって10年弱の間に数件無罪判決を得ています。
うち2件は高裁での逆転無罪判決でした。一件は強盗殺人未遂事件でしたが、「被告人は犯人ではない」という正面からの無罪判決でした。もう一件は、特捜部が某企業を立件してきた事件であり、マスコミから会社たたきもなされた事件です。こういった事件で一審有罪であった事件を逆転無罪としたのですから、99.9パーセント有罪という高い壁に必要以上に恐れおののく必要はないかもしれません。
しかし、重大事件であればあるほど、勢い裁判の中での有罪のベクトルは強くなります。
だからこそ、弁護人としては、憲法31条の「適正手続き」の重要性を裁判官に自覚させ、冷静な頭で事件に向き合う姿勢を引き出すことが大事になってきます。否認事件の厳しい闘いの局面では、憲法31条を使うということも重要であり、それが功を奏することもあるからです。
しかし現実は圧倒的に有罪
しかし、僕は同時に否認事件で有罪判決も何件も得てきました。その都度悔しい思いや激しい憤りを感じてきました。その中で、日本の刑事司法の問題を痛感してきました。今回は、この場で、特に裁判官の姿勢についてを述べていきます。
捜査段階で作られた「調書」を偏重する裁判
まず、日本の裁判では、裁判官は法廷で自分の目の前で話をしている被告人の言葉よりも、捜査段階で作られた「調書」、特に検察官が取り調べて作った「調書」をはるかに重視してきました。その結果、警察や検察が供述調書さえ作ってしまえば有罪が保証されるシステムが作り上げられてきたのです。
検察官は、自分の見立てに従って調書を「作成」し、検察官のストーリーに被告人を「誘導」していく。近年、取り調べ時のあからさまな暴力などはほとんどないですが、密室での長時間の取り調べで、検察官が被告人をうまく誘導していくことはそう難しいことではないでしょう。
そして、検察官がつくった調書が法廷で重視され、有罪となっていくのです。
99.9%有罪、というのは、こういった刑事訴訟の運用の結果でもあります。
裁判官の姿勢の問題
また、裁判官の姿勢にも問題があります。多くの裁判官は、「被告人にだまされないぞ」と疑ってかかっています。それは同時に警察、検察を「過信」してしまっていることを意味します。
その結果、違法な捜査があっても、また警察のねつ造の疑いなどがあっても、よほどのことがない限り、無罪にはしません。
僕が最近国選事件で担当した事件では、一審で「警察官の証拠ねつ造の疑いがある」として無罪判決が出されたのに、高裁は「一般に警察が自ら手を染めてまで証拠のねつ造をする可能性はない」との理由で逆転有罪、実刑となりました。
同じ日に、大阪地検特捜部元検事が証拠ねつ造をしたと自白をしており、「捜査機関が自ら手を染めてまで証拠をねつ造しない」という裁判官の経験則が正しくないことは明らかになりました。
裁判官が「有罪判決」ばかり書く理由
なぜ、裁判官が有罪判決ばかり書くのでしょうか。
まず、
・ 有罪判決の方が書くのは楽である。
・ 他方で多くの裁判官が無罪判決を書いたことすらない。
そもそも無罪判決の訓練は司法修習中にはなく、無罪判決の書き方を裁判官が知らないのです。ペンキ屋にたとえれば、黒いペンキを塗ることしか訓練を受けず、白いペンキなど持ったことすらない、というのが裁判所の実態なのです。
無罪判決は、実力のない裁判官には書けないのです。
また、一審で無罪となった事件でも、高裁で逆転有罪となる割合は7割から8割と言われています。そのため、一審の裁判官は、無罪を出すことに躊躇をし、無難な有罪判決に逃げていきます。そして、高裁が逆転有罪にした判決を最高裁は無罪にすることはまずありません。
こういった状況があいまって、一旦起訴された以上、無罪判決が産み出される可能性はほとんどない、という実態が作られてきたのです。
憲法31条の適正手続きの原則に立ち返る
この裁判官の姿勢が、多少の違法をしても大丈夫、という気の緩みを捜査機関にもたらしたのではないでしょうか。もちろん、僕は警察の捜査や検察の捜査全般がずさんとは思っていなません。
多くの警察官、検察官が日々熱心に法律に則って仕事をされていることを知っています。しかし、人が行うことであるから、間違いを犯すこともあるでしょう。ずさんな捜査、誤った捜査をしてしまうこともあるでしょう。
違法な捜査があったとき、その違法性を第三者が正す必要があります。その違法性を正す役目を負っているのが裁判官です。裁判官が違法捜査を正さなければ、捜査の緊張感が緩み、違法捜査が広がり、えん罪が後を絶たなくなってしまいます。
裁判官が違法捜査を正さないことによる気の緩みが、大阪地検特捜部の前田検事を生み出したのではないか。99.9%有罪の高い壁を検察官とともに作り上げ、検察官の調書偏重主義と、時々生ずるずさんな捜査を増長させてきたのは、裁判所ではないか。
大阪地検特捜部の前田検事を生み出した責任の一旦は、最高裁判所を頂点とした裁判所にあると、私は考えています。
刑事司法全体を憲法31条の適正手続きの原則に立ち返り、厳しく問い直す時期に来ているのではないでしょうか。
弁護士のスキル向上と起訴前弁護の重要性
多くの弁護士は国選であろうと真剣に取り組んでいます。しかし、「どうせ無罪はとれない」というあきらめが心のどこかにないとはいえません。
こういったあきらめを断ち切り、刑事弁護のスキルを日々高める努力が必要でしょう。
さらに、一端起訴されたら無罪判決を得るのは大変厳しい現状の中では、起訴前の弁護活動を積極的に行っていくことが重要です。
違法捜査や行き過ぎた取り調べをチェックし、えん罪を少しでも減らすためにも、起訴前段階から弁護士がつく被疑者国選制度はきわめて重要です。僕自身も登録していますが、これは割り当てで数ヶ月に一回来る程度です。
僕はこれまで無罪事件も含め、基本的に国選事件が中心であり、私選弁護は積極的に受けてこなかったことを、反省しています。
否認事件でなくとも、捜査段階での適正手続きの点からのチェックはきわめて大事ですし、また、被害者への早期の被害弁償に努めるなども積極的に行っていく必要性は高いです。今後は起訴前段階からの私選弁護も積極的に受けていきたいと考えています。
警察や検察の優秀さを示す数値として語られることもある「99.9%」ですが、
その陰には、「起訴した以上は有罪」という裁判官の思い込みや、
警察官や検察官の暴走がなかったとは言い切れない。
大阪地検特捜部の証拠改ざん事件は、そのことを私たちに知らしめました。
31条に定められた「適正手続き」が、しっかりと確保されているかどうか。
法曹関係者のみならず、私たちみんなが関心を持って見ていく必要があります。