■はじめまして
名古屋で弁護士をしています川口創といいます。2008年に名古屋高裁で出された「自衛隊イラク派兵違憲判決」。僕はこの裁判の弁護団事務局長として取り組んできました。
その他、様々な現場を通して、憲法を使ってきました。「憲法を使う」ということが、いかに身近なことなのか、憲法が現実を切り開く上で現場でいかに使えるものなのか、ということを僕のつたない経験を通してお話が出来ればと思っています。
■憲法9条違反の歴史的判決
まず今日は、2008年4月17日に名古屋高裁で出された、「自衛隊イラク派兵違憲判決」についてお話をさせていただきます。
みなさんは「自衛隊のイラクでの活動は憲法9条1項に違反する」というこの画期的な違憲判決をご存じでしょうか?
判決は「イラクのバグダッドは、2008年1月時点でも、大規模な掃討作戦が展開されている戦闘地域だ。そのバグダッドまで、航空自衛隊が武装した米兵を送り込んでいる輸送活動は、武力行使を禁止した憲法9条1項に違反する」という内容でした。
高裁レベルでの憲法9条違反の「違憲判決」として初めての判決で、9条違反が確定した違憲判決としても初めての判決です。
そして違憲判決が出た2008年の年末に政府はイラクから自衛隊を撤退させました。
この自衛隊の撤退は、市民が憲法を使って勝ち取った成果だと思っています。
■僕らは裁判をなぜ起こしたか?
裁判を起こした当時のことを振り返ってみたいと思います。
2003年3月20日にアメリカが一方的にイラクに攻撃を仕掛けました。当時、フランス、ドイツなど多くの国もアメリカのイラク攻撃に反対していました。そして世界中の多くの市民がこの戦争を食い止めようと街頭に出ていました。
しかし、ブッシュ大統領(当時)は一方的にイラクに戦争を開始します。そして小泉首相(当時)は、世界に先駆けてイラク攻撃を支持しました。そして自衛隊をイラクにまで出す、ということになっていきました。
僕らが裁判に向けて動き出したのは、2003年の末、ついに自衛隊がイラクに派兵される、という時期でした。
当時、市民の中には「あれだけ反対したイラク戦争を止められなかった、自衛隊のイラク派兵も止められない」という無力感が生じていました。しかし同時に、「やっぱり自衛隊の派兵は許せない」という強い思いも渦巻いていました。
■2004年2月に提訴へ
僕の家の近くに「セイブ・イラクチルドレン・名古屋」というNGOの事務所があって、時々そちらにお邪魔する機会がありました。そこでは、「何の罪もないイラクの子どもたちが、どれだけひどい目に遭わされているか」をスタッフからお聞きし、被害については写真などで目にしていました。そして本当の人道支援のためには、軍隊である自衛隊を送ってはいけない、何とかしたい、と思っていました。
そんな2003年の年末、僕ら弁護士と、自衛隊の派兵は許せない、という何人かの市民とが出会ったわけです。
そこで、「憲法9条を使って裁判所という場を使って、イラクに送り込まれる自衛隊を、早期に撤退させていこう」ということで一致し、裁判を起こしていくことになりました。
キャッチコピーは「強いられたくない、加害者としての立場を」になりました。
9条を「守る」のではなく、「使う」。
目的は、イラクの子どもたちの命を奪わないことであって、9条はそのための手段でしかない。僕らのコンセプトはシンプルでした。
2004年1月にネットなどを通じて裁判の原告を募集し、1月後の2月には1000人以上が集まりました。裁判を一緒にやろう、という思いがその後もどんどんに広がって、全国の普通の市民、合計3268名が原告としてこの裁判に参加しました。
■挫折を乗り越えて裁判を作ってきた
2004年から始まった法廷は、毎回2時間以上時間をかけました。事実を明らかにし、原告の思いを形にし、全力で法廷を作ってきたのです。
様々な紆余曲折を経てたどり着いた2006年4月の名古屋地裁の一審判決。
しかし、ここで僕らは完膚無きまでに敗訴してしまいます。
負けた直後は弁護団会議も人が集まらず、3人で会議、ということもありました。それでも、あきらめず、屈せず僕らは控訴してがんばり続けていきました。
名古屋高等裁判所でさらに力を尽くし、充実した法廷を作り上げていきました。
法廷はいつも多くの原告(控訴人)で溢れ、緊張感ある法廷が作られました。
高裁では明治大学の山田朗教授から自衛隊の実態について、愛知大学大学院の小林武教授から平和的生存権について聞く証人尋問を行うことができました。そして、裁判官が心を動かさざるを得ないような、イラクで起こっている深刻な事実を示し続けたのです。
そして、2年後の2008年、名古屋高等裁判所で、とうとう違憲判決を獲得するに至ったのです。まさに、4年間、原告、弁護団一体となって死力を尽くし、ねばり強くイラクの実態と自衛隊の活動の真相を、熱い思いで裁判官に伝え続けた成果でした。
2008年4月17日、名古屋高裁で出された「9条違憲判決」は、「画期的判決」として翌日の新聞各紙でもトップニュースで報じられた。
■憲法を使って行動してこそ
違憲判決を、「良い裁判官が出した」ととらえるだけでは、裁判をする以上は「良い裁判官」をねらって裁判をすればいい、という結論しか導けません。でも、現実には「違憲判決を出してくれる良い裁判官」などいません。もしいたら、これまでもたくさんの違憲判決がその裁判官のもとで下されているはずです。
違憲判決は「市民が全力で勝ち取ったもの」ととらえることが大事です。
違憲判決は、「国がやっている行為が憲法に反して違憲違法だ、間違っている」ということを裁判所が言うわけですから、裁判官としてもかなりの覚悟が必要です。
そのため、これまでも裁判所が違憲判決を下すことは極めてまれでしたし、今もその状況に変わりはありません。
しかし、市民が本気で、憲法を使い、国の過ちを訴え続けることで、裁判官が覚悟を固め、違憲判決に踏み込むことも不可能ではない、ということを今回私たちは学びました。
「どうせ裁判所に何を言ってもダメだ」とあきらめるのではなく、私たちがどれだけ本気で裁判に臨んでいるのか、ということが試されているのではないか、と思います。
そして、現実に市民の力で憲法の理念を現実のものとしていくことができるし、していくことが僕ら市民に求められていると思っています。
「自衛隊のイラク派兵差止訴訟」判決文を読む
川口 創 (著), 大塚 英志 (著)